
ジクロロ
@jirowcrew
2025年11月7日

戦後とは何か
三島由紀夫
ちょっと開いた
「我々は今日、自分のモラルの感覚を云々することはたやすいが、どこまでが自分の感覚で、どこまでが他人から与えられた感覚か、明言することはだれにもできず、しかも後者のほうが共通の様式らしきものを持っているから、後者に従いがちになるのである。」
(『モラルの感覚』)
すべてのメディアとそれらをすべて呑み込む
生成AI、あらゆる様式の化学的生成
ーー「網羅の規模」に準じるアウトプットが
最も確からしいとされるならば、
そのアウトプットを信じないでいることに、
歴史上類を見ない心労が伴う。
現代のそんな様式は、
それまでの知識のストックをベースとして
驟雨のごとく自分たちの「頭」に降り注ぐ。
クリムトのダエナみたく、黄金の雨に快楽。
動物は傘をささない。
そして人間は、
傘をさせないままで不安を身籠るべきなのか。
お利口に過ごすとは、
「雨ニモ泣ケズ、風邪ニモ泣ケズ」。
三島の過ごした「戦後」の日本もまた、
アメリカという驟雨に打たれていたのならば、
三島由紀夫のこの発言は、いやというほど
現代的な響きをもつように思う。
