
柿内正午
@kakisiesta
2025年3月8日

労働者
海大汎
読んでる
“労働者は、資本によって用いられる人間化された生産手段であり、またそれはマルクスも指摘しているところである。だが、その側面だけでは労資関係は持続されない。どこか歪んだ認識の持ち主を除けば、自分が他者の目的のために道具化・手段化されているという事実を毎瞬間ごとに自覚させられて平気でいられる人間はおそらくいないだろう。
マルクスが述べているように、「生産様式の変革」、いいかえれば資本による労働・生産の組織化はたしかに、「労働者をゆがめて一つの奇形物にしてしまう」のであるが、だからといって労働者も、ただ従順に「奇形物」になってくれるわけではない。労働者は、「奇形物」としての自己の姿と直面しないためにも、反照的仮想、つまり小資産家・小経営者としての自己像に拘泥せずにはいられない。このような傾向が徐々に社会的意識・観念として一般化されるにつれて、労働や労働力につきまとうイデオロギーは、疑う余地のない現実として認識されるようになる。そこから能力主義(ルビ:メリトクラシー)といった単なる社会的通念も一つの時代精神を形成するに至る。”
p.78







