43歳頂点論
36件の記録
海辺で読書@seasidehotel2026年1月8日読み終わった昔から冒険家、過酷な旅をする人に憧れる 自分には出来ないからだと思っていた 極夜行を読んだ時もそうだった 極限の地に向かって挑戦する その凄みは、死という事実がないと伝わない だから、極限の地に向かったものが還ってこないと震える その震えは自分の生き方を振り返り、自分は生に対して真剣かなど考え、そこで生まれる感情から更に挑戦がいかに凄いものか実感する 43歳 そんな捉え方、見え方があったのか ただ、私は性の違いからか35歳くらいから違和感を感じ38歳には実感し始めている気がする 43歳過ぎた時に振り返りたいと思った- もふもふ毛布@mofu-mofu2025年11月26日買った読み終わった20代30代を自分の思い通りに過ごせて、やりたいことをやりきった人は、40代をこういうふうに受け止めるのだなぁと、うらやましい気持ちで読んだ。角幡さんは、今も何者かにならなくてはならないという考えのままなのかと思って読んでいたが、最後のほうにそうではないと思える文章があり、安心した。「この年になって気付くのは、若い頃に恐れていた類型的人生などじつはこの世界にただのひとつも存在しないということだ。人は誰しもそれぞれ異なる道を歩むなかで、少しずつ他人とズレながらその人自身になってゆくのである。」(p176〜177)


ジクロロ@jirowcrew2025年11月18日ちょっと開いた「四十になると何者かになり惑わなくなる。これが中年の自由の正体だ。それまで行動を押しとどめていた様々なものからの解放。自由になった結果、二十代の頃のような自己存在証明のための行動は不必要となり、ギリギリとしたストイシズムからも解放される。 年齢を重ね、自分というものが固まってきて、自己存在証明が必要なくなると、何かに届こうとして頑張る必要がなくなる。 そのときはじめて、ただ面白いからそれをやる、という純粋行為の世界が広がる。」 「ただ面白いからそれをやる」 働いている40代の大半は、それに憧れはするがたいていは実践できないと思われる。 いつまでも惑うからこその人間ではないのか。 「ただ面白いからそれをやる」 子どもの頃は、人目を気にすることなくそれができた。 物心つくとき、それは自分や周りの大人たちが万能ではないと気づくとき。それに気づくということは、自分を外から見れるようになっているということ、つまり他者から見られていることを意識するようになっているということ。そのまなざしに、何か試されているような気がしてしまうこと。「自己存在証明」の必要性に人知れず迫られるということ。 40を過ぎると、若い頃に比較すると周囲から期待されなくなる。だから自分の好きにやれるようになる。というよりも、いい具合に鈍感になっているといったほうが正しいのかもしれない。 まなざしというものは、現代人である自分が自分自身に強いる監獄(ごっこ)のようなもの。孤独であるからこその一人二役、見張りと囚人。 それもまた、「ただ面白いからそれをやる」として捉えられたらなおのこと面白いだろうと思う。 著者の言うようなことは、当たり前にはできないからこその自分なりの抜け道。























