
碧衣
@aoi-honmimi
- 2025年11月23日
日本殺人巡礼八木澤高明読み終わった週刊誌のカメラマンとして様々な事件現場を渡し歩いてきた著者が、 人を殺す人間とそうではない人間の違いを探すため罪を犯した者達のルーツとなる土地を訪れる。 山口県の限界集落、北関東、東京ノースエンドとイギリスのイーストエンド、北海道とネパール、東北の農村地帯、長崎のキリシタンが移住してきた島、差別を受けた男が立てこもった旅館──。 土地の歴史と犯罪を絡める手法は斬新だと思うが、私にはいささかこじつけ感が否めない部分が多かったように思う。 西日本や九州では竹細工を営むのは賤業で下駄屋はかつて差別の対象だったことを私は知らなかったし、知ったとしても意味が分からなかった。 現代の日本で暮らす私の感覚からしたらそういった職業差別やカースト制や女性は父や夫や子供に従属するといったヒンドゥー教の教義には正直、反吐が出る。 職業のみならず人種による差別、貧困、家庭環境、戦中戦後の食糧難… その対象になる人すべてが罪を犯す訳ではないけど、その線引きはいつだって曖昧だと感じる。 - 2025年11月20日
ラッシュライフ伊坂幸太郎読み終わった仙台で連続ピッキング窃盗やバラバラ殺人事件が起きている中、金で買えないものはないと自負する男は連れの若い女にある賭けを持ちかける。 その間、律儀な泥棒は謎の文字と数字が書かれた紙を拾い、青年は「神」の解体を目撃する。ある女は不倫相手の妻を殺害する計画を実行に移そうとし、リストラに遭った中年男は老いた犬と街を彷徨う。 ページを開いたらまさかの二段組みに全私が驚愕。 久しぶりに伊坂作品を読んだけどやっぱりおもしろい。 要所に散りばめられていく伏線を回収していくのも、登場人物たちの行く末を見ていくのも楽しい。 人物の描写が上手いから嫌な人物がしっぺ返しにあったり、情けない人物が立ち向かったり、意図せぬ勝利を掴む描写にはカタルシスを感じられる。 その中に黒澤のような人物や「神」のような存在が同居しているのがまたおもしろい。 山賊に殺される旅行客から見えてくる正しさの角度、内臓と神に対して出来るのは声に耳を傾け、最善を尽くし、祈ることしか出来ないこと、人がいつも無造作に潰している蚊と神はそんなに変わらないのかもしれないなど伊坂さんの神についての考えは興味深い。 すべてが終わりながらも絶妙に後を引く幕引きに登場人物たちのその後を想像したりする。 - 2025年11月17日
爆弾犯と殺人犯の物語久保りこ読み終わった12月、隕石の落ちた公園で出会った彼女に─正確には彼女の左目に埋る義眼に男は一目で惹かれた。 月日を経て二人は夫婦となったけど彼らには秘密がある。 妻が左目を失った原因はかつて自分が作った爆弾のせいだということ。彼女はそれを知っているのか、知っていたとしてなぜ男と一緒にいるのか、そして彼女の秘密とは… 話としては読みやすいけど、何か好きじゃないなと思っていて何が好きじゃないのかと思ったら語り手である男(星子)の台詞の気持ち悪さだということが分かった。作者の意図なのか技量から来ているのかは分からないけど。 メインの話の他に妻(小夜子)が左目を失ったのと同軸で車に轢き逃げをされて12年間眠り続けた女性とその恋人の話と、漢字が好きな少年と中学校教師の女性、絵の才能のある高校生と彼に好意を寄せる少女の話の関連性はあったのだろうかと考える。後者の2編はなんとなくこれかなというものがあるけど、もう1編は果たして必要だったのだろうか。 起きた出来事に耳を塞ぎ、口を噤んだ先とそれぞれの母と子の向き合い方。果たして因果はどこまで巡るのか。 - 2025年11月15日
読み終わったSMに2億使った66歳ベテランM男性、小学生の頃から馬になりたかったブーツフェチ、需要がないから自分で作品をリリースするおならフェチ、切なくて情けないのがいいレインコート・マニアにマントフェチ、痛めつけられる他人を自分に重ねた末、全身傷だらけのM男性、選び抜かれた精鋭・監禁マニア、第三者が物を踏みつけるのに性的興奮するクラッシュ系に視覚障害者のM男性、そして身体改造マニア───。 M男性と一括りに言ってもその嗜好はまさに十人十色。 まるで魔境に迷い込んだ気分だ。 読んでて思ったのはM男性は好奇心が旺盛だし、こだわりと探求心が強い人が多い印象だった。 それと、割と早い段階から自身の性癖や嗜好に気づいていた。 私自身は痛いのも汚いのも嫌いだが、読んでる分にはある程度流せてたけど、人体改造で男性器を割いてる文章は自分にはその器官がなくても脳が想像することすら拒否するくらいキツかった。私にはMの素質もだけど、女王様の素質もないのはよく分かった。いや、なくても別に良いんだけどね! M男性の話の間に挟まるSMの歴史や昨今のSMクラブ事情、SM雑誌の栄枯盛衰は興味深かった。 - 2025年11月11日
ダークツーリズム井出明読み終わった戦争や災害、病気や差別や公害といった土地の影の側面の悲しみの記憶を巡るダークツーリズム。 19世紀末、外国貿易の拠点港として栄えた小樽で大正13年に起きた爆発事故。近代化のために働き、亡くなった人に触れる展示や現地に慰霊の場もない。 栃木県の足尾銅山から流れた鉱毒の影響のため北海道に移住を余儀なくされ、”栃木地区”として土地を開拓した人々。そんな足尾銅山が現在も有害物質が下流に流れないための監視を続けているのには驚いた。 監獄食を食べ、コスプレを楽しみながら学びを得られる網走刑務所はダークツーリズムの理想形だと著者は語る。 西表島では多額の借金を背負わされ、各地から連れて来られた人々が島の内部でしか使えない地域通貨を持たされ危険な炭鉱の労働に従事させられた隔離と搾取の構図が本当に悪辣。 熊本の水俣病、ハンセン病、旧三井三池炭鉱の労働争議は近代化によって、公害の被害、優生思想の下の隔離、各種の労働災害や労働運動がもたらすコミュニティの亀裂などの負の側面だなと思わされる。 長年、繰り広げられた独立闘争が津波によって収束したスマトラ島のバンダアチェと同じ被害を受けたタイのプーケットとの復興のアプローチの違いは興味深い。 韓国の光州事件の直後に権力側によって消されようとした関連施設を住民が身を挺して守ったことから権力側の都合や意図で負の遺産を消そうとするのは許されないし、それらを残すことで戦争や災害の教訓や無知から来る差別をなくすことへの戒めにもなる役割を担うのは理解出来るが、負の遺産があることによって辛い思いをする人の気持ちを蔑ろにするのも違うと感じる。その辺をどう折り合いをつけるのかもこの先、大切なのではないかと思った。 - 2025年11月9日
小箱小川洋子読み終わった死んだ子どもはガラスの小箱の中で成長する。 彼らを愛する人たちは彼らの成長に合わせた必要な物を入れ替える。 一度、役割を終えた幼稚園と郷土史資料館が子どもたちの魂の成長する場所という新たな役割を担っている。 遺髪を竪琴の弦にする。月に一度、幼稚園の遊具を使う。わが子が歩いた地図の世界の中で暮らす。彼らを愛する人たちが証明する彼らの存在と不在。 子どもたちは一体、どこへ行ってしまったのだろう。 “私”の視点で見た子どもたちの無防備な愛らしさ、子どもを想う人たちの痛々しいほどの愛に何度か泣きそうになった。 169頁の「ただし従姉と私にとって、一人の作家の死は、世界の欠落ではなく広がりを意味した。新しく読むことのできる本が増えるのだから、死を悼む心の裏側にはいつも、読書の喜びが控えていた。」は本書の中で印象的な一文だった。 - 2025年11月7日
コゴロシムラ中村明日美子,木原音瀬読み終わった四国にある猪神を祀る神社の取材に同行したカメラマンの仁科は道中、数々のトラブルに見舞われた後に一軒の家に辿り着く。 高齢の老婆が一人で管理するその大きな平屋の家で夜を明かすことになった仁科は真夜中に奇妙なモノを見る。 そして、後に彼は神さまと出会うことになる。 産婆が複数の子供を殺したことで「コゴロシムラ」と呼ばれるようになった村。山崩れで建てた祠が壊れた後に病気になった人々。これは果たして呪いなのだろうか─。 ずっと読んでみたかった木原音瀬さん♪物語の内容に真新しさなどはないけど、そこに異質な存在感を放つ神さまの存在。人間の常識が通じない異様な美しさと独特の美意識を持つ彼はまさに野生の神だ。その神に魅せられ、付き従う仁科はまるで殉教者のようだ。 - 2025年11月4日
読み終わった走行していないけどエンジンが掛かっている=アイドリング状態の自動車のように「集中してないけど脳が働いている状態」を『アイドリング脳』と名付け、そこから生まれるひらめきが生まれるメカニズムから潜在意識を科学的に研究する神経学者の著者。 以前からひらめきや潜在意識について興味があった私にはうってつけの本だと思った。 アイドリング脳の他にひらめきに欠かせない記憶。 一つのことを記憶する時、脳の中で何が起きているのか。 ニューロン(神経細胞)情報を伝え、海馬が記憶を形成し、短期的に留め、扁桃体が情報を過去の記憶と照らし合わせ、感じ方を評価する。海馬の記憶を大脳皮質がコピーし、長期的に保持する(大脳皮質にコピーされた海馬の記憶は消去される)。 突然のひらめきや独創的なアイディアはゼロから生み出されるというより、無関係な考えの思いも寄らない組み合わせの産物だと著者は言う。 大事な情報を選抜し、脳に定着させるのは起きている間には出来ないので睡眠がひらめきには大事とされる。 そんな睡眠前に関心のあるテーマについて熟考(解決方法を見つけようと)するのではなく、テーマにただ浸る(集中せず、本気で関心を寄せず、目的もなく思いを巡らせる)と翌朝にアイディアを思い付く確率が高くなるとある数学者でAI研究者は語る。 そんなひらめきや直観が現れたらそれに従って行動してみる。 まずは日常的な小さい所から。それでどんなことが起きるのかちょっと楽しみ。 - 2025年11月2日
霊能動物館加門七海読み終わった石の狐、手水舎の亀や竜。普通の人間より神仏の近い動物達。 何故、人は彼らに畏怖を覚え、神に近いものを見るのか。 日本における人間と彼らの一筋縄ではいかない関わり。 日本の生態系の頂点のニホンオオカミとお犬様として親しまれる魔除けと盗難除け、そして憑きもの落としを得意とする大口真神は同一のものとされていた。 最古の動物神が狼で最多の動物神である狐は積極的に人の世界に関わる。狐が人に憑く時、益を成す場合は「神憑り」、悩ませる場合は「狐憑き」と呼ばれた。 巳とも呼ばれる蛇の「み」という音は日本では神酒や神子などの尊いものや、神に近いものに用いられ、神の「か」は春に角が生え変わることから再生する生命の象徴である鹿に通じる。蛇も脱皮することから再生と不死のシンボルにされた。 そのふたつの音を持つ「かみ」は生死を超越した存在を表している可能性がある。 一方、古代では鬼を「モノ」と称した。モノとモノノケは同様の意味になる。 雀は時に化け、祟り、人に害を成し、鶏は鳴くことで太陽神を呼び朝日をもたらす。 昔は黒い烏ではなく、白い白鳥が死の象徴だった。 日本では本来は海神の眷属だった人魚。その肉を食べた八百比丘尼の異質さは人魚を水銀同様の仙薬として考えられていた古代中国から来ているのではないかという考察は面白かった。 なるほどと思うことが多かったけど、情報量が多くてあまり集中して読めてなかったのが勿体なかったな。 - 2025年10月26日
買えない味平松洋子読み終わった炊きたてとは違う冷やご飯の美味しさ。野菜と肉を家で干して食べる。手入れしてきた黒漆の平椀からのぞく栗の年輪に喜びを見出す─。 日常の中にあるおいしさ。それは買えない味。 こういう丁寧な暮らしの本を読むと自分も何か取り入れてみたいと思うのだけど、お手入れ嫌いの使い捨て好き、そもそも物を増やすことが嫌いな私はほとんどを実践することなく終わるだろう。だけど、本書の中の写真をみているとちょっと良いお皿が欲しくなった。 個人的に88頁の「つい三月ほど前までは、台所の水に肌をさらすのが一瞬ためらわれたのに、くちなしの花が咲くころともなれば、蛇口をひねると手がよろこんで水を迎えにいく。」という一文が印象に残った。くちなしの花が咲くのは6月から7月というのをこの時まで知らなかった。こうやって植物で日常の四季を表現出来る人に憧れる。 - 2025年10月25日
町中華とはなんだ 昭和の味を食べに行こう下関マグロ,北尾トロ,町中華探検隊,竜超読み終わった中華料理屋なのにカツ丼やオムライスが置いてあり、庶民的な価格でお腹いっぱい食べられるけどちょっと入りづらい町中華。 昭和以前から営業して来た町中華の店舗が高齢化の波に押されて続々と閉店していく現状を憂いた物書きたちがまだ、町中華という呼び方がメジャーではなかった2014年に町中華探検隊として都内の町中華を食べ歩き、町中華の楽しみ方、そして、確かにあった町中華の記憶を記していく。 どうせ食べるのなら出来るだけ美味しいものを食べたいと思う私にとって、店によって味にムラがある町中華で博打をするのはかなりハードルが高いと感じる。 歴史的な重みがある訳でも味が特に美味い訳でもない、むしろ不味い店がなぜか生き残っているのは利用する人の食生活動線にその店が存在するからだという考察には納得がいった。 探検隊の面々が町中華を巡っている間も町中華の店はどんどん閉店している。いつかは町中華という文化もなくなってしまうのだろうか。そう思うとなんとも惜しまれる気持ちになってくる。 - 2025年10月24日
飼い喰い 三匹の豚とわたし内澤旬子読み終わった長年、世界の屠畜現場を取材してきた著者が屠畜場に送られるまでの家畜の流れを知りたいと思うようになり、都内から千葉県に移住して種類の違う三匹の豚を飼い育て食べるまでの記録。 序盤の物件探しの段階から既に雲行きが怪しく未知なことばかりなので基本、行き当たりばったりが多い。それでもなんとか豚を迎え、彼らに名前を付けて育て始める。 かつては農家が庭先で片手間に豚を育てていた。そんな時代が過ぎ去り、家畜と一般の人間との間に垣根が生まれているから色々と実感が湧かない。 冷たいまでいかなくても結構、ドライな面があると思っていた著者が豚の屠畜前に車で追突事故を起こしたり、豚たちを食べた時に帰ってきたと思うのは間違いなく愛情があった証拠なのだろう。 それでも彼らを食べる。やっぱり実感が湧かない。 - 2025年10月19日
からだの美小川洋子読み終わったイチローの肩から精密な体の連携を感じ、トゥーシューズに包まれたバレリーナの足先からは不可能を体験した肉体の感動を味わう。 棋士の指先から対戦相手はただの敵ではなく、理想の棋譜を描く協力者であり、旅の同伴者としての視点を得る。 アスリートやプロフェッショナルではないレースを編む人の手にはその人の生きた証が刻まれ、銀色に輝くオスのゴリラの背中にか弱いものを庇護する印を、地下の暮らしに無駄な毛皮を脱ぎ捨てたハダカデバネズミの皮膚に崇高さと美しさを感じる。 そして、赤ん坊の握りこぶしの中のいいお天気な世界に引き寄せられる。 小川洋子さんが見つめる美しいからだの世界。小説じゃないのに小説を読んでるようでなんとも心地良い気分だった。 - 2025年10月16日
読み終わった共感性の低いパートナーと心の通わない日々を過ごす内にうつやストレス性の心身の不調を発症してしまうカサンドラ症候群。 遺伝的、または養育、環境的に共感性が低い人の特性(アスペルガー症候群や回避型パーソナリティなど)と逆にカサンドラ症候群になりやすい人の特性(愛着障害の不安型)との向き合い方。 上記のような特性とは関係なく元々、共感性の高い人でも日々のストレスや睡眠不足などの要因から共感性が低くなってしまうことも十分にあり得えるし、カサンドラ症候群になりやすい人の中にはパートナー以前に親との関係に問題がある場合もある。 破綻しかけたパートナー関係を解消するにはどちらか一方を加害者被害者として置くのではなく、互いの特性を理解し合い、場合によっては第三者を交えながら関係を修復していくのが大切…教科書的で真新しさはないが、実際にそれ以外に方法はないのだろう。 読んでて今までの人付き合いを振り返ってみて自分は回避型の特徴が結構、当てはまる気がするし、 不安型=両価型の特徴も当てはまっている部分があるような気がする… - 2025年10月10日
殺人者の記憶法キム・ヨンハ,吉川凪読み終わった16歳から殺人を繰り返してきたキム・ビョンスは70歳になり、認知症の診断を受ける。 彼の日記からは日に日に混濁し、忘れられていく記憶と鮮明に思い出される彼と韓国の歴史と詩の記憶が記される。 そんな彼の一人娘のウリが婚約者として紹介した男の目に自分と同じものを感じたビョンスは娘の危険を予感して男の殺害を計画するが─。 ビョンスのある意味で自分を特別視しているような文章を読んでいると純文学を装ったライトノベルを読んでるみたいでその辺は若干、白ける。 認知症のビョンスはそもそもが信頼ならない語り手なのでウリの正体については驚くことはなかったけど、“娘の”ウリの存在はビョンスの中にある潜在的な罪悪感の具現化だったのだろうかと考えたりする。 それではビョンスの認知はいつから歪んでいたのだろうか。 - 2025年10月8日
わかったさんのマドレーヌ寺村輝夫,永井郁子読み終わった港に停泊しているマドレーヌ号という船から頼まれごとをされてワゴンを走らせ、港へと向かったわかったさん。 港に着いてみると大きな海賊船!? なんと、この船がマドレーヌ号のようだ。 戸惑うわかったさんと人目を忍んで接触する海賊たちは何かを知りたがっている。わかったさんは海賊たちを連れて彼らの親分である姫に会いに行くことに。 海賊たちも恐れる姫の脅しをあっさり受け流して、逆に圧倒してしまうわかったさん。数々の冒険を経てきた歴戦の猛者の風格を感じる(笑) マドレーヌって自分では買わないけど貰うと嬉しいお菓子の位置づけ。 たまには自分でも買ってみようかな♪ - 2025年10月8日
球形の季節(新潮文庫)恩田陸読み終わった5月17日に如月山にUFOか宇宙人がやって来て、エンドウという生徒が攫われるか、殺される─。 東北の地方都市にある四つの高校の生徒達の間に広まる噂を調査する四校の生徒が集った地理歴史文化研究会(地歴研)のメンバーは噂の出所を探そうとするが… そして、5月17日。ひとりの女子生徒が行方不明になる。 眠っているような町、管理された毎日に飽きと不満と鬱屈を募らせる高校生達。彼らの強い自意識と葛藤が見えて来る。 そこに現れた非日常。そして、ある者達が辿り着ける本来の町の姿。 予測出来る未来に退屈と失望を覚える者、予測出来ない未来に恐怖と不安を覚える者、どんな未来にも正面から立ち向かうと決めている者、そして、いなくなった人を待つ者。 どの人が町に行けるのか、そうではないかが否応なく分かってしまう。 自分はどちら側だろう。少なくとも行ってしまう方ではないけど、かと言って待つ方でもないのだろうな。 - 2025年10月4日
薬物依存症松本俊彦読み終わった薬物乱用防止教室で見た映像に恐怖を感じた小学校の高学年の頃、いつしか恐怖は薬物に限らず依存症全体への興味と関心に変わっていった。 どうして人は薬物を使用して、それに依存し、捕まってもやめることが出来ないのか。 薬物の歴史から依存症のメカニズム、刑罰や規制の問題点、自助グループへのハードル、精神医療の課題など長年、薬物依存症患者の支援に携わる著者の試行錯誤と実績が記された一冊。 そもそも、飲酒やギャンブルをする人すべてが依存症になる訳ではないように薬物を使用した人すべてが薬物依存症になる訳ではないという一文にハッとさせられた。その辺から認識が伴っていなかったことに気付く。 それでも薬物を使用し続け、依存症にまで至ってしまうのは快楽を欲しているというよりも苦痛や悩みや孤独感などの一時的な緩和、自身のトラウマから来る苦痛を薬物使用という別の苦痛で緩和させようとしてしまうというのはどこか納得がいく。それは他の依存症にも言えそうだ。 そんな薬物乱用のリスクにあるとされる中高生の特徴に自尊心が低く、家や学校に居場所や信頼できる大人がいない自傷行為の経験がある子というのにかつての自分は当て嵌まっていた。だけど、私は薬物に対する恐怖心があったから薬物には手を出さなかった。その辺はある意味で運が良かったのかもしれない。 - 2025年10月4日
戦前昭和の猟奇事件小池新読み終わった阿部定事件や津山三十人殺しなど戦前に起きた9つの事件を当時の新聞記事と共に辿っていく本書。 阿部定事件の記事に出て来る「怪事件」「怪美人」といった江戸川乱歩の小説に出て来そうなフレーズが実際に使われていたことに地味に驚き、定の手練れていそうな容姿や立ち振舞いとその内に秘めた激しい愛、出所後しばらくしてこつ然と姿を消す最後といった物語性を秘めた存在感に人々が惹きつけられ、彼女の存在が後世まで語り継がれるのも分かる気がした。 あの時代に新聞が大きな役割を果たしていたのは容易に想像出来るし、当事者たちもそれを自覚していただろうと『チフス菌饅頭事件』の記者が自分に酔ってる気持ちの悪い文章からも伺える。それと「女の細腕で夫を支える〜」とか余計な一言が多い。 女性の社会進出が困難な時代に夫に先立たれ、残された三人の子供たちを成人まで育て上げた後に年下の男性との心中を遂げてしまう日本初の女性アナウンサーの遺書は現代でも共感する人が多そうだと感じたし、無責任な誹謗中傷が最悪な事態を招いてしまうのは今も昔も変わらない。 - 2025年9月23日
オイサメサン神津凛子読み終わったオイサメサンは怖いものが視える自分を救ってくれる。 オイサメサンは母を唆し、金銭を巻き上げ家族を崩壊させる。 鈴はある時をきっかけに赤いワンピースを着た髪の長い女の姿が“視える”ようになり、それ以降も他の人には視えない怖いものやグレーの靄のようなものを目にするようになる。 ある日、鈴は無断欠勤した勤め先の同僚の見えざる“声”を聞く。 無残な形で発見された死体。死した者を苦しめ続ける生霊。 祓えない鈴に秘められた力。事故死した親友の真意。 ジャンルからして全部まるっと解決!大団円なんてのは端からの望んでないけど、カタルシスも後引く恐怖もない絶妙な胸糞悪さとどことなく中途半端さの残るラストは個人的には好きにはなれなかった。
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