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M市のR氏
M市のR氏
@aoi-honmimi
  • 2026年8月21日
    骨を喰む真珠
    ─咳に効く奇跡の薬。そして、ある一家の秘密。 大正時代、大阪の新聞社に身上相談として届いた手紙にただならないものを感じた婦人記者・新波苑子は、手紙の送り先の丹邨(にむら)邸に潜入する。 そこには、あまりにも若すぎる製薬会社社長夫人の姿や手紙の送り主で丹邨家の長男・孝太郎の様子と彼に無理やり食事をさせる両親の姿、それを淡々とみつめる影で一家を牛耳る存在。一家を観察する苑子に射抜くような視線を向ける社長秘書。そして、持病がある苑子に与えられた丸薬。そこから結びつく伝説の存在が物語に大きく関わっていく。 グロテスクな描写がありつつも全体的にライトな印象で、作中の人物たちの察しがいいことから早く物語が進むけれど、それ故に淡白にも感じてしまう。アクの強さやおどろおどろしさが足りないことが物足りなく感じて人物描写も踏まえて惜しいという感想だった。
  • 2026年8月15日
    友情
    友情
    新進脚本家の野島は友人の妹・杉子に恋をした。彼にとってはじめての恋だった。美しく、清く無邪気な杉子は自分が結婚するのに相応しい相手だと思った。野島は杉子に夢中だった。 常に杉子に会いたかったし、他の誰かと結婚してほしくなかった。杉子に悪く思われたくないし、嫌われたくなかった。彼女を失いたくなかった。自分が病気になった時は他の者と笑わないで自分のことを気にかけてほしかった。そもそも自分は彼女に相応しい相手なのか(ぐるぐる) そんな野島の恋を親友の大宮は心から応援してくれたが、この恋の結末はあまりにも残酷だった。 大正に書かれたとは思えないくらいに本書は読みやすかったし、主人公の野島の言動には、おまえは森見登美彦の小説の主人公かと思ったほど(時代的にこちらの方が先だが)。だけど、最後の勇ましさと情けなさが混ざり合う場面は彼の魅力となったと感じた。 一方で障害と情熱をもって結ばれた恋人たちに対しては、果たしてその情熱がいつまで保つのかなと少し冷ややかな気持ちで見届けた。
  • 2026年8月13日
    掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集
    三度の結婚と三度の離婚を経験し、シングルマザーで四人の子供を育て、自身が書いた小説が没後11年目にして日の目を浴びる。遥か昔の芸術家のような運命をたどった著者の実体験に基づく24篇の小説集。 いわゆるブルーカラーの職種に就いていた人間が書いた小説が注目されたことに興味を持ったけれど、もともとは学校を飛び級できるほどの才女でおまけに三度も結婚できるほどの美人。正直に「なぁんだ」とがっかりしたことを否定できない。そして、作者の小説的技法のすごさも絶賛される理由も分からなかった。 だけど、物語の語り手が幼少期によかれと思ってしたことが思わず裏目に出てしまう事態には共感を覚え、アルコール依存症の祖父と母親からの暴力や学校での居場所がない絶望感から唯一、守ってくれるアルコール依存症の叔父の存在を心強く思う。そんな語り手自身もいつしかアルコール依存症となり、アルコールを求める必死さがリアルに伝わる。 鉱山町、テキサスの貧民街、召使いつきのチリの屋敷、ニューヨーク、メキシコなどで掃除婦、刑務所での創作指導、認知症の父親やガンで末期の妹の面倒を見る。この多彩な人生経験のどこまでが事実でどこまでが創作なのかは本人のみぞ知るというのはある意味壮大なミステリーのようだ。
  • 2026年8月10日
    ホテル・バルザール
    ホテル・バルザール
    巨大なオウムを連れた伯爵夫人は、戦地に行った父親の帰りを待つ少女に語る七つの物語。それは少女に何をもたらすのか。 ホテル・バルザールの屋根裏部屋に暮らす少女マルタはホテルの客室掃除の仕事をする母親の言いつけを守り、小さなネズミのように静かに過ごしていた。ある日、ホテルの宿泊客としてやって来た全身を真っ赤にまとった伯爵夫人に招かれたマルタは、オウムに変えられた将軍、絵を通して神と通じられる修道女、美しい歌声を持つ少年、眠れない王さま、少女とキツネ、道に迷った老女とサーカスの綱渡りの物語を聞かされる。果たして、これらが意味することとは…。 信じることは疑うことよりも勇気がいる。あらゆる困難を乗り越えた先に奇跡は訪れる。よくも悪くもこの本そのものが「物語」なんだと思った。
  • 2026年8月8日
    悪魔が来りて笛を吹く 金田一耕助ファイル 4
    ─笛を鳴らす悪魔はいったい誰だ。 昭和22年、白昼の宝飾店を阿鼻叫喚の地獄に変え世間を震撼させた「天銀堂事件」の容疑者とされた元子爵・椿英輔氏が失踪した。その後、戦火から焼け残った椿邸から始まる連続殺人に金田一耕助は挑む。 不気味なフルートの音色、いたるところに提示される火焰太鼓、さまざまな場所で目撃される椿子爵の影。そして、美貌の元子爵夫人を含めた椿邸の人々。彼らが放つ歪さはやがて思いも寄らない形を見せる。 椿子爵にとって犯人はまさに「悪魔」であっただろう。しかし、悪魔を悪魔たらしめたのは果たして誰なのか。かつての特権階級の人間の醜悪な戯れから生まれた悲劇は、どこまでも悲劇しか生まなかった。 個人的には、事件後に残された者、特に椿家の外側の人たちのその後が気になる。
  • 2026年8月4日
    少女ソフィアの夏 新版
    少女ソフィアの夏 新版
    母親を亡くした少女ソフィアとおばあさん(時々パパ)との夏の小島での日々。 ソフィアの遊び相手のおばあさんは孫娘を気にかけているが、決して猫かわいがりはせず自然に接している。それゆえにお互いに本気でむきになって言い争うこともしょっちゅう。 10歳前後と思われるソフィアがテントで一人で過ごすことになったある日、夜の怖さからおばあさんのいる「客部屋」に駆けつけてもおばあさんは中に入れようとはしない。それはソフィアのことを信頼しているのもあるし、たとえ祖母と孫でもパーソナルスペースに対する意識の強さがあるのを感じて、その辺は日本とは異なる感じがした。 憎悪を覚えるほど懐かない猫と知人の人なつこい猫とを交換した際に前の猫のことを愛していたと気づくソフィアは、なかなか難儀な性格をしてるなと思ったけれど、ソフィアは著者のトーベ・ヤンソンの姪っ子がモデルとのこと。 次第に反抗期を迎えるソフィアと、体の衰えや記憶の忘却、様々なことに興味を失っていくおばあさんは島での夏をあの後、どれくらい過ごせただろう。そして、成長したソフィアはどんな大人になったのだろう。
  • 2026年7月28日
    誰も知らない色の物語 色の美しい世界にときめき、知識が深まる本
    植物や宝石、おとぎ話、時、宇宙。世界のあらゆるものの色の名前に隠された物語をたどる一冊。 同じ黄色でも、中世以降のキリスト文化では「裏切り者の色=不誠実な色」とネガティブに捉えられていた一方、古代中国では皇帝しか身に着けられなかった特別な色だったといった国や宗教によっての認識の違いはおもしろいと感じたし、「推し色」という概念は歌舞伎の頃から存在していたことに驚き、当時の歌舞伎の人気のすごさを改めて思い知った。 「樹上で完熟した柿の実が秋の日差しに照り映えたようす」を表した照柿や、「東の空がピンクともオレンジともつかない日の出前後の時間の雲の色」を表した東雲色などの情緒を感じさせる名前は素敵だと感じるが、それが行き過ぎるとこの世界のあらゆるものの色に名前をつけることや、イメージカラーをあてがうことはどこか支配や所有といったエゴを感じて、ロマンを通り越して傲慢に思えてしまったのが残念だった。
  • 2026年7月26日
    テスカトリポカ
    メキシコの麻薬カルテルの売人と元心臓血管外科医の日本人。互いに野望を持つ二人の男の出会い、そこから発展する闇のビジネス。 侵略者によって滅ぼされたアステカ、神への生贄、心臓移植、無戸籍児童、暴力、裏切り…曝け出される世界の暗部、倫理観を持たない人間たちの非道な行い、それを上回る無垢なる脅威。それはまさに純然たる暴力の神のよう。 苛烈なアステカ信仰を邪教とまでは言わないが、同じ人間でも決して分かり合えないものを本能的に感じる。そして、作品世界の「暗部」は決してフィクションではない。蠢く有象無象、水面下にはあのシェルターが存在しているかもしれないことに、何よりも恐怖を感じる。
  • 2026年7月20日
    動物たちがみた戦争
    動物たちがみた戦争
    戦前、海外の各地に動員された数多くの動物たちに焦点を当て、彼らが写された新聞写真をAIでカラー化し、遠い時代の戦争を身近に感じさせ次世代への記憶の継承を試みた本書。 色がつくことで日よけの帽子をかぶる軍馬や兵士に寄り添う軍犬のかわいらしさなどを強く感じる。だが、それらは政府や軍による国威発揚、戦意高揚のプロパガンダとして反映された「虚構の現実」を写したものとされる。 そして、その写真のカラー化も本来の色は決して分からないことからある意味「フェイク」となる。色づけられた虚構はさらに真実味が増し、それが真実か虚構かを見分けるのを困難にする。それは昨今のフェイクニュースや情報操作への危機感をも提示している。 物言わぬ動物たちの写真のみならず、世の中にあふれるさまざまな事象から見えてくるものの背景や真偽を正しく読みとることができるだろうかと不安になる。虚構に踊らされないためにはどうすればいいのだろうか。
  • 2026年7月19日
    禍
    ──これは禍か、それとも祝福なのか。 口、耳、目、肉、鼻、髪、裸。人体に備わるものたちによる奇妙な物語。 口から伝わる物語への没入感。人の耳に潜り、体の持ち主を操る優越感。視線から接続される灰色の世界はただの夢なのか。痩せた妻しか知らない男はいつしか肉の塊のような女たちに異常な執着を見せ、鼻は培養され、耕され、そして削がれる。髪にまつわる新興宗教の後継者の引き継ぎの儀式は異様を極め、電車内で起きた裸にちなんだ変事は世界中に波及し、やがて文明そのものが変わっていく。 ホラーという触れ込みだったが、どちらかと言えばSFの傾向が強めな印象で、四作目の「柔らかなところへ帰る」に至ってはSF通り越してもはや神話のようだった。 どの物語も客観的に救いはないのだが、当人たちはどこか幸福そうに見える。彼らの身に起きたことは不幸な出来事ではなく新たな世界への一歩なのだろうか。
  • 2026年7月15日
    プリズン・ブック・クラブーーコリンズ・ベイ刑務所読書会の一年
    ジャーナリストの著者が2011年からカナダの刑務所で読書会のボランティアを務めた一年間の記録。 読書会に参加する以前、強盗に襲われ、その時のトラウマを抱えていた著者がギャングの一員や殺人、暴行の罪で収監されている受刑者たちと接するのは、相当の覚悟が必要だっただろうことが容易に想像できる。 読書会で受刑者が発する鋭い指摘や示唆に富んだ言葉に感心し、やがて彼らに親しみを感じていく。更生に対して前向きな受刑者たちは言うなれば“上澄み”の存在で、彼らの行く末の意外性のない展開は正直物足りなく感じたけど、実際はこういうものだろうと納得もした。 個人的に刑務所読書会を主催し、著者にボランティアの参加を促したバイタリティにあふれる女性キャロルのことがなぜか好きになれなかった。受刑者たちのために行動することを惜しまない志の高い人物だけれど、それ故の押しの強さと「施す側」の姿勢が気に入らなかったのだろう。
  • 2026年7月9日
    闇の奥
    闇の奥
    かつて、貿易会社で蒸気船の船長として雇われた船乗りマーロウは、象牙の交易が行われていたコンゴでの出来事を語り始める。 奴隷労働と病に苦しむ黒人たち、志は低いが自身の出世のために互いに腹の探り合いをしている現地の社員たち。そんな彼らが噂する謎の人物クルツ氏にマーロウは興味を引かれる。 やがて船は密林の奥へと進んで行き、自分たちが支配していると思われていた場所の原始的な恐怖に襲われる。そして果たされるクルツ氏との対面。 作中には、貿易会社の本社で編み物をしている二人の女、頭を測る医者、コンゴの出張所で不自然なほど身ぎれいにしている会計士、クルツ氏の信奉者の道化師の姿をしたロシア人青年というどこか奇妙な人々が登場するが、彼らにはどんな意味合いがあったのだろうか。 本書が植民地主義のみならず、人間の根源的な闇をも描いている話だということは分かるが、それではどんな話だと問われると困ってしまう。
  • 2026年7月7日
    ギャシュリークラムのちびっ子たち
    ギャシュリークラムのちびっ子たち
    AからZのちびっ子たちが様々な悲劇に見舞われる。読み手側には一切の事情は知らされない、ただただ不条理。 以前から読んでみたかったエドワード・ゴーリーをたまたま図書館で見かけて手に取った。思ったよりもサイズが小さい絵本なのに少し驚いた。翻訳の柴田元幸氏の解説によると、作者はイギリス人ではなく、アメリカのシカゴ生まれで、子どもの頃は外で元気に缶蹴りをしていたというのは作者の作風からは意外に感じた。それはそうと他の気になる作品も読んでみたくなる。
  • 2026年7月6日
    屍の街・夕凪の街と人と
    ──天に焼かれる。 原爆被害の当事者でもある女性作家が原爆症で次々と死んでいく人々を目の当たりにしてまさに決死の思いで書き上げた「屍の街」。 戦後から八年、原爆の被災地では平和大橋や軍用道路の建設や緑地化など外側の復興が進む中、「復興」のために立ち退きを求められる市営住宅や違法建築の家を建てて暮らす人々、そして、原爆で傷ついた「声を上げられない」人々をないがしろにする社会を見つめた「夕凪の街と人と」。 未知の暴力にさらされたことへの混乱、被災地の外側にいる人間の無関心に対する憤り、原爆や原爆症についての研究は進んでいるが、被害者たちの精神的なケアについてはまったく触れられないことへのもどかしさ。 なぜ、これらの話を体験記ではなく小説という形にしたのだろう。なぜ生の体験ではなく、フィクションにする必要があったのだろうか。それは単純に彼女が作家だからなのだろうか。 戦争に限らず破壊からの復興のあり方について考えずにはいられない。
  • 2026年6月29日
    生命活動として極めて正常
    イージードゥダンス二年、突如、システムから弾き出されて生活が一変した。電子決済が使用できず、ほとんど廃れた現金を得るために物を売る。そこで各国で出生率を一定にするために「工場」で出産が行われているという噂を耳にする。その子供たちの精子、卵子提供をつつがなく行う方法とは…ふざけた感じだが、あり得ないとは言い難い近未来を描いた「バズーカ・セルミラ・ジャクショ」 体育会系のシンデレラは王子にスカウトされ、強豪城のテッペン(王妃の座)を目指す「踊れシンデレラ」や、ある有料老人ホームの「姫」をめぐる真剣勝負を描いた「老ホの姫」、高い確率で人身事故に出くわす電車の運転士の能力と会社の理不尽とギャル短歌、そして命の価値について考える「ダイヤは命より重い」の7編の短編集。 シュールな世界観にやたら詳細に書かれる社会システムなどの解説。それがまた物語のシュールさを感じさせる。
  • 2026年6月26日
    ペンツベルクの夜
    ペンツベルクの夜
    この殺戮を胸糞悪いとしか表現できない自分を呪いたくなる。 第二次大戦末期の1945年4月28日、南ドイツの炭鉱の町ペンツベルクで一日にして16人の市民が「処刑」された。 フィクションの少年の目が捉えた同胞による非道な行いは、後の裁判で加害者全員無罪によって幕を閉じる。 間近に迫った平和の前の悪夢。打算的な加害者たちは責任をなすりつけ、許された。ならば、遺された者たちのやり場のない思いはどこにぶつければいいのか。 いまだに繰り返される戦争と殺戮。なぜ過去から学ばないのか?なぜそれを選択肢に入れてしまえるのか?為政者でもない、当事者になったことのない人間の戯言に過ぎないが、愚かな行いを繰り返す世界に腹の底から怒りが湧いてくる。
  • 2026年6月24日
    800番への旅
    800番への旅
    人は誰しも何かのふりをして生きている。それなら、私は何のふりをして生きているのだろう。 12歳のマックスは再婚した母親が新婚旅行に行っている間、ラクダ使いの父親ウッディとトレーラーでの旅をすることに。ぎこちない父子の関係やどうしても好きになれないラクダとの旅の道中で出会った少女サブリナを始め、マックスは自分とは異なる環境で生活している人々と接することになる。それはいつしか両親の過去へとつながっていく。 子供の世界で学校に「普通に通う」ことと「誰かの支援によって通える」ことは大きな違いだし、進学校で同級生たちに溶け込むため「普通」になろうとするのは子供ならではの処世術だ。そんな子供に父親がしてくれていた“ふり”に子供は何を感じただろうか。 感謝を求めない相手に対して、ありがとうよりも深い特別なことばを送りたいと思っていたマックスが最後に父にした行いは言葉以上に特別だったのではないだろうか。
  • 2026年6月22日
    イオカステの揺籃
    妻が男の子を妊娠した。美しい母は壊れた。 ある家族の中の禁忌、封じられた過去の記憶。 夫と妻、母と息子、母と娘、愛と呪い。 狂っていく母・恭子が実母から悪意と呪いを向けられ続けた過去の回想が作中で一番きつかった。「女」であることの否定は彼女の心を蝕み、それらは時を超えて娘への呪いとなる。 アップデートを試みても決して変わらない人の本質。狂った妻と母を赦し、むしろ彼女に対する愛を強固なものにした鈍感な男たちと欲しい愛を得られなかった女たちとでは決して分かり合うことはできない。 果たして母になるということは悲劇なのか、それとも救済なのか。
  • 2026年6月18日
    直感の学校
    直感の学校
    心理学の科学的研究とスピリチュアルな非科学的な視点で直感を熟達、ひらめき、第六感、エンパス、スピリチュアル、シンクロニシティの六つに分類し、それぞれの特徴と練習方法が記され、直感を日常に取り入れる方法を提案する一冊。 そのやり方としてはイメージをする、今ここに意識を持つ、瞑想、体に注意を向けて、感覚を磨く、相手のエネルギーを感じる、大いなる力を想定するなど。 自分はどちらかといえば合理的で自分の判断に自信が持てないタイプなので世の中の多数決や正しいと思える方法にすがって安心したい傾向がある。だから、以前からこうした直感に判断を委ねてみたらどうなるのかというのに興味を持っていた。瞑想は以前からやり出していたので、その他のものも取り入れてみたらどうなるのか実験してみたい。
  • 2026年6月15日
    目でみることば 有頂天
    グロッキーはラム酒の水割り?ちちんぷいぷいの生みの親は春日局?狼狽は空想上の生き物? 表紙の「狸寝入り」がかわいらしいシリーズ三作目。燕尾服、鷹揚、烏の行水、千鳥足や、蒲焼き、菱形、松葉杖など鳥や植物を用いた言葉が多い印象を受けた。それらが当時の人々の身近な存在だったことがうかがえる。 本書の中にある「財布の紐が堅い」の財布がどんな形のものかという筆者の疑問に対して、これまでそんなこと考えたことすらなかったことに気づいた。そういうものは他にも数多くあるだろうな。 言葉が生まれた時代から時を経ても多くの人が当然のようにそれらを使っていることを不思議に思いつつ、生き続ける言葉というもののすごさを感じた。
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