中根龍一郎 "神秘の人びと" 2025年10月30日

神秘の人びと
神秘の人びと
古井由吉
ずいぶん時間をかけて読んだような気がするけれど、Readsの記録によると2か月だったらしい。通読にかける時間としては長く、それでも思ったよりは短かった。そういう読み始めと読み終わりを客観的に振り返れるのはこういう読書ログのいいところだ。 分量としては2か月かけて読むような本ではない。人によっては1日で読めるだろう。私も学生だったら1日で読んだかもしれない。でも古井由吉の踏みしめるような書き味にひかれて、自然と読みも落ち着いたものになった。 ある事柄をうまく説明することについて、言語化がうまいとか、解像度が高いというような表現がはやっている。そういう流行語に乗るなら、この本は、うまくわからない本を読んで、わからないところとわかるところを拾っていき、その「わかる、わからない」という判断に潜む危うさやある種の性急さ、しかしその性急さが時には必要とされることを、よく言語化し、解像度高く書いている。 わからない本を読む時に、なんとかわかる手持ちのものでひとまずの理解の格好をつけて先に進む。その理解はひとつの仮置きだけど、その仮の足場でなんとか進んでいき、どうにか読み終わりや、章の終わりにたどりつく。なんとか見晴らしはあるように思える。でもそこがほんとうに行くべき場所だったのかはわからない。ただ少なくとも、どこかにはたどりついている。読書にはしばしばそういう不安な到達がある。 古井が読んでいるのは12世紀から19世紀のキリスト教における神秘体験を記録したアンソロジーだ。ドイツ語で読んでいる。時代がちがい、文化圏がちがい、宗教がちがい、言葉がちがう。無や、神の超越ということを、ともすれば仏教的・東洋思想的に理解しようとする自身をいましめ、ドイツ語でならうまく意味がとれるところをなんとか日本語にして、そこに取り落としがあることを自覚しながら先に進み、普通に読めば時間の前後関係がうまく通らないところをとまどいながら先に進む。それはあきらかに1994年の日本の非キリスト者の小説家、ドイツ文学者が読むために書かれたものではない。自分のものではない言葉、自分のためのものではない言葉を、古井は常に読み違えながら読み進めている。こちらもその読みかたに同席するような読書になる。それはなかなか幸福な体験だった。
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