あるく "安全に狂う方法" 2025年11月30日

安全に狂う方法
依存症について学びを深めたくて読んだが、ページを進めるにつれ自分の社会に適応した偏見が溶けていく感覚がした まず本書は依存症ではなくアディクションという書き方をとっている。依存は能動的な言葉で、あたかも自分でそれ(アルコールや薬物など)を選んだような意味合いをはらむが、実際はそれにとらわれ主体性を失っている状態である。 また、アディクションは傷ついた自己を回復させるための手段であり、ある意味社会に適応するためにしたことだ。目的と手段が逆転し自己がそれに乗っ取られてはじめて問題として浮かび上がるが、アディクション自体は誰もがしている アディクションとは痛みを抱えて生き延びる手段で、依存症の回復は社会への適応にすぎず、それは自己の回復を意味しない。 社会復帰できたとしても、その時自己を壊すレベルのアディクションへ突き動かしたエネルギーは残ったままだ。 自己=思考ではない。むしろ最も抜け出しにくいアディクションは思考という指摘にはぎくりとした インターネットには剥き出しの思考が垂れ流しになっていて、読んでいくうちに自分の思考の流れが決まり、それに固着していく。身体と頭が解離して、固着した思考が自分だと定義されてしまう。 現代社会の病理そのものにも切り込んでいる本だと思う
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