綾鷹 "街とその不確かな壁" 2025年11月3日

綾鷹
@ayataka
2025年11月3日
街とその不確かな壁
・淋しいひとりぼっちの夏だった。ぼくは暗い階段を降り続ける。階段は限りなく続いている。 そろそろ地球の中心まで達したんじゃないか、という気がするくらい。でもぼくはかまわずどんどん下降していく。まわりで空気の密度や重力が徐々に変化していくのがわかる。しかしそれがどうしたというのだ?たかが空気じゃないか。たかが重力じゃないか。 そのようにして、ぼくは更に孤独になる。 ・からっぽの部分を何かで充たしておく必要があるから、周りにある目についたものでとりあえず埋めていっただけだ。空気を吸い込む必要があるから、人は眠りながらも無意識のうちに呼吸を続ける。それと同じことだ。 ・子易さんは自分という存在の意味がうまく把握できなくなっていたが、そんなことはもうどうでもいいように思えた。自分は親からひとまとまりの情報を受けぎ、そこに自分なりに若干の変更加筆を施したものを、また自分の子供に伝達していくー結局のところ単なる一介の通過点に過ぎないのだ。延々と継続していく長い鎖の輪っかのひとつに過ぎないのだ。でもそれでいいではないか。たとえ自分がこの人生で意味あること、語るに足ることをなし得なかったとしても、それがどうしたというのだ? 自分はこうして何かしらの可能性ーそれがただの可能性に過ぎないとしてもーを子供に申し送ることができるのだ。それだけでも自分が今まで生きたことの意味があるのではないか。 ・孤独とはまことに厳しくつらいものです。生きておっても死んでしまっても、その身を削る厳しさ、つらさにはなんら変わりありません。しかしそれでもなおわたくしには、かつて誰かを心から愛したという、強く鮮やかな記憶が残っております。その感触は両の手のひらにしっかり染みついて残っております。そしてその温かみがあるとないとでは、死後の魂のありかたにも大きな違いが出てくるのです ・閲覧室のいつもと同じ窓際の席に陣取り、そこで脇目も振らず本を読んでいた。その姿は、満開の花の蜜を一滴残らず飲み干そうとしている蝶の姿を私に思い起こさせた。 それは花にとっても蝶にとっても、互いに有益な行為なのだ。蝶は栄養を得て、花は交配を助けてもらう。共存共栄、誰も傷つかない。それは読書という行為の優れた点のひとつだ。 ・「孤独が好きな人なんていないよ。たぶんどこにも」と私は言った。「みんな何かを、誰かを求めているんだ。求め方が少しずつ違うだけで」 ・「あなたのものになりたい」とその少女は言った。「何もかもぜんぶ、あなたのものになりたいと思う。隅から隅まであなたのものになりたい。あなたとひとつになりたい。ほんとうよ」 ・真実というのはひとつの定まった静止の中にではなく、不断の移行=移動する相の中にある。それが物語というものの神髄ではあるまいか。僕はそのように考えているのだが。
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