悲しみの秘義

49件の記録
- はな@hana-hitsuji052025年8月6日かつて読んだふと思い出したまたいつか何年も前に立て続けにつらいことがあって、とどめのように友達が闘病の末に亡くなった時、どうしても、どうしてもこの悲しみを乗り越えることは出来ないと思った日々があって、そんな時にこの本に巡り合った。 そんな時期に読んだので一言一句覚えているわけじゃないけど、なんか映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』のことも思い出された。 いつまでも悲しんでいたら亡くなった人が可哀想、心配するよみたいなプレッシャーを、故人本人から思われるならまだしも何の慰めにもならない赤の他人からそれを放たれたりして、なんとかバランスをとっている最後のピースを奪われそうになった気がしてびっくりするくらいしんどかった。 友達が亡くなった後、耐え難いほど寒く長い冬が来て、こんなにつらい季節を彼が味わわなくて良かったのかもしれないと無理やり意味付けしてなんとか耐えた。 この本は確か、誰かを失った悲しみを肯定してくれたというか、ほっといてくれた記憶。 悲しみがなくなるかなんてわからないし、自分も今もまだずっと悲しいよ、と言ってくれた気がする。 あの嵐の時期に読んだから正確じゃないかもしれないけど、そう覚えてる。 だから時々、悲しくて立ち上がれないしんどい人に出会うと、ずっと悲しくてもいいんだよ別にと思いながらこの本を贈ることがある。 悲しい気持ちを悲しくないとか偽ったり、時間が解決してくれるという言葉を知ってはいるけどまだ飲み込めない期間は絶対あるし、その長さは人によって違う。 今もやっぱりまだ悲しいの風穴は胸に開いたままだけど、それでもまだ生きているな、そういえば。
- 久保みのり|書店よむにわ@kubomisan2025年8月5日読み終わった大切な人を喪った者を最初に襲うのは悲しみではなく、孤独である。だが、逝きし者をめぐる孤独は、不在の経験ではない。それは、ふれ得ないことへの嘆きである。悲しいのは、愛するものが存在しないからではなくて、手が届かないところにいるからだ。(p.144「孤独をつかむ」) この本を手にとれてよかった。読みはじめ、読み終えることができてよかった。点滅社『鬱の本』のように、これから何度も読み返すと思う。今年4月、母方の祖母が亡くなった。6月には、父方の祖母が倒れ意識を失った。かけてくれた言葉、つくってくれたご飯。何度も何度と思い出すけれど、もう味わうことはないのだな。寂しい。それでも、私の中に生き生きとおばあちゃんがいて、孤独に「ようこそ、これが人生です。おめでとう御座います」と祝福されているようだ。
- 久保みのり|書店よむにわ@kubomisan2025年7月23日読んでる「愛するとは、それが何であるかを断定しないまま、しかし、そこに語りえない意味を感じ続ける営みだとはいえないだろうか。誰かを愛し続けているとき、私たちはその人と生きることの、尽きることない意味を日々、発見しているのではないか。」(p.038-039) どうして夫と一緒にいるのだろう、いたいのだろう。そんなことをフラフラ考える日々に光をくれることば。なんらかの意味を感じている、だがその意味は固定されることはなく、これからも更新され続ける。なんてワクワクするのだろう。悲しく、寂しく、腹が立つ、そんな側面もある結婚生活・人生だが、発見がある。嬉しい。
- だるま@daruma_01062025年4月28日読み終わった大切な人を失った親にプレゼントするために読んだ。読んで、私も心震えたし、親にも自信を持って贈れると確信した。全ての小編がかなしみや死を扱っているわけではないけれど、通底する低音みたいなものがとても静かでかなしみに満ちている。
- Rie@rie_bookdam2025年3月8日かつて読んだ大切な一冊本棚に“若松英輔さんコーナー”があるくらい、若松さんの本が好きです。 読むたびに、いつも考えさせられる。生きるヒントをくれる。人生に寄り添ってくれる。“コトバ”の大切さと重み、読書の魅力と良さを教えてくれたのは若松さんです。