Aquaporin
@aquaporinase
2025年10月13日
植物の生の哲学
エマヌエーレ・コッチャ,
山内志朗,
嶋崎正樹
読み終わった
初めて最後まで読めた。
ドゥルーズに親しんでいると読みやすい。
最後、哲学が大気と置き換えられるだけでなく、おそらく植物としても描かれているようにも捉えた。
花は、おしゃべり、シーニュの話のように思える。
根はわかりにくい。天空と地についての話の重さがわからないからだろうか。
チ。を見ている中での、いまいち重さが理解できていない感と繋がっているように感じる。
つまり、地球と太陽のどちらが中心でもどうでもいいという感覚があり、それが天空と大地を分けたり、混ぜたりする場合の文脈の要請の必要性が実感として持ちにくい。
理性=形成力が、花に託されていることは理解できる。ただ最初の方に想像力とも言っているけれど、そこはその想像力=理性=形成力といいたいのだろうか。
ただエピローグを読む限りは、そして、植物で本書をかき切ったことを踏まえると、哲学を触発する力を植物は持っているのであり、それは一般的な意味での想像力を触発するものとして植物をあげることができる。それ以降はレオレオーニの平行植物の役割だろうか。