
Ryu
@dododokado
2025年11月22日
ひとごと
福尾匠
読んでる
「ポシブル、パサブル」だけ読み返した
「空間とはpossible なものの空間であり、それは放っておけるということと(あてもなく)通過できるということにおいてpassable だ。そもそも可能と不可能は対称な関係にない。不可能なものは絶対にできないが、可能なものはありうるがそれはたんにありうるだけだ。そこにはミニマムな複数性がすでに埋め込まれている。そしてそのつどの可能なものに私がくっつき、それとともに私は「いてもいいし、いなくてもいい」ものになる。パンデミックによってどこにいてもそこが「いるべき場所」か「いてはならない場所」のいずれかでしかないような状況において、あるいはもっと広く、つねにSNSやGPSや閲覧・購買データのトラッキングによって「そこにいるのかいないのか」、「どこから来たのか」と探られるような状況において求められるのは、どこへ行ってもおなじだという居直りでも、ユートピアとセットになったグローバリズムでも、あるいは独りで閉じこもるプライバシーの権利主張でもなく、いてもいなくてもよくなることではないだろうか。」(71-2)
