
JUMPEI AMANO
@Amanong2
2025年10月30日
名著でひらく男性学 <男>のこれからを考える
天野諭,
川口遼,
杉田俊介,
西井開
まだ読んでる
@ 電車
朝からラジオの立ち会いで移動時間が長めだったので、コンネンル『マスキュリニティーズ』の章を読む。第一部のまとめも兼ねているだけあって読み応えあるし、巧みに整理されていてかなりありがたい。
「性役割」ではなくなぜmasculinities(複数形の男性性)なのか。「脱出のポリティクス」の困難とは。「女性嫌悪と女性賞賛の同居」の節なんかも、今読めてよかった感じ。
以下のくだりは今つくっている本とも関係するし、そうでなくとも重い指摘なので心に留めておきたい。
〈運動を成立させるためには、何らかの局在的な基礎をベースに連帯をつくり出していく必要があるのですが、これがやはり脱出のポリティクスというのは非常に難しいんだという評価になるんですね。なのでメンズ・リベレーション(男性解放運動)のようなものに対しても、コンネルはいろいろな表現をしているので一貫したことは言いづらいのですけれども、なかなか広がりづらいんだ、といったことを主張するわけです。〉(128頁)
〈[...]現代風に言うとインターセクショナリティとなるのかもしれないですけれども、そういった他の社会構造とジェンダーとの相互作用の場の中に可能性があり得るんじゃないか、ということですね。つまり「男性性以外の理由に基づいて男性間の連帯が求められることで、ジェンダーの正義へのプロジェクトが支持される可能性がある」とコンネルは考えていて、例えば反植民地主義や労働運動などの中で「同じ状況におかれた女性たちとの明確な連帯の場」が築かれていく可能性を見出しています。〉(130頁)
ほか、まとめ部分に出てくる白人性(ホワイトネス)の問題と同じようにアジアの中の日本という文脈で「日本(人)性」的なものを考える必要がある、という指摘にも同意。マジョリティ性の交差、「複雑性罪悪感」の感覚、といった話も。


