星の時
114件の記録
プキ@pooky2026年9月15日読み終わった文庫版が出たので再読。映画も見たし、翻訳者の福島さんが話されるイベントなどもいくつか見たりして。その上で読み返すと、前回なんも読めてなかったな、わかってなかったなと思いつつ。 ロドリーゴの一人語りが本当に過剰なのにまあまあウケてしまう。この人また喋ってるよ…また出てきたよ…
かりさ@karisalilac2026年9月13日読み終わった天涯孤独のタイピスト、マカーベアは自分が不幸だとは知らない。あまりにも純真無垢で欲望を知らず、身に起きるすべてをただ自然に受け入れる。未来と希望が彼女を輝かせる時間はあまりに短く潰えた光は奇蹟の祈りへ。その哀しみにしばし寄り添っていた。


ひこ@newsoulre10102026年9月2日読み終わった貧しい天涯孤独な少女マカベーアの日常を、彼女に「恋する」作家ロドリーゴが描写するという入れ子構造がすごく面白い。 マカベーアは実在するのか、作家の脳内の存在なのか、そもそも小説を書くとはどういう事なのか?何一ついい事の起こらないマカベーアの物語はかなりキツいのだが、不思議な魅力があってグイグイ読み進めてしまった。 自分というものがない、自分が不幸であるという感覚さえないマカベーアが、ある「言葉」によって自分の立ち位置を知り、同時に未来に希望を持つ場面が印象的。 その後のあんまりな衝撃的結末も含めて「物語」とは?と考えさせられた、面白かった!
中原メロス@56565656t2026年8月31日読み終わった夏の素晴らしき読書体験。 悲惨な少女の物語に美しさを見出してしまう私たち自身の感覚が、作品を通して静かに浮き彫りになる。 その美は少女自身の視点からではなく、教養を身につけた男性の語りによって媒介されることで生み出されている。 その構造に、どうしようもない皮肉が宿っている。 確かにフェミニズム的な問題意識は作品の底にあるけど「ブラジルのヴァージニア・ウルフ」という見出し文句が的確かどうかは(この作品に限って言えば)正直分からなかった。
いしくら@koji_ishikura2026年8月29日読み終わったブラジルのヴァージニア・ウルフと言われているけど、この作品に関して言えば、ヴァージニア・ウルフのような印象とは異なるものだった。独特な語り口で読みやすいとは言えないけれど、グイグイと引き込まれて読了。映画も楽しみだ。

鈍獣@whale_in_da_room2026年8月23日買った@ ジュンク堂書店 大阪本店ミッドナイトジュンクラブにて スタッフとして参加していた河出書房の方が、なんと数年前に京都の飲み屋で一度話した人だった(よくぞ覚えてくれていたものである) 僥倖な再会を寿ぎ購入



nekomurice@nekomurice1232026年8月2日読み終わった女性の立場からすると読んでいて あまり良い気はしないな。 この悲惨な物語が美しいとするならば、 私はまだ読解力が未熟なのかな。 ロドリーゴ視点のマカベーアじゃなく、 マカベーア視点の映画がみたい。







のそのそ@nosonoso2026年7月24日読み終わった好きだった!語り手は「物語」にすることなく対象を描いているように感じた これをどうやって映画にするんだろ〜?!と思ったが翻訳者あとがきに答えが書いてあった
なぎさ@no_taiyaki2026年7月23日読み終わったずっと読みたいと思っていた本が文庫になったとのことで本屋さんで見つけて購入。 いつまでも読んでいたくなるようなとにかく好きな文体。他の本も読みたい。

六花@rikka-momohana2026年7月14日読み終わった不思議な小説で不思議な面白さ。自分について何も知らなかった女の子、自分がなくなっても誰も困らないネジだと気づいていない。嘘をついて休暇をとり、初めて「孤独という、最も貴重なものを手に入れることができた」。私だけの部屋、でも、その女の子は「書く女」にはならない。他者の言葉を打つタイピストではあっても。空っぽ。悲しむことさえ贅沢品。死の間際になって「わたしはいる」と思い、「女になること」を理解する。解説にあるように、ジェラールの「物語内容」と「物語行為/語り」が実践され、語りの暴力性を体験できる。語り手は男だ。




r@teihakutou2026年6月17日読みたい映画が日本初公開されるらしい。映画になってたって知らなかった…! 4、5年前の5月にちょうどいい風のなか外で読んで、心地よかった記憶。また読みたい。

JUNYA WARASHINA@junya-warashina2026年5月25日読み終わった何も持たない少女が、語られることでほんの一瞬だけ存在して、また消えていく——この静かな残酷さが、本書の全てを語っている。 ブラジルの最底辺に生きるマカベーアは、夢も野心も比べる相手すら持たないまま、ただそこに在る。 彼女をどうしても書かずにいられない語り手がいて、語られることで彼女はほんの一瞬だけ輝く。 言葉は存在を召喚する呪文だ。しかしリスペクトルは、その魔力を行使しながら、同時にその幻想性を静かに暴いていく。 物語の終わりに彼女が触れる光は、神からの恩寵か、言語が生んだ幻か。
DN/HP@DN_HP2025年10月7日かつて読んだarchiveわからなさを大切にしたい、と話したのはやっぱり快晴だった大塚で、そのときにバッグと頭のなかにあったのはこの本だった。 作者の創造した作家が書く無知故に“哀れな”イノセンスを持つある少女の人生。メタを重ねたような書き方は複雑だけれど、まだわかる。人生のある一時期を切り取った物語の筋はシンプルだ。納得出来る言葉が連なったセンテンスの美しさにはため息が出た。けれど、この小説はわからないと思った。 「物語というのは、作り出されたものであっても真実だ」 冒頭で宣言されていた通り、ここにあるのは、少女の、作家の、そしてもちろん作者自身の真実だ。多分この小説のわからなさはそこからきていると思う。他人の真実は簡単にはわかることが出来ない。それでも、それを真摯に表現しようとしたものに感じるわからなさは、“わかった”ときの感動と同じように自分だけのものだから、それを持ち続けることも、取り出して考えることもとても心地良く感じる。 「考えることはひとつの出来事。感じることはひとつの事実。」 そこにあるものを全部、大切に持っておきたいと思う。そんな考えがあの会話のなかで漂いはじめていた気がする。 今手元にあるわからなさは、この小説をもう一度読んだときにわかるようになるかもしれないし、別の本を読んだときにヒントが見つかるかもしれない。あるいは本を手放した生活のなかで考え続けることで、別の大切にしたいものが見つかるかもしれない。もしかしたら、ただわからないままかも知れないけれど、しばらくの間はこのわからなさもそこにあるものも全部大切に「抱きしめて」おきたい。 例によって乱立している付箋も、おあつらえ向きのコメントが入った栞もそのままにして、もう一度読むまでこの本も大切に持っておきたい。そう思って机の上の特別なコーナーに差し込んだ。 この文章にもわからなさがあるとしたら、それは、まあ、浅薄さと文章力のせいかもしれない。




Autoishk@nunc_stans2025年8月12日読み終わったタイトルはシュテファン・ツヴァイクの『人類の星の時間』を想起させる。訳者解説などでは特に触れられておらず関係の有無はよくわからないが、あるいはユダヤ性に関わるのだろうか。ツヴァイクが人類史にとっての特権的な瞬間を志向するのに対して、本書はその逆を行っている。




ricochet@ricochet2025年5月2日読み終わった借りてきた作家ロドリーゴが持たざる女の子マカベーアの物語を物語ることについて物語る小説(をリスペクトルが物語る)。ロドリーゴは人格としてはあまり成熟していないような印象を受ける一方、美しく難解なアフォリズムめいた言葉を書き、またマカベーアの物語をはじめる前の準備運動を散々見せてくれるので、マカベーアはなかなか登場しない。ようやくマカベーアの物語が始まると、その痛ましさや世界とのずれから生まれる哀しいユーモアに魅せられるが、これは魅せられていいものなのかとも思う。 マカベーアは「私は誰?」という問いを発する愚かさを持っていなかったと語られるが、この問いはナジャを思い出す。私とは誰か、それは私が誰とつきあっているのかを知ること。私はナジャを理解できず、なぜブルトンがナジャという作品を書いたのかがよく理解できなかったが、この作品を読み終わった時も少し似たようなことを思った。自らのアイデンティティのためにある人物を言葉を素材として造りあげようとすること、そして彼らの物語に終わりを与えること、その傲慢さ。 もちろんリスペクトルはその傲慢さを自覚しているし(ロドリーゴの時々見せる鼻持ちならさよ)、読み手の私も共犯者だ。私も物語られるマカベーアとして、マカベーアを物語るロドリーゴとして、その言葉に私をゆだねることで、私の中の私ではない何か、あるいは誰かを探りあてようとしている。なぜ書くのかということとなぜ読むのかということに大した違いはないのかもしれない。







盛り@fzke03152025年4月16日読み終わった自分には難しかった ただ最後の方にあった(確か)「小さな死を欲している」ってところはちょっと納得した 何が幸せで不幸か、死は良いもので生は傲慢か……


































































































