ジクロロ "中野本町の家" 2025年11月16日

ジクロロ
ジクロロ
@jirowcrew
2025年11月16日
中野本町の家
中野本町の家
後藤暢子
「これはとてもリアルな表現かもしれませんが、なんというか、(中野本町の家、話者の母が施主である住宅が)「墓石」みたいな感じがするのです。未亡人になった女性がその時点で個人に戻り、ひとりの女として人生を新しくはじめたいと思うのはごく自然なことではないでしょうか。わたしでもきっとそう思うとおもいます。ところが小さい子供がいるとなると、そのような気持ちも抑えなければなりません。母であり家庭の人であるということに自分の人生を統合した、というふうに理解しました。そのときわたしにはこれが「墓石」みたいに思えたのです。」 夫との死別に伴う感情と決意が、建築の裡に含まれているということ。 「思い」が「かたち」になったもの、それが「墓石」と感じられるということ。 住宅史において歴史的な価値を認められながら、それが壊される宿命に至ってしまう。 「資産」という普遍的合理性から一般的に導かれる「保存」という判断よりも、感情とか決意といった(過去における)刹那的な非合理性に対する「断絶」や「破壊」という個人的合理性が勝るということ。 そして極めて個人的な合理性こそ、ときに悲劇性を伴う非合理として現れる。 つまり、合理的な都市に暮らす人間は、個人単位としては「自然」ではなく、基本的には「非合理的」な存在であるということ。 いわゆる一私人における「負の遺産」に対する、どこか切なさと寂しさを伴うドキュメント。 「思い」が「かたち」になりたがっている、そんな衝動を自己の裡に感じるときに読み返す本。
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved