
K
@weitangshaobing
2025年10月23日
湯気を食べる
くどうれいん
読み終わった
【好きなところ引用】
人生は円グラフだから、いやなことがあったらとにかくほかのことで頭の中を埋め尽くして、そのいやなことをさっさと灰色の細い「その他」にするほかないと思う。(p.70)
家で作るものがいちばんおいしい、と思ったことがある人にしか摑めない人生がある。大げさでなくそう思う。ゆとりがないときにこそ(たのむ)と菜箸を握るわたしたちに、どうかよい人生が訪れますように、と祈るような気持ちになる。
わたしの自炊は、趣味ではない。調律だ。人生に、自分で料理を作らなければ自分を保てない時間がたくさんあって、わたしは何度だってこの菜箸で、自分自身を調律していた。人生に余裕があるから自炊をたのしんでいるのではない。余裕がない人生のなかで、自分の人生に納得するためのその手段が自炊だった。(p.108)
自分の作ったものは自分の思っている味がして、おいしい。わたしはその興奮と安心に、何度でも救われている。(p.111)
そういうとき、自分が何を食べたいのかもわからなくなってしまったりする。だめかも、と思ったらねぎとろ。そう決めてからずいぶん楽になった。「わたしはねぎとろが好きだから、いまねぎとろを食べるという選択をしてげんきになった」と思えることで、きちんと自分が自分のコントロール下にあることを確認できる。わたしが選んで、わたしが気に入っている、大丈夫、大丈夫。と。小さなことかもしれないけれど、参っているときはそういう小さな選択ですら人生を左右するような気もしてしまうのだ。(p.130)

