
おいしいごはん
@Palfa046
2025年11月3日
洗礼ダイアリー
文月悠光
読み終わった
詩人が書く、〈平凡で垢抜けない私〉の記録。文章の言い回しの妙にわくわくしながらも、その内容はびっくりするほど素直な生活の感覚であり、社会との摩擦のうちに起きる〈洗礼〉の記録だったと思う。
穂村弘さんが解説で語るように、この〈洗礼〉は言葉からイメージするような清いものでも社会の厳しさと呼ばれるものでもなく、むしろ社会のおかしさと言えるようなものだった。それは誰かが自分の行為を肯定する時に使われる、あるいは文月さん自身が納得するために使われる「社会の厳しさ」と言ってもいいのではないかと思うようなものだった。
文庫版では、単行本の元となる連載から時間が経っていることもあり、「セックスすれば詩が書けるのか問題」への追記がなされている。個人的にはこれがすごく新鮮で、時代の変化などと共に文月さん自身の考えの変化も感じられたし、昔の自身の発信に対する責任感のようなものも感じた。
最後に収められている「祖母の膝」は他の話以上に私個人の記憶と重ねながら読んだ。自身や他者の「老い」の問題は本当に目を逸らしたいものだが、それでも事実からは逃げることができない。
“人は一人では生きられない。一人で生きさせてはもらえない。周りの手を煩わせ、周りに絶えず煩わされる。そのことを苦痛にも喜びにも感じながら、人は悠々と生きるのだ。”(p.215)



