
たにこ
@chico75_11427
2025年11月17日
孤独の時間。
群像編集部
読み終わった
本当にいろんな人が執筆されてた。(ここで東出昌大さんや山本奈衣瑠さんの名前を見るとは…)
孤独を愛する人、孤独を苦手とする人、孤独がないとダメな人、孤独と縁があまりない人、色んな人の色んな孤独に対する感じ方があって、同じ人類なのにこうも違うものか、と面白かった。
「孤独の時間」というざっくりしたテーマだったのが逆に色んな人の孤独についての考え方が垣間見れたので良かったな〜
解説されてる方もいて、哲学のプロは一味ちがうなと思った。
個人的には孤独は寂しいけど、どうしても1人になって他人と距離を置きたいと思う時があるタイプの人間です。


たにこ
@chico75_11427
「孤独の時間。」の中で好きな文章や感想↓
一川 華 「やわらかな輪郭のなかで、孤独は踊る」より
わたしは今でも、母がつけておいてくれたあの明かりの中で、一人さみしく舞っている。とってもきつい。とっても温かい。ここは苦しいことだらけです。でも、みんな苦しいのなら、苦しくないかもです。現に、流れ出る涙はひどく温かい。あなたの涙も、きっと温かい。やわらかな輪郭のなかで、孤独は踊る。
一穂 ミチ 「TKを聴きながら」より
孤独と孤独が混ざり合っても、寂しさが薄れるわけじゃない。ただ、他者の孤独に触れることで自分の孤独を愛することはできる。孤独を育ててきた年月も一緒に。
伊藤 亜和「ずっとみていて。」※感想
自分も同じで、大勢の中にいる時に急に孤独の発作が起こる。居心地の悪さも感じるからそそくさと離れるけど、それはそれで苦しくなるし、でも孤独の時間がないと辛い時もある。似たような考え方をする人がいるって安心した。
稲垣 論「孤独からさみしさだけを引き算する」※感想
さすが哲学教授!孤独の本日をデカルトを引用して本人の理論展開をされている。すごい。
社会から意図せず切り離され、取り残され、忘れ去られる。そうした孤独はなくすべきだ。しかし人とともに生きるかぎり、さみしさからは逃れられない。
職場でも、大学生活でも、子育ての最中でも、人々との交流から切り離され、ふとひとりになって空を見上げるとき、さみしさはそこにない。むしろそこにあるのは、自分が誰でもない自分であり、ひとりである実存だけである。そこに物語はまだない。でもその時間があるから物語は立ち上がるはずだ。
岩内 章太郎「十分間の」より
一日に二度訪れる、十分間のひとりきり。孤独と呼べるか分からない代物である。しかし、それは、私が生きて死ぬまでのこの時間は、ほかならない私のものなんだと感じるためのもの。一日に二回、生きていることを感じられるのなら、人生捨てたもんじゃない。
上野 千鶴子「ひとりの時間」※感想
ひとりが悪いか?ひとりでいて何が問題か?いや本当にその通り。1人の時間が好きな人はもちろんいる。ズバッと言い切ってカッコいい。
孤独とさみしさは違う。孤独だからさみしいわけではない。
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たにこ
@chico75_11427
加納 愛子「選択」より
選択とは、孤独と向かい合わせだ。本心に忠実であろうと、何かに左右されていようと、選択した自分と対峙するその瞬間は、誰にも介入することができない。そして人生はその孤独な選択の繰り返しだ。その一つ一つが良いも悪いも、私には分からない。
塩田 武士「孤独の表現」※感想
SNSの発達によって昔より孤独を感じやすくなったのはリアルだと思う。SNSと孤独をうまく表現されてて良かった。SNSはさみしさを紛らわせたいがために使うが、孤独を拗らせて過激化する危険性があるってのは本当だなと思った。実際に某SNSでは対立だったり誹謗中傷が飛び交っているから。
武田 砂鉄「無表情で乱れ打ち」より
車内で一人になって笑顔が消えた次の瞬間、スマホでなにがしかを乱れ打ちしている光景が好きで、その時、その人は孤独なのかといえば、もちろん、それはその人にしかわからないし、その人にもわからないかもしれない。孤独を考えるのは難しい。孤独についてこうして複数人で見解を出し合うこと自体孤独じゃない感じもするし。
中島 梓織「ひとりじゃないけどひとり」※感想
誰かと繋がっていたいけど、相手や環境に適応させすぎて薄い膜を張ってる。そんな自分から元に戻るには孤独の時間が必要。私もそういう時があるのでめちゃくちゃ共感した。孤独をテーマにしたこのエッセイで一番共感した気がする。one of themは気が楽、本当にそう。
宮地 尚子「『自分との打ち合わせ』と『自分との待ち合わせ』」より
ひとりの人間の中には、いくつものリズムが流れている。「早く次のことしようよ」と急かす自分もいれば、「ねぇ、おいていかないでよ」とあえいでいる自分もいる。自分の中にもいろんな自分がいて、それぞれの自分が、心の中では別の時間にいたり、別の場所にいたりする。そのことを忘れず、魂のレベルでちゃんと自分を待ってあげること。いろんな自分と深いところでつながり続けること。
「自分との打ち合わせ」と「自分との待ち合わせ」。それは別のことのようで、同じことなのかもしれない。
ひとりの時間は、とても豊かな時間である。