
おとわ
@otty1211
2025年11月22日
私が間違っているかもしれない
ナビッド・モディリ,
キャロライン・バンクラー,
ビョルン・ナッティコ・リンデブラッド,
児島修
読み終わった
感想
この本を読んでいる間は、僧侶が話し掛けてくれてるような感覚になる。
始終ずっと瞑想しているかのような本。
それでいて、ふと、あれ、私ってブッダの元で生きてるんだろうか、と思うほど近い感覚なんじゃないかと思った。
心の中に空白を作ること。
今の世の中だと、常々たくさんの情報が入ってきて脳が休まる暇がない。
私たちが一日で触れる情報量は、江戸時代の農民が一年で得る情報量らしい。
あまりにも脳みそがギュッとなり過ぎている。
私は娘が習い事に悩んでいた時、習字を勧めてみた。
忙しい世の中で、何か目の前のことに静かに向き合える時間があれば、それはリラックスになるかなと思った。
習字を習ってた友達が口々に「あの空間が好きだった」と言っていたからだった。
瞑想を兼ねた習い事になるかなと思ったのだった。
字は下手なんだけど。
私も私で、仕事と家事と育児と推し活から離れて読書をするのは、半ば瞑想に近いのかもしれない。
人によって頭と心を空っぽにする方法は違うのかもしれないけど、何か、手のひらを開放するような方法を持っておくのは生きる上で武器になるんだと思う。
ちなみに私は全く著者の紹介を読まずに、この本を読み始めたのだけど、途中でふと立ち止まって表紙に戻ってみたら、はああああああとこの本がベストセラーになる理由が分かったような気がしました。
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理性を休ませて、静かに心の内側に目を向け、耳を澄ますことが、おそらく今ほど難しく、必要とされる時代もない。
理性は召使であり、直感は神の贈り物である。人間は召使を敬い、贈り物を忘れた社会をつくった。
混沌は人を戸惑わせる。だが、無理に秩序を強制しようとすれば、すべてが台無しになることもある。
赦すことがいかに自由への鍵になり得るか
心を感情に占拠されないようにする


