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M市のR氏
M市のR氏
@aoi-honmimi
風呂はぬるめ 感想は長め
  • 2026年7月9日
    闇の奥
    闇の奥
    かつて、貿易会社で蒸気船の船長として雇われた船乗りマーロウは、象牙の交易が行われていたコンゴでの出来事を語り始める。 奴隷労働と病に苦しむ黒人たち、志は低いが自身の出世のために互いに腹の探り合いをしている現地の社員たち。そんな彼らが噂する謎の人物クルツ氏にマーロウは興味を引かれる。 やがて船は密林の奥へと進んで行き、自分たちが支配していると思われていた場所の原始的な恐怖に襲われる。そして果たされるクルツ氏との対面。 作中には、貿易会社の本社で編み物をしている二人の女、頭を測る医者、コンゴの出張所で不自然なほど身ぎれいにしている会計士、クルツ氏の信奉者の道化師の姿をしたロシア人青年というどこか奇妙な人々が登場するが、彼らにはどんな意味合いがあったのだろうか。 本書が植民地主義のみならず、人間の根源的な闇をも描いている話だということは分かるが、それではどんな話だと問われると困ってしまう。
  • 2026年7月7日
    ギャシュリークラムのちびっ子たち
    ギャシュリークラムのちびっ子たち
    AからZのちびっ子たちが様々な悲劇に見舞われる。読み手側には一切の事情は知らされない、ただただ不条理。 以前から読んでみたかったエドワード・ゴーリーをたまたま図書館で見かけて手に取った。思ったよりもサイズが小さい絵本なのに少し驚いた。翻訳の柴田元幸氏の解説によると、作者はイギリス人ではなく、アメリカのシカゴ生まれで、子どもの頃は外で元気に缶蹴りをしていたというのは作者の作風からは意外に感じた。それはそうと他の気になる作品も読んでみたくなる。
  • 2026年7月6日
    屍の街・夕凪の街と人と
    ──天に焼かれる。 原爆被害の当事者でもある女性作家が原爆症で次々と死んでいく人々を目の当たりにしてまさに決死の思いで書き上げた「屍の街」。 戦後から八年、原爆の被災地では平和大橋や軍用道路の建設や緑地化など外側の復興が進む中、「復興」のために立ち退きを求められる市営住宅や違法建築で家を建てて暮らす人々、そして、原爆で傷ついた「声を上げられない」人々をないがしろにする社会を見つめた「夕凪の街と人と」。 未知の暴力にさらされたことへの混乱、被災地の外側にいる人間の無関心に対する憤り、原爆や原爆症についての研究は進んでいるが、被害者たちの精神的なケアについてはまったく触れられないことへのもどかしさ。 なぜ、これらの話を体験記ではなく小説という形にしたのだろう。なぜ生の体験ではなく、フィクションにする必要があったのだろうか。それは単純に彼女が作家だからなのだろうか。 戦争に限らず破壊からの復興のあり方について考えずにはいられない。
  • 2026年6月29日
    生命活動として極めて正常
    イージードゥダンス二年、突如、システムから弾き出されて生活が一変した。電子決済が使用できず、ほとんど廃れた現金を得るために物を売る。そこで各国で出生率を一定にするために「工場」で出産が行われているという噂を耳にする。その子供たちの精子、卵子提供をつつがなく行う方法とは…ふざけた感じだが、あり得ないとは言い難い近未来を描いた「バズーカ・セルミラ・ジャクショ」 体育会系のシンデレラは王子にスカウトされ、強豪城のテッペン(王妃の座)を目指す「踊れシンデレラ」や、ある有料老人ホームの「姫」をめぐる真剣勝負を描いた「老ホの姫」、高い確率で人身事故に出くわす電車の運転士の能力と会社の理不尽とギャル短歌、そして命の価値について考える「ダイヤは命より重い」の7編の短編集。 シュールな世界観にやたら詳細に書かれる社会システムなどの解説。それがまた物語のシュールさを感じさせる。
  • 2026年6月26日
    ペンツベルクの夜
    ペンツベルクの夜
    この殺戮を胸糞悪いとしか表現できない自分を呪いたくなる。 第二次大戦末期の1945年4月28日、南ドイツの炭鉱の町ペンツベルクで一日にして16人の市民が「処刑」された。 フィクションの少年の目が捉えた同胞による非道な行いは、後の裁判で加害者全員無罪によって幕を閉じる。 間近に迫った平和の前の悪夢。打算的な加害者たちは責任をなすりつけ、許された。ならば、遺された者たちのやり場のない思いはどこにぶつければいいのか。 いまだに繰り返される戦争と殺戮。なぜ過去から学ばないのか?なぜそれを選択肢に入れてしまえるのか?為政者でもない、当事者になったことのない人間の戯言に過ぎないが、愚かな行いを繰り返す世界に腹の底から怒りが湧いてくる。
  • 2026年6月24日
    800番への旅
    800番への旅
    人は誰しも何かのふりをして生きている。それなら、私は何のふりをして生きているのだろう。 12歳のマックスは再婚した母親が新婚旅行に行っている間、ラクダ使いの父親ウッディとトレーラーでの旅をすることに。ぎこちない父子の関係やどうしても好きになれないラクダとの旅の道中で出会った少女サブリナを始め、マックスは自分とは異なる環境で生活している人々と接することになる。それはいつしか両親の過去へとつながっていく。 子供の世界で学校に「普通に通う」ことと「誰かの支援によって通える」ことは大きな違いだし、進学校で同級生たちに溶け込むため「普通」になろうとするのは子供ならではの処世術だ。そんな子供に父親がしてくれていた“ふり”に子供は何を感じただろうか。 感謝を求めない相手に対して、ありがとうよりも深い特別なことばを送りたいと思っていたマックスが最後に父にした行いは言葉以上に特別だったのではないだろうか。
  • 2026年6月22日
    イオカステの揺籃
    妻が男の子を妊娠した。美しい母は壊れた。 ある家族の中の禁忌、封じられた過去の記憶。 夫と妻、母と息子、母と娘、愛と呪い。 狂っていく母・恭子が実母から悪意と呪いを向けられ続けた過去の回想が作中で一番きつかった。「女」であることの否定は彼女の心を蝕み、それらは時を超えて娘への呪いとなる。 アップデートを試みても決して変わらない人の本質。狂った妻と母を赦し、むしろ彼女に対する愛を強固なものにした鈍感な男たちと欲しい愛を得られなかった女たちとでは決して分かり合うことはできない。 果たして母になるということは悲劇なのか、それとも救済なのか。
  • 2026年6月18日
    直感の学校
    直感の学校
    心理学の科学的研究とスピリチュアルな非科学的な視点で直感を熟達、ひらめき、第六感、エンパス、スピリチュアル、シンクロニシティの六つに分類し、それぞれの特徴と練習方法が記され、直感を日常に取り入れる方法を提案する一冊。 そのやり方としてはイメージをする、今ここに意識を持つ、瞑想、体に注意を向けて、感覚を磨く、相手のエネルギーを感じる、大いなる力を想定するなど。 自分はどちらかといえば合理的で自分の判断に自信が持てないタイプなので世の中の多数決や正しいと思える方法にすがって安心したい傾向がある。だから、以前からこうした直感に判断を委ねてみたらどうなるのかというのに興味を持っていた。瞑想は以前からやり出していたので、その他のものも取り入れてみたらどうなるのか実験してみたい。
  • 2026年6月15日
    目でみることば 有頂天
    グロッキーはラム酒の水割り?ちちんぷいぷいの生みの親は春日局?狼狽は空想上の生き物? 表紙の「狸寝入り」がかわいらしいシリーズ三作目。燕尾服、鷹揚、烏の行水、千鳥足や、蒲焼き、菱形、松葉杖など鳥や植物を用いた言葉が多い印象を受けた。それらが当時の人々の身近な存在だったことがうかがえる。 本書の中にある「財布の紐が堅い」の財布がどんな形のものかという筆者の疑問に対して、これまでそんなこと考えたことすらなかったことに気づいた。そういうものは他にも数多くあるだろうな。 言葉が生まれた時代から時を経ても多くの人が当然のようにそれらを使っていることを不思議に思いつつ、生き続ける言葉というもののすごさを感じた。
  • 2026年6月14日
    大聖堂
    大聖堂
    表題作を始め、名作「ささやかだけれど、役に立つこと」を含めた12の短編集。 作中の登場人物のほとんどはアメリカのミドルクラス層と呼ばれる人たち。そんな彼らがアルコールに依存したり、他者に対する愛を忘れ、家族に悲劇が見舞われ、妻が駆け落ちし、居場所をなくした家族はアメリカ中を駆け巡る。 すっきりとしない曇りのような作品が多いと感じていたから、「ビタミン」の解題で訳者の村上春樹氏も同じように評していたのになんだか安心した。そんな「ビタミン」の夫婦の会話はどこか訳者の作品を彷彿とさせる。 人生に思いも寄らないことが起きて、暗転も好転もしない日々に対して人々が抱く思考や感情。そこから向かっていく様々な結末は、こちらを憂鬱にさせたり、ほんの少し安らぎを与えたりする。
  • 2026年6月10日
    トム・ソーヤーの冒険
    トム・ソーヤーの冒険
    トム・ソーヤを言葉で表すなら、悪ガキ、または悪たれがふさわしい。 学校や家の仕事をサボるのは当たり前で、ケンカっ早くて悪知恵が働く。親代わりのポリーおばさんや教師に鞭を打たれても屁ではないが、悪いことをしたら魂が地獄に落ちることや殺人犯を本気で怖がり、迷信や呪文を信じている子供らしさがある。 というより、トムは良くも悪くも普通の子供だ。人より目立ちたい、チヤホヤされたいといった純粋な欲求があって、いたずらはするけれど人並みの良心や正義感だって持っているし、好きな子には一丁前に恋の駆け引きをしてみせたりもする。 作中ではトムは二回も死んだことにされ、その度に悲しみに暮れるポリーおばさんには同情を禁じ得ない。 そんな子供のトムの世界に見え隠れする古い慣習と差別の痕跡。差別される者の尊厳に関しては解説を読まないと気づけなかっただろう。
  • 2026年6月5日
    ナイルに死す〔新訳版〕
    ナイルに死す〔新訳版〕
    20歳にして莫大な資産を所有する美貌と知性を兼ね備えたリネット・リッチウェイ。結婚したばかりの夫・サイモンとの新婚旅行先のエジプト・ナイル川をさかのぼる豪華客船で発生する殺人事件。 リネットの財産管理人、弁護士、二組の親子、高慢な老婦人とその親族、社会主義的思想を持つ青年などそれぞれに思惑を持っている乗客の中に名探偵ポアロの姿もあった。 実はこの作品に関する動画を見て犯人は知った状態で読んだけど、それについては特に問題にはならなかった。事件の本筋とは別に腹に一物抱えた登場人物たちの人間模様が興味を引いたし、彼ら彼女らの言葉や行動の意味もポアロは解き明かしていく。 あらゆる物を手に入れてきた者が唯一、手に入れられなかったもの。それを手にした彼ら彼女らが心から幸福だったかは神のみぞ知る。私からしたらそれでいいのか?と思わなくもないが。
  • 2026年5月28日
    菜食主義者
    菜食主義者
    特別な魅力はないが、特別な短所もない女と結婚した五年後、妻となった女は肉を食べなくなった。 次第に逸脱していく妻・ヨンヘと困惑する周囲の人々。 世間体を気にする自分本位なヨンヘの夫、家父長的で幼い頃から暴力を振るう父親。心情はほとんど描かれていないが、彼らから与えられた痛みと孤独をヨンヘは感じ続けていたのではないかと想像する。 ヨンヘの姉・インへにもそれは当てはまるだろう。ただし、彼女は幼い頃から身につけた忍耐力によって狂いたくても狂いきれなかった人であるという違いがある。それ故に彼女の視点は読んでいて苦しくなる。 いろいろと解釈ができそうだが、元を辿ればクソ親父のせいではないかと言ってしまうのは短絡的すぎるだろうか。 この先、姉妹はどうなっていくのだろう。
  • 2026年5月26日
    日本百銘菓
    日本百銘菓
    日本全国の銘菓を食べ歩いた著者が「死ぬまでに食べたい」、「定番ジャンルの原点」、「和洋折衷の名品」などの7項目で百名山ならぬ百銘菓を選出した本書。 分かってはいたけど、歴史のある銘菓は饅頭、羊羹、最中、きんつばなど圧倒的に和菓子が多い。こういう時、あんこ嫌いなのが悔やまれる。 そんな中で気になったのは京都の「夏柑糖」、滋賀の「長寿芋」、大分の「雪月花」、長野の「玉だれ杏」、東京の「陸乃宝寿」、北海道の「ハスカップジュエリー」などのあんこが使われていない銘菓だ。あんこが食べられればお菓子の幅が広がるんだけど、どうしても苦手なんだよな~。いつか克服できたらいいな…
  • 2026年5月22日
    砂の器 下
    砂の器 下
    突然死した男が倒れた場所にあった失業保険の統計表、ある女の奇妙な引っ越し、そして新たな死。刑事は伊勢、北陸、大阪で被害者の足取りと犯人の足跡を追う。 彼は保護された安全な場所からなぜ、危険な綱渡りを選んだのか。読み終わった後にそれについて考えてみると作中には書かれてないが、その場所は彼が彼でいる限り決して心から安心できる場所ではなかったのではないか。 だから戦後の混乱に乗じて、新たな自分を獲得した後に己の才能で若くして成功を収めた彼の見えざる思いや、それ故の保身を安易に非難することはできない。同時に彼の犯した罪を擁護することもできない。 作中で印象深かった東京の華やかな世界と北陸の貧しい農村の残酷なまでの対比。それは彼も見たであろう景色であり、どんな思いで彼はそれらを見ていたのだろう。
  • 2026年5月19日
    蜜柑
    蜜柑
    『砂の器』の作中に本作の名前があったので、気になって青空文庫で読んでみた。 曇った冬の日暮れに横須賀発上り二等列車に座る私。 そこに乗り込んできた三等の切符を手にした田舎者と思しき少女。彼女の姿や弁えのなさに腹立ちを覚える私。 平凡な出来事ばかりの世間と娘の「卑俗な現実を人間にしたような面持ち」から「不可解な、下等な、退屈な人生の象徴」と切り捨てる。そんな私に対して何様だこいつと思ったが、私自身がその不可解な、下等な、退屈な人生の一部であることに気づいているが故の嫌悪なのではないかと思った。 そんな少女が窓から放った蜜柑の鮮やかさ、その瞬間の美しさが私の疲労と倦怠をこの時ばかりは忘れさせるというのは偉そうな言い方になるがいい出来だなと感じた。
  • 2026年5月19日
    砂の器 上
    砂の器 上
    蒲田駅の操車場で発見された身元不明の男の遺体。被害者の東北訛りと事件当時、彼と一緒にいた若い男との間に交わされた「カメダ」という謎の言葉を手掛かりに、警察は捜査を進める。 後に身元が判明し、関係者のほとんどから好人物と評された被害者がなぜ、むごい形で殺されたのか。そして、犯人の動機とは。 所変わって、世間を賑わせている若き文化人が結成した「ヌーボー・グループ」のメンバーの一人が起こす不審な動きの理由とは。 言葉のトリックについては素直にそう来るかと感心したが、事件当時の犯人が着ていた服探しや、警視庁の刑事だからといって担当ではない現場に顔パスで入れるのは無理があるのではと思った。しかし、それでも読む手が止まらないのはさすがだ。
  • 2026年5月16日
    ミッテランの帽子
    ミッテランの帽子
    偶然入ったブラッスリー、列車の網棚、公園のベンチに置かれた大統領の帽子は、手にした者たちの人生を大きく変えていく。 1980年代のフランス。上司に逆らえない部長補佐の男や、不倫相手との〈慎重に検討〉する関係を二年続ける女、長いスランプから抜け出せない調香師、保守的なブルジョワの男。彼らがひとつの帽子によって過去との決別や新たな価値観との出会いを得て、その先で思いも寄らぬ人生を送ることとなる大人のおとぎ話。 それは帽子の元の持ち主の影響なのか、それとも帽子をかぶることでなんらかの働きが加わるのか。そんな帽子に執着する者が出てくるのも不思議とは思えないし、なんなら私もかぶってみたい。 ミッテランの帽子が登場人物のみならず作者の人生までをも変えてしまうオチを含めておとぎ話めいている。
  • 2026年5月14日
    目でみることば 2
    目でみることば 2
    カメラや虫眼鏡のレンズはあのレンズ豆が由来? 銀ブラは銀座でブラジルコーヒーを飲むこと? 醍醐味は乳製品を指す仏教用語? 今回も不思議に満ちた言葉の由来と語源の世界を堪能した。別にそれらを知ったところで実生活に役に立つわけではないし、逆に知らなくても生きる上で困ることもない。 だけど、言葉の成り立ちを知ることは純粋に面白い。尚且つ、写真があることで文章を読むだけよりも理解が深まる気がする。 個人的に本書で一番好きだった言葉は「山笑う」。11世紀に活躍した中国の山水画家の画論の一節が由来で、春の木々が芽吹き始めた華やかな山の姿を意味する言葉の美しさは、季語として使われているのも納得できる。
  • 2026年5月13日
    ねじの回転 (光文社古典新訳文庫 Aシ 6-1)
    これは、ある女性の手記を正確に書き移したものである。 イングランドの古い屋敷に暮らす、両親を亡くした幼い兄妹の家庭教師として雇われた「わたし」。 雇い主であり、兄妹の伯父にあたる人物から出された奇妙な条件、前任者の不可解な死、兄マイルズの寄宿学校から届いた手紙と用意された不穏な予兆はやがて形となり「わたし」の前に姿を見せる。 それは過去の亡霊なのか、それとも「わたし」の錯乱した精神が見せる幻なのだろうか。 解説を読まなかったら、この亡霊譚の大げさで大仰に感じる表現が当時のセクシャリティのタブーやイギリス帝国の問題について示唆されているなんて気づくことはなかっただろう。 だけど、結局は作者に煙に巻かれた感じが否めない。
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