
某(なにがし)
@tanosee
2025年3月8日

推し、燃ゆ
宇佐見りん
大切な本
「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。」
昨今のSNS上で見かけるような出だしから始まる今作は、第164回・芥川賞受賞作品。
周囲と同じペースで生きる難しさを自覚しながら、凄まじいまでの推しへの愛着ごと愛でる女子高生の姿が描かれている。
各所のレビューを見る限り「苦しくなる」と散見されたけど、真っ暗闇に限りなく近い薄暗闇の中で、諦観と愛を等身大で抱え続ける主人公の姿には覚えがあるような気がした。いつかの自分を見ているような、それでいてそんな自分はどこにも居なかったような、不思議な気持ちになった。
「綿棒を拾った。」(最終頁)
上京したてのころ、綿棒を床にばら撒いてしまったことがある。
実家から持ち込んだ荷物でぎゅうぎゅうになったクローゼットの奥からケースごと転げ落ち、枯れ葉のような動線を描いて水のように床上へ散らばった。写真を撮りSNSにアップすると、知り合いたちが笑い飛ばしてくれた。それだけで絶望もやるせなさも弔われた気がした。散らばった綿棒を拾って元通りにするのは骨が折れるような作業だった。すべてが元通りになったとき、目の前にあったのは変わらぬ日常だったけれど、ちいさな絶望をやり過ごす術が少しわかったような気がした。
今作では、「これがあたしの生きる姿勢」として縢られている。二足歩行は向いていないし体は重い。でも、目の前にあるものを自分なりの姿勢と歩き方で、自分の骨は自分で拾えない事実と滑稽さに寄り添われながら再び歩き出すんだろうと思う。東京の片隅で、散らばった綿棒を前にして途方に暮れていた自分もそうだったと信じたい。
「推し」という存在が何なのか、より深く問い直すことができる一作。
