
ジクロロ
@jirowcrew
2025年11月12日

ちょっと開いた
「〈病い〉やその苦悩は、私たちを押し戻しもするが引き寄せもし、その傍らに、戸惑いながらもとどまらせるのである。そのとき私たちは、その「傍ら」にいる自身の身の置き方や振る舞いから、〈病い〉に訴えかけられていることに気づくことになる。」
〈病い〉が自己のものであれ他者のものであれ、その言葉が付着する身体と向き合うとき、その〈病い〉が個性的かまたは生命に関わるものであれば、著者の言うように、「戸惑いながらもとどまらせる」力を持つ。
〈病い〉は語りかけてくる、そしてその語りかけてくる対象が身体であるということ。
戸惑わせるのは身体的な共感(共振)のせいなのかもしれない。仮にその〈病い〉を置き去りにするとしても、心はそこに、その〈病い〉を抱える身体にとどまる。そんな経験が自分にもある。その〈病い〉が自分のものであったときも、他人のものであったときも。
〈病い〉というものは、人称を問わず、ただそれを共有するためにあらわれる、もっとも不躾で泥臭い言葉で言うならば「偏愛」なのかもしれない。
