
花木コヘレト
@qohelet
2025年11月8日
「利他」とは何か
中島岳志,
伊藤亜紗,
國分功一郎,
磯崎憲一郎,
若松英輔
読み終わった
図書館本
利他
五人の執筆者が有名な方ばかりで、「利他」が現代のキーワードだったとは知らず、どんなことが書いてあるのだろうと、興味で読み始めました。結果、読んでよかったです。
読みながらずっと思っていたのは、利他心は、達成が困難である一方、人間(あるいは生命それぞれ)に必要不可欠なものではないか?という問いです。仮に純粋な利他が不可能であったとしても、同時にあらゆる生命は他者への奉仕を必要としているのではないかと、私は思いました。私たちは生涯、利他心を捨てることはできないと、です。
たとえば、友人は自分の鏡です、とはよく言われることです。私たちはその友人を、もっというと、障害者をこそ、人間は必要としているのではないか?と思います。見返りを求めない純粋な利他がなければ、私たちは生きていけないのではないでしょうか?
本書の五つのエッセイで構成されていますが、実際に利他をキーワードとしているエッセイは、伊藤亜沙さんと中島岳志さんの二人(と若松英輔さんがちょこっと)だけ。國分功一郎さんと磯崎憲一郎は、利他とは少し離れたところで論を展開しています。
その中でとても心に残ったの考え方が二つあって、一つは伊藤さんの、利他は自己の変容が伴うことがある、という指摘です。二つ目は、中島さんの、利他は私たちの外からやってくる、という考えです。
一つ目の指摘は、私も経験的に知っています。が明瞭に言語化はできていなかったです。つまり、相手に染まっても構わないという態度が取れない限り、奉仕は必ず一方通行になるという現実です。相手に何かを差し出すときは、自分も何かを受け取る覚悟がないと、奉仕は不可能になるということ。これは誰でも経験的に知っていますよね?
二つ目の指摘もとても感動しました。つまり、奉仕は私たちの想像を超えたところにあって、第三者の介入を信頼しない限り、あるいは自力を超えた力を信じない限り、いつまでも自分の殻に閉じこもったままですよ、ということだと思います。
これは本当にその通りだと思います。人間同士というのは、奉仕を狙っていないときにこそ、本当の奉仕が可能だからです。そこでは私たちは相手に対して無私として現れているのだと思います。これはとても嬉しい「見返り」です。
とても良い本でした。
