ふる
@ful_35
2025年11月10日

読み終わった
著者と自分は生きている世界が違うのだろうか。
以下、感じたこと。
<本のタイトル>
“なぜ働いていると本が読めなくなるのか”という問に対しての内容は少ないので、連載時のサブタイトル”労働と読書の近代史を読む”が本当のタイトルだと思って読むとしっくりくる。
<内容、構成>
よく調べられていて感心する。一方で文献からの引用が多く、言語化する技術の本を書いた人なのに著者の言葉が少ない?と感じた。
元々が連載であるため仕方がないのかもしれないが、ところどころ話の繋がりが不自然というのか、ぶつ切り感があるというか…自分がこのような本を読み慣れていないだけかもしれないが、読み辛く感じた。
自分は文系の論文を読んだことがないが、この本のような感じなのかなと思った(自分の主張を先に述べ、裏付けとなる文献を持ってくる)
<結論>
“働きすぎ”というありきたりな結論でがっかりだった。改めて言われなくてもみんな感じているのでは。(”大正時代から残業は多かった、働きすぎは今に始まったことではない。”ような文脈だったのにこの結論?)
“半身で働く”も上野千鶴子氏の言葉だし、著者が導き出した答えというより乗っかっただけでは。そもそも、それができれば苦労はしない。仕事をほどほどにプライベートの時間を確保しよう、というのは誰でも思い付く発想で、それができないからみなタイトルに釣られてこの本を手に取ったのではないだろうか。
著者は役所•病院•電気ガス水道通信などのインフラに関わる人たちの前で”仕事を頑張り過ぎです、半身で働きましょう”と言えるのだろうか。
“本”というエンタメとも言える業界で、原稿が遅れてもごめんなさいで済む業界で、”半身で働く”ことが許される環境に身を置いた人間のポジショントークでは。そんな想像力のない人が自分に酔った文章を書き、ベストな答えに辿り着いたと良い気分に浸っているのか…
と、ネガティブ思考になってしまい反省しているところ。
人口減少だけど仕事は減らないから働き方改革(有給5日間、ペーパーレス、テレワーク、フレックスetc)、副業、外国人労働者、育休など、労働力を確保するために労働環境を改善して持続可能な社会を目指すための取り組みはとっくに始まっており、国も企業も浸透し始めていると私は感じている。5年前に比べれば確実にプライベートを犠牲にしないで済むようになっている。
”みんなで頑張り過ぎない社会にしませんか”というのが著者の提言だが、そのためのアクションは既に始まっているのに今更そのフェーズの話をするの?と思ってしまった。著者と自分は生きている世界が違うのだろうか。

