うゆ "シンデレラはどこへ行ったのか" 2025年10月10日

うゆ
うゆ
@otameshi_830
2025年10月10日
シンデレラはどこへ行ったのか
(まず前提として、実際の『シンデレラ』の物語というか伝承?は死と再生の物語であり多分に神話性の強いものだと思うが、本書ではそこでなくいわゆる現代でいうシンデレラストーリー、シンデレラ・コンプレックスという枠組みで『シンデレラ』を扱っている)。 シンデレラ·コンプレックスからジェイン·エア·シンドロームへ。少女小説に受け継がれ生き続けるジェイン·エアの娘たちを追う。そしてシンデレラとシンデレラの姉たちもアップデイトされてゆく。 野心や克己心で道を切り拓くジェイン・エア型のアンの物語を書いたモンゴメリはまったく正反対のタイプの少女パットを主人公にした物語もまた魅力的に仕上げているのは流石。幸せの形って一つじゃないのだ。 『木曜生まれの子どもたち』はこの本の序文で知り読んでみました。読んでいて『魔女と暮らせば』の強烈な姉グウェンドリンのことをしきりに思い出していた。これらはシンデレラの姉の物語でもあるのだなと。類まれな才能に恵まれた弟を持った姉の苛立ち。グウェンドリンの場合は行動を制限されている!私はもっと自分の力を思う存分に使って好きなように生きたいのに!という強すぎる欲望があった。邪悪な性格をしていたけれど何故か憎めないのはどこかで少女たちの、女性たちの心の叫びが重なるからなのだろう。ここではシンデレラ役のキャットも最後には自分から湧き出る力を自らに取り返し反撃する。夢を見て待っているだけのシンデレラはもういない。 私はずっと少女小説を愛し必要として生きてきた。この世に「少女」という枠組みがなくなる新しい地平は来るのだろうか。少女だからこその悩みや葛藤、危険…そういうったものを超克して個々の存在としての物語が描かれる日が?少しずつその枠組みあるいは檻は溶解していくかもしれないしそうなる方が望ましいとも思うが、完全にはなくならないし、男女の差違に目を瞑るのはそれはそれで違う気もする。 著者が最後に文学には力があるから影響を受けても客観性を保たなければ良くない結果になることもあるよ…と述べているのに頷いた。
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