橋本吉央 "国宝 下 花道篇" 2025年11月30日

橋本吉央
橋本吉央
@yoshichiha
2025年11月30日
国宝 下 花道篇
◎ぐいぐい読める「常にハイライト感」 時間の流れとしては50年以上の長い物語だけれど、ぐいぐい進んで一気に読めた。映画は見ていないが、おそらくだいぶコンセプトが違いそうな気がする。 どこまで行っても、喜久雄が芸(歌舞伎)にどう向き合うか、芸を極めた先に何があるか、という軸が中心にあり、時にそこから大きく離れても、重力に引っ張られるようにまた戻ってきて、むしろ速度は上がっているような、そんな読書感。 長い時間であり、紆余曲折ありつつも、かなり「ハイライト的」に岐路となるシーンをピンポイントに描いて繋いでいくような印象だった。なんだかんだ、その中で出てくるキャラクターたちはみんな「芸を高めようとする喜久雄」には基本的に大きな流れの中で味方であり、それがさらに読んで気持ち良い感覚に繋がるのではないかと思う。「出てくる人みんないい人な物語」が好きだが、その一つでもあるように思う。詳細に見ていくと、もちろんそうではないよ、というプロットなのだけれども、描き方でそう感じさせているような。 あと、やっぱ全部読んで改めて、文体が良いなと思った。芸の世界に引き込ませてくれるような感じ。 ◎「芸を極めること」の意味とは 芸のためなら他の何をも捨てていい、という悪魔との取引、みたいなエピソードが出てくるが、それがこの物語の本質であり、さまざまなものを削ぎ落としながら、芸を極めた先の景色を見る、というその瞬間に、50年の全てが集約されるような、そんな目の眩む感じがした。 最後に描かれる、芸を極めた先の風景とはなんなのか、わかるようでわからない、きっと本人にだけは見えている、そんな究極の世界……それを求め続けること、「求道」していくこととは・・・という問いを、頭に残されたような感覚。 ◎役者の世界は「推し活」の元祖 丹波屋の女将である幸子や春江が、贔屓にしてくれているお客に挨拶に行くというシーンがよく描かれる。客側の視点はないからそんなに感じないが、歌舞伎(などの芸事)こそまさに「推し活」の元祖。推されること=自分達の芸術的・経済的価値が高まることに直結する世界でもあり、そのシビアさはじわじわと感じられた。「ご贔屓さん」に飽きられ、捨てられたら終わりというリスクをいかに下げるか、芸そのものではなくオペレーション的なところで取り回す歌舞伎の家の大変さ、もきっとあるのだろう。 オーケストラの定期会員とかもまさにそうだよな。のだめカンタービレでマルレオケのエピソードがあったのを思い出した。
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