チャモピーピーチャマ
@chu_berry
2025年10月30日
スロー・ルッキング
シャリー・ティシュマン,
北垣憲仁,
新藤浩伸
読み始めた
「感性が貧しい」という私の最近のお悩みは、ゆっくり見ることによって方法論的に改善されるかもしれない!といいな
第一印象を乗り越えて、そのまま見る、要素を取り出して列挙する、視野の使い方をあれこれ変えてみるなどのスロールッキングの方策をつかって念入りな散歩(永井玲衣氏の趣味でもある)をしたら楽しそう
終章で、感性(感受性)が貧しいとは、観察を行うべき場面を察知することができないことだという指摘があった。確かに無の時間はスマホを見てしまったりでなかなか意識的にただ見る時間を作っていないかもしれないと反省した。
第1章
ゆっくり見ることは複雑さに対する健全な反応。物事の多面性を理解し評価するためのゆとりを作り出す。(→対立を複雑さの徴候と見なし、複雑さを検証する手掛かりにできる)
第2章
グリンネルメソッド(鳥類学者):FWにおいて鳥の種類と数だけでは取りこぼす情報が多すぎるため、天候や生息環境などの記録項目を厳密に決めた(考察に何が必要かは後にならないとわからないという気づき←仮説検証タイプの自然科学とはまた違っていそうでおもろい)
スプラッタービジョン←おもしろい、視界が広がる感じ
第3章
アレクサンドラ・ホロヴィッツ『見ること』:11人の専門家とそれぞれ散歩をすることで「専門家の目」から世界を見る体験ができる←ゲームさんぽと同じ理念で好き、おそらくこれが元ネタ?
スロールッキングは、第一印象を乗り越えるということ
第4章
記述:何が見えるのか(五感を通じて認識されるような、ものや現象が表面上どのように見えるのか)↔︎物語(時間的な認識、因果にも着目)、説明(分析と解釈)
第5章
現代博物館の鑑賞スタイルと本来の博物館の目的の乖離(自分の目で見ることそのものへの価値が認められているものの、そこから思索にふけることについてはそれほど、、💦)
ファストルッキングは人間の性質上仕方ない?最小限の認知能力で最大限の意味を引き出そうとする
→最初の一瞥を長くとり、持続的な観察に移行することが本来望ましい
構成主義的学習:人間は自らの興味に基づいた経験と反省の往復により世界に対する理解を構成していく(観察→解釈→反省のアートプログラム)
△誤った情報を取り上げ誤った解釈をする可能性→初心者にはわかりやすい絵を提供する?
第6章
自分の目で見ることに価値をおく博物館と、必ずしもそうではない学校
自然学習 ルソー『エミール』にみるような人間の感性を刺激することに力点を置く教育
カリキュラムに沿って指導することの無味乾燥さ、生徒が観察により自ら問いを持つように仕向ける技術が期待されている
第7章
中世自然科学において観察は周縁化(民間伝承や実践知に近いものだと思われていた)しており、第一原則に基づくような推測的な記述が主だった 16世紀後半にやっと「ゆっくり見る」ことが科学の手法としてメジャーに
①19世紀後半:機械的客観性という理想→②訓練された判断力(解釈─パターンの整理や分類、識別の能力を考慮)
③フロイトによる無意識の研究による客観性の再考、科学者の客観性は無意識の主観的な働きに制御されているのでは?
①から③のパラダイムの併存(伊勢田哲治がこの話してた気もする)
第8章
ゆっくり見ることによって複雑さを見極めること、教育においてどの程度の知識で、どのくらいの時間をかけて行うか、取捨選択は必要
複雑さの類型①部分と相互作用②物理的、概念的に多様な視点③知覚者と知覚対象の関わり合い
エージェンシーバイデザイン:部品がどのような相互作用をもち目的を達成するかを知り、その複雑さを理解する←スピノザもそんなこと言ってたかもしれない、これは嘘かもしれない
第9章
「ゆっくり見る」ために備わっていると望ましい気質
①能力 ものを識別しリストアップなどの観察方策を使うことができる
②意欲
③感受性 その行動がふさわしい場面に気づく力
ゆっくり見ない生徒に多いのは感受性の不足(授業中がその“場”であるとわかるが、それ以外の場面ではさっぱり)→いつでも、複数人で観察に取り組める場を作っておくのが適切
「決める」と「見分ける」:知的作業というと「決める」ことが想定されがちだが、(短期的な生産性は低く問題解決を目的としない)「見分ける」ことも課題解決に貢献する可能性がある

