
reina
@dawn_39
2025年10月19日

ひそやかな花園
角田光代
読み終わった
最後のエピローグが、救いのような、美しい文章でした💐
そして、ずっと本棚で眠っていたけど、今日このタイミングで読めたことに意味があると思う、し、またきっと必要なタイミングで読み返す本になるんだと思う
p.324
「家族も父も、自然になれるものなんてない。自然にできることもない。『やる』と決めるんだ。ぼくは決めていなかったんだな。きみの名前をつけたとき、父親になったと錯覚しちゃったんだよ」
p.328
おれはさ、ライター時代に思い知ったことがあるんだ。だれかを傷つけるために言葉を使っちゃいぜったいにいけないんだ。だれかを傷つけるために刃物を使っちゃいけないのと、それはまったくおんなじにさ。
p.331
きみが見るもの、きみが触るもの、きみが味わうもの、ぜんぶ人と違う。きれいごと言ってるんじゃなくてさ、事実。
きみがいなければ、きみの見る世界はなかった。それだけのこと。
大根おろしは焼鳥といっしょに食うものではなかった。それだけの話だよ。
女とつきあえない、友人関係が持続しない。
だれの世界とくらべて欠落なんだ?大根なんか、どうやって食ったっていいんだよ
p.335
彼に、自身の出自のことを話さなければその落胆はなかったろう。そう、落胆すら、手に入らなかったのだ、話そうとしなければ。向き合おうとしなければ。
理解できないという落胆の先に、もしかしたら、それよりはるかに強い何かがあるのではないか。だから私たちは、向き合い、話そうとするのではないか。
p.337
本当に訊きたいのは、この先私は何があっても後悔しないのか、ということだと気づく。そんなこと、だれにもわかりはしないのに。
「後悔しているただひとつのことは」「しあわせを見くびっていたことかな」
p.356
「でもさ、弾、何かをはじめることでできるのは、結果じゃなくて世界なの。いいことだけでできた世界も、悪いことだけでできた世界もないと思わない?」
p.364
どう生まれたかじゃなくて、どう生きるか、つまるところそれしかないんじゃないですか。
どう生きてきて、どう生きているか、知らない場合、やっぱりそれは他人です。
p.370
父親がいないとか、おかあさんがだらしないとか、何かひとつ、うまくいかない理由を見つけてしまうと、うまくいかないまま動けなくなってしまう
p.372
「そこに居続けたら、明日も、世界も、ずっとこわいまんまだよ。こわくなくしてくれるすばらしいものに、会う機会すらないんだよ」って。
それでねおとうさん、私昨日、思ったんです。もし私がいなければ、あの美しい歌も、すてきな式も、聴けなかったし見られなかった。私がいなければ存在しなかったことになります。
だから、私、私がいてよかったってはじめて思った。だって昨日見たものは存在したんだから
