花木コヘレト "悲しみの秘義" 2025年11月15日

悲しみの秘義
悲しみの秘義
若松英輔
水底を流れていく深い藍色のような書物でした。 収められた26編のほとんどすべてが、なにかが過ぎ去っていくことの悲しみに染め上げられていました。 本書を読むことは、からっぽの青空に沈んでいくような、また、日常のうちに潜む密やかな隙間を呼吸するような、静謐な経験でした。 私たち生き物にとって、孤独や悲しみはむしろ滋養となるもので、そこから生まれる感情に身を浸すことは、世界への扉を開く鍵を手に入れることと同義であると、著者は繰り返しているようでした。 著者が本書において伝えようとしていることは、引用されている古典の多さに比べて驚くほど少なく、同じことが角度を変えて、何度も主張されています。 その中で、本書において非常に印象に残ったことは、私たち読者へ、読書をするだけでなく、「書く」という行為に踏み出すことを勧めている箇所です。 言葉を書いてみなくては、私たちは私たちを気づくことはないと、著者は言います。本当の自分に出会うために、詩や文章を書いてみること、それが難しければ誰かの詩をや文章をノートに書き写してみるだけでも構わないこと、この勧めが何度も繰り返されています。 私は短い詩を書く人間なのですが、今まで他の人の詩を書き写したことはないので、早速今から実践してみようと思います。 もう一つ、本書の中で魅力的に感じた箇所は、越知保夫さんの、パスカルに言及している部分の引用です。 「〔パスカルの〕『パンセ』が我々をつれて行く場所は、そのような高みではない。パスカルは我々をもっと低い場所へ導く。もっと空気が濃密な場所へ。」(pp30-31) 私も『パンセ』は一読だけしたことがあるのですが、その時は低く空気が濃密な場所、という意識は持ちませんでした。むしろ涼しい風が吹く場所、小高い山の中腹のような所にある空気を呼吸した感覚でした。だから、著者と越知さんの言いたいことが今の私にはわかりません。 しかし、引用箇所がとても魅力的な文章であることも、間違いありません。誰かと競うように高みを目指すのではなく、人間の常識や、生きて行くための知恵が集まるような場所で、私も生きていきたいからです。 最後に、本書に挿入される、沖潤子さんの布織物とその写真がとても良かったです。本書は文庫本で250ページくらいの、薄くて小さな本ですが、若松さんの珠玉の文章がたくさん詰まった、宝石箱のような書籍だと思います。
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