つつじ "関ヶ原 下" 2025年10月25日

つつじ
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@m_tsutsuji0815
2025年10月25日
関ヶ原 下
関ヶ原 下
司馬遼太郎
"「心配は要らぬ」 というのが、相変らずの三成の観測であった。観測というより信念であろう。信念というより自己の智恵に対する揺ぎなさが、三成の性格であったろう" "三成の発想はつねに批評であって現実認識ではない" 司馬先生の三成評が我が身にブッ刺さる
つつじ
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@m_tsutsuji0815
西軍: "(大谷)吉継は、病んだ皮膚に耐ええぬため鎧は着用していない。直垂のみを着け、そのうえに白布をまとい、その白布に墨をもって粗っぽく鎧の模様を描いてある。 馬にも、乗れない。そのために四方を取り放した板輿に乗り、馬廻の屈強の者どもにかつがせ、 「それ行けやあっ」 と、病みしゃがれた声を放ちつつ敵陣へ乗り入れさせてゆく。その姿をみれば手の者は当然、死を覚悟し、槍をふるって躍進し、雑兵のはしにいたるまでためらう者がない" "戸田重政も老人ながら敵を突き伏せ突き伏せして進んだが、乱戦中、槍をおとした。拾うゆとりもなく腰の太刀をひきぬいたが、その槍を、馬側を駈けていた従僕がひろい、重政に渡した。寅、とよんで追いつかっていた男だが、重政は平素この男を愛さなかった。男は愛されずともこの絶望的な戦いに馳せむかい、しかも馬側を一歩も離れていない。 重政は感動し、 「寅、われも死ぬかや」 と、馬上から叫びおろした。寅は泣くような顔で、激しく点頭した。 「おれの日頃が間違っていた」 と、重政は寅に詫びた" 見返りを求めないとはここまでしなければならないものなのか
つつじ
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@m_tsutsuji0815
東軍: "(福島)正則には懐疑的な異論が通用しないため" 前にもあったな、こういうの…… (翔ぶが如くの桐野利秋とか) "福島正則さえ東軍についている以上勝利はまちがいないというのが家康の最初からの戦略眼であった" でも戦後冷遇したんでしょ?こっわあ…… "「そろそろ江戸を発つか」と、事務の話でもするような表情で家康は家臣たちに言った" "この冒険ぎらいの老人は、戦略の冒険性をすべて消してゆき、勝利がほとんど事務化するほどの状態にまで事を運び、時を待ち、しかるのちに腰をあげようとするのである" 勝利が事務というパワーワード このつまんなさこそ徳川であり近代
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