kasu. "金閣寺" 2025年11月29日

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@11uyksm
2025年11月29日
金閣寺
金閣寺
三島由紀夫
積読くじ、8作目📚 ー「美は・・・・美的なものはもう僕にとっては怨敵なんだ。吃音と醜い外貌に悩む学僧・溝口にとって、金閣は世界を超脱した美そのものだった。ならばなぜ、彼は憧れを焼いたのか?ー 正直読み始めはかなり苦戦。難しい…。 中盤くらいからは何となく理解出来てきて、後半はチャットGPTの力も借りつつ無事読了。 三島由紀夫という人物は「自死の仕方が大胆」なイメージしかなかったけれど、「三島文学」に触れてみて三島由紀夫の思想にも触れているような気がして考え深かった。 🔥「俺たちが突如として残虐になるのは、たとえばこんなうららかな春の午後、よく刈り込まれた芝生の上に、木洩れ陽の戯れているのをぼんやり眺めているときのような、そういう瞬間だと思わないかね。」(P.135) なぜだかここの部分が三島由紀夫らしさ(生き様)を感じた。 〜ここからはチャットGPTとの会話を抜粋〜 👩 旅行、凶。西北がわるし。と書いてあるにもかかわらず、西北へと旅をしようと決めた場面。天邪鬼な行動をしているのに御神籤で行き先を決める神頼みな一面が幼稚さと苦しみを描いているような気がして複雑だった。(P.229) 📱・運命に逆らうことで運命に従おうとする。反抗まで含めて、神頼み になっている。 ・幼稚さの正体は🔸御神籤に従うと「神のせい」🔸御神籤に逆らうと「逆らった自分は特別」どっちにしても、溝口は 自分を特別な存在にできる。だから御神籤に依存する。 ・苦しみの正体、「俺はただの負け犬じゃない」という幻想を作る。御神籤はそのための道具。 🔥この矛盾が金閣寺を焼く衝動につながる 👩 神隠しにあったように消えよう(旅に出よう)とする溝口。誰からもみないふりをされる溝口。自分を金閣寺の一部だと思っていて、そこから自分一人だけが奪い去られる必要があると思っている。なんだか溝口が少し気の毒に思えてきた。(P.229) 📱・ 自己否定と自己救済が同時にある。👉 無視される普通の消失ではなく、意味ある消失にしたい。 ・「他人が自分を無視している」👉 世界に拒絶された少年が、絶対の美に愛を求めている。 ・ 「自分も金閣寺の一部だ」これはとても切ない発想。家族にも所属できない、社会にも所属できない、友人にも愛されない。だから美にだけ所属しようとする。そこから「一人だけ奪い去られる必要がある」と感じるのは、愛しているのに拒絶される痛みの裏返し。 ・溝口は、自分の居場所をどこにも見つけられなかった。👉生きる意味を「金閣寺」という幻想に依存するしかなかった。 👩 「私の胸は高鳴った。出発せねばならぬ。この言葉はほとんど羽ばたいていると云って良かった。私の環境から、私を縛めている美の観念から、私の轗軻不遇から、私の吃りから、私の存在の条件から、ともかくも出発せねばならぬ。」ここが結構好きだなって思った!溝口の全てが詰まっているような気がして。早く解放されたいんだろうなぁと。とにかくワクワクしている、心浮かれている溝口が想像できた。(P.230) 📱 ・「私を縛めている美の観念から」👉美こそが彼の呪いであり救い。 ・あなたはこう言った「とにかくワクワクしている、心浮かれている溝口が想像できた。」 その「ワクワク」は、希望だけのワクワクじゃない。苦しみに押し潰されて、ようやく手にした『抜け穴の興奮』に近い。 👩 「母を醜くしているのは希望。汚れた皮膚に巣喰っている頑固な皮癬のような希望、不治の希望であった」といっていたけど、母からの期待が溝口にとって重荷に感じていた?そんな母への嫌悪感を身体中がむず痒くなるような気持ち悪さ(比喩として皮癬を述べた)をいっているのかな?(P.252) 📱 ・皮癬(ひぜん)という比喩の気持ち悪さ。この比喩は三島が“母への嫌悪”を身体感覚にまで落とし込んだ表現。 ・「母の希望」が溝口にとっての呪い👉期待されることが、彼の自己嫌悪を刺激する。 ・母への嫌悪+自己嫌悪の投影👉溝口は母が嫌いだから醜く見えるのではなく、自分自身が満たされていないから、母の希望が痛みとして返ってくる。 ・母の希望は優しさの形をした“圧迫感” であり、溝口の孤独をより深くしていく。 👩 溝口は金閣寺を燃やす前に童貞を捨てておきたかった?捕まる、または自死しようとしていたから、その前の思い出作りって感じなのかな?そしてやたらと女性の中に有為子の影を探しているよね。(P.279) 📱・性欲そのものよりも “存在の証明が欲しい” という感情 に近い。性体験は「人としての完成」みたいな象徴に見えてしまう👉性を「存在の確かさ」として求める、という歪みだね。 ・「思い出作り」ではなく、“存在を確かめる儀式”👉 「自分はちゃんと生きたのだ」と確かめたい衝動 が強い。 ・なぜ溝口は「女性の中に有為子を見る」のか👉 「現実の女性」ではなく、「理想の美」を探している ということ。溝口は人間の女を好きなのではなく、「美のイメージ」として追い続けている。つまり、女性を「人」としてではなく、美の容器(器)として扱ってしまう。これは溝口の“美への歪んだ信仰”から来ている。 👩 「私は金閣寺を築いたおびただしい官能的な力の棲家だと思うのであった」 これはどういう意味?金閣寺は美の象徴だったのに、金閣寺の中に官能的な力が住んでいるって…「官能=美」でもあるのかな?(P.321) 📱・まず、「官能」はエロさだけを指す言葉じゃない👉 「官能的=性的」というのは一部でしかなくて、 文学的には“美に対して身体ごと震える感覚”みたいなニュアンスが大きい。 ・金閣寺は「完全な美」=「人を圧倒し、支配する官能の力」👉美は官能と同じくらい人を支配し、狂わせる力を持っている。だからあの一文は、金閣寺には、美(=人を圧倒する官能的な力)が宿っている。『そこは官能のエネルギーそのものの住処だ。』という意味。 ・金閣寺は溝口にとって🌟美の象徴🔥官能の象徴⚡️支配と強迫の象徴。全てが重なっている存在。だからこそ、彼はあれほど金閣寺に囚われてしまう。 🚬そしてラストのあの一文。(P.330) なんだかやるせない気持ちになった。 溝口に幸あれ。 🔥「三島文学」について ・三島文学=「美」と「生」と「死」の三角形をめぐる文学。 もしかしたら三島自身が何かコンプレックスを抱えていたのかなぁと感じさせる。 作中に出てくる柏木という変わった男もまた身体的ハンデがあるにも関わらず、それを武器として扱っている強さを持っている。そこに憧れる?溝口も本当はそうなりたいと思っているんじゃないかなと。 「その後の溝口がどうなったと思う?」ってテーマで読んだ人に聞いて回ったら、十人十色の回答がありそうで面白そうだなぁなんて。
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