
jirowcrew
@jirowcrew
2025年11月18日
43歳頂点論
角幡唯介
ちょっと開いた
「四十になると何者かになり惑わなくなる。これが中年の自由の正体だ。それまで行動を押しとどめていた様々なものからの解放。自由になった結果、二十代の頃のような自己存在証明のための行動は不必要となり、ギリギリとしたストイシズムからも解放される。
年齢を重ね、自分というものが固まってきて、自己存在証明が必要なくなると、何かに届こうとして頑張る必要がなくなる。
そのときはじめて、ただ面白いからそれをやる、という純粋行為の世界が広がる。」
「ただ面白いからそれをやる」
働いている40代の大半は、それに憧れはするがたいていは実践できないと思われる。
いつまでも惑うからこその人間ではないのか。
「ただ面白いからそれをやる」
子どもの頃は、人目を気にすることなくそれができた。
物心つくとき、それは自分や周りの大人たちが万能ではないと気づくとき。それに気づくということは、自分を外から見れるようになっているということ、つまり他者から見られていることを意識するようになっているということ。そのまなざしに、何か試されているような気がしてしまうこと。「自己存在証明」の必要性に人知れず迫られるということ。
40を過ぎると、若い頃に比較すると周囲から期待されなくなる。だから自分の好きにやれるようになる。というよりも、いい具合に鈍感になっているといったほうが正しいのかもしれない。
まなざしというものは、現代人である自分が自分自身に強いる監獄(ごっこ)のようなもの。孤独であるからこその一人二役、見張りと囚人。
それもまた、「ただ面白いからそれをやる」として捉えられたらなおのこと面白いだろうと思う。
著者の言うようなことは、当たり前にはできないからこその自分なりの抜け道。