
jirowcrew
@jirowcrew
2025年11月24日

はじまり
クレール・マラン,
藤澤秀平
読んでる
「「思考において始原的であるもの、それは不法侵入であり、暴力であり、敵である」。つまり、それは危険なもの、わたしを脆く、不安定にするもの、身を固く守るわたしに課せられるもの。いつもの道を外れざるをえなくするもの、わたしを回り道させるもの。はじまりとは、現実がわたしたちに切り傷を負わせ、挑発し、わたしたちを動揺させるとき、思考が「不法侵入によって、世界の偶然から生まれ出る」まさにその瞬間のこと。私の注意を否応なく集中させるものとの偶然の出会いこそ、「思考するという受難」の根源にあるものだ。」
p.95
思考のはたらきは免疫に近いのではないかとふと思う。外部からの偶然の侵入に、思わず発動してしまうところ。
しかし免疫と異なるところは、最終的に、その暴力的な偶然という裂傷を、自身の身体(記憶)に、物語として取り込もうとする受容性、その包容力ではないか、とも。
