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2025年11月1日
塩一トンの読書
須賀敦子
かつて読んだ
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「これとこれとは、繋がっていない。そう、漠然ときめてかかっていたものがふとした発見、ほんのすこし、自分がそれまで立っていた場所をずらすだけで、風景があたらしくなることがある。」
たしかに。最近もそんな話をしましたね。それは自分だけにみえるものだったりすることもあるけれど、あたらしい風景をみることもそれを物語ることもとても楽しい。
「記憶のなかの本。むかし読んだ本を、まるで反芻するように思い出して、一日のふとした時間のなかで、その感動にひたることがある。」
これもある。その内容というか素晴らしい本を読んだという感動の記憶から、そのときのシュチュエーション、思索や想いまでが湧き上がる。漏れるため息とともにその感動にひたる。それはまた次の機会に思い出される記憶になって、LIFEも物語も続いていく。
素晴らしかった”課題図書”「供述によるとペレイラは」の翻訳者の読書、本についてのエッセイ集に何度も頷いた。本の読み方に“正解”なんてないけれど、ああ、あの読み方も間違ってなかったなと思ったりもして。
その本を手に取ったエピソードから語られる読書日記は勿論、あらすじを詳細に追っていったり、文体から小説を読み解いていく文章でも、彼女の物語も同時に、というかそのものとして語られる。本を読むことで思い出される記憶、湧き上がる感慨。本と読み手の間にうまれる物語。本について書くということは、つまりはその物語を語ることでもあるのだ。とやはり思って、また別の本からの言葉も思い出した。
「文学を語ることはわたしたち自身の人生を語ることなのだから」
最初に読んだときは少し大袈裟かもと思ったあとに納得したラインも、今では間違いないと思っている。









