本は読めないものだから心配するな

50件の記録
- DN/HP@DN_HP2025年7月1日本と日記のある人生『コヨーテ読書』という同じ著者の本を読んでからずっと読みたいと思っていた一冊を先日古本屋でみつけた。やったぜ!の気持ちのまま店を出て、目の前の信号が変わるのを待ちながら何気なく開いたページ、そこにあった文章、著者の読書の好みに一目で完全にフィールした。もうこの瞬間からこの本は既に最高だ、と確信した。更にこの瞬間は信じるべき偶然、魔法のような瞬間だった、と思い込んでいた。ああ、これは先日も書いたことか……と今気が付いたけれど、そんな瞬間は何度でも書き残しておきたい。そういうことにしておく。 改めて最初から読み進めていくと、数ページ目には、今度はわたしとは違った、真逆と言ってもいいような「読書感」が書かれていた。 「ぼくはきわめて偏狭な、読書の実用論者だ。ただ楽しいからおもしろいから気持ちがいいから本を読み時を忘れ物語に没入するということは、ぼくにはまるでない。未来において「何か」の役にたつと思うから、読むのだ。」 わたしは読書に「実用」や「役に立つ」ことをあまりを求めていない、逆に無用で役に立たないこと、時間を求めて(それは実用的なことや役に立つこと“だけ”が求められるような世界からの逃避かもしれない、あるいは反抗)読んでいる気がしている。引用した文に倣うなら読書の快楽論者だ。それでも、読書をしていけば「未来において「何か」の役にたつ」ものが残っていることがある。よくある。それらに助けられている。きっとこの本を読み終わったときにも、そんなものが幾つも残っている気がしている。今はまだ著作の強固な思想、あつい語り口、かっこいい文章を、ゆっくりと楽しんでいるところだけれど。読書はいつもそんなふうに続いていく。 続いていくと、当然また気になる文章に出会うことになる。歩くことについての文章が特に気になった。というか煽られた。 「われわれは、思想をかけて、歩かなくてはならない。かといって、別に気負う必要もない。無用の歩行、気まぐれな小さな旅を、少しずつ、しかし確実に、自分の暮らしの中にとりもどすことにしよう。そのときふと考えはじめる何かが、ぼくらに思いがけない道を、つねに新しくさししめしてくれるにちがいない。」 「ジーンズのお尻のポケットの、片方には財布、片方には本一冊。これで手ぶらでどこまでも歩いてゆける。」 この本を買った日の古本屋への道すがらもそうだったけれど、わたしの暮らしのなかには「無用の歩行」が既にとりもどされている。時間と体力の許す限り、気まぐれに道を選んでまわり道をしながら、お気に入りや未知の景色を眺め、日々歩きながら色々なことを考えている。その幾つかは部屋に帰ってからも考え続けることになって、新しい道がみつかることもある。あったかもしれない。それが連なっていく。人生。 そして、今日はジーンズは履いていない(暑くて履けないよ)し、他のポケットには(カーゴポケットにも)色々な物が入っているけれど、手ぶらだし左のお尻のポケットには文庫本が入っていた。なるほどこれでどこまでも歩いていけるわけか、と煽られる。また思い込む。 ということで、と少し遠いダイソーまで歩くことにする。この季節にお尻のポケットに文庫本を入れるときにも(普段も使っている)マストなアイテム、クリアブックカバーを買いに行くのだ。ポケットに染み込んだ汗で湿っちゃうこともあるからね。 そこからさらに遠回りして久しぶりのブックオフにも勿論寄る。ここでは読みたかった「白背」を一冊。再びやったぜ!の気持ちのまま、今日は隣のコンビニで最近のお気に入りの美味しいアイスを買う。パルム ジェラード ショコラ&深紅ベリー。外シャリ中しっとり系。果実とチョコの絶妙な関係。このタイプが好き。お気に入りのTシャツに染みをつけないように食べながら帰路。音楽はGrimey Chopsのboom bap beats。 その間もなにかを考えていた気がするけれど、それらは汗と一緒に流れ出て、いまはバケットハットに染み込んでしまったぽい。 特別ではなかったし、思いがけないこともなかったけれど、それでも心地の良いJust Another Day。今日もOKだった。夕飯を食べたあとは、Nate doggを聴いてゆっくりしよう。 なれない日記調の文章はだらだら書いて、推敲もせずにポストしてしまうけれど、わたしも「書くことで気持ちが安らぐことに気づ」いてきたので、こんな文章も書いていきたい。これはトム・ジョーンズの小説の登場人物からの影響。
- DN/HP@DN_HP2025年6月30日心に残る一節「われわれは、思想をかけて、歩かなくてはならない。かといって、別に気負う必要もない。無用の歩行、気まぐれな小さな旅を、少しずつ、しかし確実に、自分の暮らしの中にとりもどすことにしよう。そのときふと考えはじめる何かが、ぼくらに思いがけない道を、つねに新しくさししめしてくれるにちがいない。」
- DN/HP@DN_HP2025年6月30日「ぼくはきわめて偏狭な、読書の実用論者だ。ただ楽しいからおもしろいから気持ちがいいから本を読み時を忘れ物語に没入するということは、ぼくにはまるでない。未来において「何か」の役にたつと思うから、読むのだ。」 わたしは読書に「実用」や「役に立つ」ことをあまりを求めていない、逆に無用で役に立たない時間を求めて(それは実用的なことや役に立つことが求められる世界からの逃避かもしれない)読んでいる気がしている。それでも、読書をすれば「未来において「何か」の役にたつ」ものが残っていることがある。よくある。それらに助けられている。この本を読み終わったときには、そんなものが幾つも残っている気がしている。今はそのゴツゴツした思索や真摯でカッコいい文章をただただ楽しんでいるところだけれど。
- DN/HP@DN_HP2025年6月28日買った同じ著者の『コヨーテ読書』(最高)を読んでから欲しかったけど、新刊でみつけられなかった一冊を古本屋でみつけた。やったぜ。にっこりしながら店を出て、目の前の信号を待ちながら適当に捲ったページの文章に完全にフィールした。もうこの時点でこの本は最高だ。
- とーひろ@kajihirorz13162025年5月26日また読みたい自分には難解で読みきれなかった。 でも、本を読むことは「記憶」が本質ではなく、その瞬間の喜びや思考のつながりにあるのでは、と思えた。 またチャレンジしたい。
- 吉田真哉@yancy_752025年5月19日読み終わったこのすばらしいタイトル……! 誰と比べるでもなく自分の読書ってなんかしょぼいなと感じることがあるのですが、そんな自分に「まあ気負わず楽しく読みなよ」と語りかけてくれるような一冊。本書自体が読書の喜びに満ちている。
- 吉田真哉@yancy_752025年3月23日読んでるエッセイようであり、ブックガイドのようであり、読書論のようでもあり……。疲れているときに読むと中身がまったく頭に入らない。でもまあこのタイトルだし、少しずつ読んでる。
- 橋本吉央@yoshichiha2025年3月9日読んでる内沼晋太郎さんの本で引用があり、タイトルの引きが強かったので買って読んでいる。菅さんは詩人でもあるから、言葉選びがさすがという感じ。じっくり読む…
- mkt@mkthnsk2025年3月8日かつて読んだ"狼が連れだって走る月"と"コロンブスの犬"は出なかったけど、最初に出会ったのは狼〜のやつ。それから管啓二郎さんに一時期ハマってた。これも最初に読んだのは左右社さんの。そのバージョンで手に入れたかったけど書いそびれてたので文庫で買った。
- つつつ@capyandtsubasa2025年3月7日また読む「読書の目的は内容の記憶ではない。そのときその場で本との接合面に生じた一回きりのよろこびを、これからやってくる未来の別のよろこびへとつなげてゆくことだ。」p279
- つつつ@capyandtsubasa2025年3月7日読んでる「本に「冊」という単位はない。あらゆる本はあらゆる本へと、あらゆるページはあらゆるページへと、瞬時のうちに連結されてはまた離れることをくりかえしている。」p13
- No.310@__310__2024年6月25日読み終わった詩人の書く文章は独特のリズムが面白く、しかし難解な部分も多いな、というのが率直な感想 タイトルから優しげなエッセイ風のものを想像していたが、言語や旅、翻訳など多数の視点から書かれた硬派で広大な思案書といった趣だった 読んだそばから忘れていくことを肯定してくれるような読書論に励まされる 記憶の頑張りで思考を形成するのではなく常に新鮮な水を通すように本を読み、その流水に削られるがままに思考が形づくられていくのも良いなと思った
- 村崎@mrskntk2022年3月9日エッセイであり読書論であり実用書であり、どういう本か?と聞かれたらうまく答えられないんだけど、タイトルのとおり「本は読めないものだから心配するな」ということを伝えてくれる本。読んだことは忘れる、でも心配するな。少なくともこの本を読んでいるあいだは、よろこびに満ちていました。装画、森のなかへ入っていくような絵ですが、まさに読めば読むほど深くに入っていく感覚だし、みたい映画や読みたい本が増えます。