星の時

10件の記録
- ricochet@ricochet2025年5月2日読み終わった借りてきた作家ロドリーゴが持たざる女の子マカベーアの物語を物語ることについて物語る小説(をリスペクトルが物語る)。ロドリーゴは人格としてはあまり成熟していないような印象を受ける一方、美しく難解なアフォリズムめいた言葉を書き、またマカベーアの物語をはじめる前の準備運動を散々見せてくれるので、マカベーアはなかなか登場しない。ようやくマカベーアの物語が始まると、その痛ましさや世界とのずれから生まれる哀しいユーモアに魅せられるが、これは魅せられていいものなのかとも思う。 マカベーアは「私は誰?」という問いを発する愚かさを持っていなかったと語られるが、この問いはナジャを思い出す。私とは誰か、それは私が誰とつきあっているのかを知ること。私はナジャを理解できず、なぜブルトンがナジャという作品を書いたのかがよく理解できなかったが、この作品を読み終わった時も少し似たようなことを思った。自らのアイデンティティのためにある人物を言葉を素材として造りあげようとすること、そして彼らの物語に終わりを与えること、その傲慢さ。 もちろんリスペクトルはその傲慢さを自覚しているし(ロドリーゴの時々見せる鼻持ちならさよ)、読み手の私も共犯者だ。私も物語られるマカベーアとして、マカベーアを物語るロドリーゴとして、その言葉に私をゆだねることで、私の中の私ではない何か、あるいは誰かを探りあてようとしている。なぜ書くのかということとなぜ読むのかということに大した違いはないのかもしれない。
- 森 英一@mori_hkz2025年4月16日読み終わった自分には難しかった ただ最後の方にあった(確か)「小さな死を欲している」ってところはちょっと納得した 何が幸せで不幸か、死は良いもので生は傲慢か……