
碧衣
@aoi-honmimi
2025年11月30日
聖なるズー
濱野ちひろ
読み終わった
動物性愛は獣姦と何が違うのか、種族の違う者同士が心を通わせ、愛し合うことは可能なのだろうか。
そもそも、同じ種族であるヒト同士は本当に心を通わせ合っているのだろうか──。
長い間、性暴力の被害に遭って来た中で恋人としての愛情とそれに絡まる性愛の意味が分からなくった著者が動物性愛について調査するために赴いたドイツで世界唯一の動物性愛者の団体に所属する動物性愛者(通称ズー)との交流を始める。
ズーたちは何よりもパートナーである動物との対等性を何よりも大切にし、言葉を持たない彼ら彼女らとの中で生じ、発見されるやり取り(=パーソナリティ)に魅了される。
そして、パートナーである動物を愛玩動物として「子供視」するのではなく、性的欲望を持つ成熟した存在として丸ごと受け止める。
ズーの中には生まれながらのズーと、後にズーになっていく人がいる。
生まれながらのズーは読んでいると何かの手違いで人間に生まれて来てしまった動物のような哀愁を感じ、後にズーになる人の自身のセクシャリティを決めるという考えは私にとっては目からウロコだった。
そんなズーたちの世間の風当たりは強く、動物性愛は精神疾患のひとつとして捉えられている。
最後まで読んでみても私にはズーと動物が心を通わせられてるかについては半身半疑だった。
それは言葉を持たない動物たちの本心はこちらには分からないからだけど、同じ言葉を使うヒト同士でもその人の本心が理解出来たとは言い難い。それはむしろ言葉がある故なのかもしれない。言葉はいくらでも取り繕えてしまうから。
そして私自身が誰かと心を通わせられたという実感がないのもあるのだと思う。著者と同じように純粋に動物を愛するズーたちに対しての羨望があるのかもしれない。