white bird "「死」を考える" 2025年11月30日

「死」を考える
職業柄、人の生死についてよく考えていて、生きるとか死ぬとかなに?死ぬってなに?と悶々と考えていて、ある映画を観た時にそういう本じゃないと答えはないのかもと思って手に取った本。 これを読むまでに考えていた自分なりの考えは、 ・生と死は分けられて考えられがちだけど、一直線でこの世に生を宿した瞬間から死に向かっていること ・死はわからない ・人の死に際、死ぬ瞬間、死んだ後はその人のこれまでの人生を表している ・死は常に隣り合わせであること、ごく自然であること ・死んだら何もなくなるということ ・残された人の中には色々な思いで(特に負の感情は長く居座る)その人が残っていること ・人が死んだ時は泣いた方がいいし、その人との思い出を共有できる人とポツリポツリとでいいから話した方がいい ざっとあげてこのくらい。 似たようなことが書いてあって、やっぱり死はわからない、だって死を経験した人から話は聞けないし、自分が死ぬ時はなにも残らないのだから。と。それでも、悶々と考えてしまうのはそういう人間だからなのかしら。わからなさを受け容れる以上、死と向き合う道はないらしい 私たちは他者のコピーで生きていて、他者に生かされている。自己認識も他者からの存在意義で成り立っている、そう思うと自分とかないんだな〜と思って、自分が生きている理由とか自分はどういう人間なんだ?!とかそんなの考えたって仕方がないね〜♪という気分になった(そもそも3年に1度くらいしか考えないけど!) ここまで長々と書いてきたけれど、印象に残った言葉たち 「作り直した日常がそれなりに過ぎていくと、悲しみの重量は少しずつ少しずつ、軽減されていく。そして、それに替わるように、寂しさの濃度が増してくる。さらに長い時をかけて、寂しさは懐かしさの中に紛れていく。衝撃で塞き止められた悲しみの時間が流れ出したとき、われわれも自己を取り戻し始めるのだ。 ただし、悲しみは決して消えるわけではない。それは寂しさや懐かしさの底に沈み、慢性の疼痛のように続く。痛くても生きられるようになるのだ。」  p.134 「わからない他者のわからない苦しみを、ああだろうかこうだろうかと、己の想像力を総動員して察し、こうすればいいか、ああすればいいかと、あらゆる手段を尽くして解消しようと努力する。」  p.174 これらの言葉は私が仕事する上で感じていたこと。こんなにもしっくりとくる言葉で書かれてしまって、思わず泣いてしまった。千手観音のように仕事をしていきたい。
カササギ
カササギ
@Kasasagi_shobo
とてもためになる抜粋をありがとうございます 私もいま死についてとてもよく考えます けれど、今は読めない状態なので、引用の文章にとても惹きつけられました 本当に、しっくりとくる言葉ですね 痛くても生きられる、そんな実感の中を私も生きたいなと思いました(^^)
white bird
white bird
@shiawasenina__re
あなたの素敵な言葉でコメント機能があることを知りました。 長々とした、拙い文章を読んでくださりありがとうございます。私だけではないということ、心が救われました。
カササギ
カササギ
@Kasasagi_shobo
あ、私もよく機能を把握しないままコメントしてしまったのですが…^^; せっかくフォローさせて頂いているので率直な感想を送らせていただきました、はい。 SNSの魅力のひとつにこんな風に自分も必要としている言葉が届くメッセージボトルのようなものだと思っているので…たまーにまたこんな風に突然話しかけてしまうかもしれません どうぞこれからもよろしくお願いします^ ^
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