
DN/HP
@DN_HP
2025年10月15日
本は読めないものだから心配するな
管啓次郎
「本に『冊』という単位はない。あらゆる本はあらゆる本へと、あらゆるページはあらゆるページへと、瞬時のうちに連結されてはまた離れることをくりかえしている。(…)そんなふうに連係的・運動的に、さまざまな本から逃げだしたいろんな顔つきのページたちを組織する。そして読み、読みつつ走り、走りつつ転身する。それが『テクスト』であり、時間の経過の中ではじめて編み上げられてゆく『テクスト』という概念は、もともと運動的なものだ。」
元々一冊の本を読了することにはそこまで重きを置いていなかったけれど、ここ何日かはさらに読了を目的、意識しない読み方になってきた。一冊の本を読み終わって最高だった理由を考えて(好みじゃなかったらすぐ忘れる)なんとか言葉にしてみる、という読書も楽しいけれど、今はなぜだか集中力が続かないから、興味の赴くままに色々な本をめくっては次の本へ、みたいな読み方が楽しい。
そんな風にめくっていた30年前の雑誌でムーグ山本が「DJ読み」という読み方を提唱していた。なるほどこれも管のいうところの「テクスト」を読むということかもしれない。ちょっと違うかもしれない。わたしの読み方は「DJ」というには繋ぎもなにもない、サブスクのキューに興味の赴くままに追加されていくインスタントなプレイリストのような感じだけれど。そこからもなにか浮かび上がってくるものがある、かもしれない。なくても楽しいから良いのだけど。









