DN/HP "鬱屈精神科医、占いにすがる" 2025年11月28日

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2025年11月28日
鬱屈精神科医、占いにすがる
この本に書かれている春日先生の人生に常に付きまとう「不安感と不全感と迷い」そこから滲み出てくる自己嫌悪や無力感、それらは原因やかたちは違えど、わたしの人生にもわりとべったりとこびりついている。最近座右の銘にしているように「気にしなくていいことは忘れるに限る。」のは分かるし、そうしたいけれど、そう上手くはコントロール出来るものでもなくて。 「そんな黒々として不透明」でなんかちょっとベタついている気もするものが心の中に広がるのを自覚しつつ生きていかなければいけないとしたら、どうするべきなのか。 過去を振り返り悶絶し哀しみながら原因を探り、反省して、それでも許せない他人に、世間に、世界に、あるいは運命を司る「神」にまで不満や悪態をスピットしまくる。それでも駄目ならば、一線を超えて「胡散臭さ、いかがわしさや——そのようなトーンを強く帯びたもの」と感じている「占い」のようなものにも自分を委ね「すがる」しかないではないか。そしてそれを文章にし本にするのだ。 とはいえわたしにはまだ、そこまで遠く深く過去を振り返る覚悟も、スピットする語彙も勢いも、一線を越える気も、勿論本にすることも出来ないけれど、それならどうするか。こんな本みたいに、同じようなものを抱えている、と思い込める人が過去を遠く苦しみを深いところまで辿った私小説のようなエッセイのような文章を読むのだ。 他人の人生とそこにある苦しみを「わかる」とは簡単に言うべきではないけれど、それでも湧き上がってくる強い共感がある。ですよね、から言い過ぎではを経由して、流石にそれは、までも行き切ってしまうスピットされる悪態に苦笑しながらも最高だと思う。共感の頷きや、声や身振りで表したい最高の代わりに、大切にしたい言葉に付箋を立てる。幾つもの言葉が集まってくる。それらの言葉に、それが書かれた本に、少しだけ寄りかかりながら、境界線上でふらつきながらも、わたしもまだなんとかやっていきます。そんな風に思えてくる。 これも結局面白い本を読むと元気が出るよね、というところに着地する話なのだけど、それは「『救い』に似た事象」なのだとも思う。少しカジュアル過ぎる気もするけれど、今回も含めて春日先生には何度か勝手に救われたことがあるのだった。
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