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碧衣
碧衣
@aoi-honmimi
  • 2026年1月8日
    ブラフマンの埋葬
    水かきのある短い手足、胴の1.2倍ある尻尾、ボタンのような鼻。 地上ではやんちゃだが水の中では音もなく泳ぎ、時折、思慮深い目をする。ブラフマンはまさに謎そのものだ。 芸術家に仕事場を提供する〈創作家の家〉を管理する僕と森からやって来たブラフマンとの短い日々。 初見に読んだ時は気付かなかったけど、僕が好意を寄せる雑貨屋の娘との関係は早い段階から相容れないものだなと感じた。そもそも彼女には列車に乗って彼女に会いに来る恋人がいる訳だし、彼女からしたら僕の存在は店のお得意様でその上、車の運転を教えてくれる良くて友人止まりな関係に過ぎないのだろう。その彼女の踏み越えられたくない領域を僕は踏んでしまったことで悲劇は起きたという解説にはなるほどと思った。 じゃあ、彼の命は犠牲になるためだけに存在したのだろうか。 そうだとしたらあまりにも虚しすぎる。
  • 2026年1月5日
    まぶた
    まぶた
    飛行機で隣同士になった老婆の思い出と突然の死。それが男が眠るのが難しい飛行機の中で眠りへと導いてくれる物語だ──。 みすぼらしい見た目に似合わないピンクのマニキュアをした野菜売りの老婆が野菜と共に置いていった名前の分からない中国野菜の種はやがて生長し、夜に光を放つ…これってこんなに奇妙な話だったっけ?短編集は覚えている話とほとんど忘れている話に差があっておもしろい。 「バックストローク」の背泳ぎの選手だった弟と彼のためにすべてを捧げる母親。そして放置される夫と他のきょうだいという構図は『凍りついた香り』と類似していることから何かロールモデルがあるのだろうかと気になった。 表題作は語り手の15歳の少女と逢瀬を重ねる中年男性N。少女と二人きりの時はロマンチックな雰囲気を醸し出せるNがその外側に出ると情けなさと滑稽さが露呈して、それにこちらが共感性羞恥を感じて居た堪れない気持ちになる。
  • 2026年1月1日
    海
    恋人の実家への挨拶、体の大きな「小さな弟」だけが奏でられる鳴鱗琴。最初に読んだ頃はただ穏やかな話だと思っていたけど、読み返すとあちらこちらに不穏な気配が紛れ込んでいることに気づく。しかし、それに気づいたからと言って何かが変化することがないのを私は知っている。 二作目の「風薫るウィーンの旅六日間」のシュールさに変な笑いが出そうになりながらも厳粛な気持ちになり、「バタフライ和文タイプ事務所」の活字管理人は今の時代ならどこにいるのだろうと考えたりする。 「ひよこトラック」の言葉を話さない少女と孤独な老齢なホテルのドアマンとの言葉のないやり取りや、「ガイド」の少年と思い出に題名を付ける題名屋の老人との交流。一見、穏やかで微笑ましくも見えるこれらの物語の中にも毒は紛れ込んでいるのだろうか。
  • 2025年12月24日
    若草物語
    若草物語
    従軍牧師として戦地に赴いている夫に代わり家を守る夫人と4人の娘たち。友人の不運を救うため財産を失い貧しい生活を送りながらも楽しく過ごすマーチ家と隣人のお金持ちローレンス氏の孫のローリーとの愉快な日々。 その中で性格が異なる姉妹が抱える問題。その解決には露骨なキリスト教的な教訓も交えてて正直、反射的な拒否感もあったけど、日々いい子でいることを目指す彼女たちの成長には必要な出来事たちであったのだろうと一応納得はする。 キャラクター的には作者の投影である次女のジョーに注目が行きがちだけど、個人的に好きなのは三女のエリザベス(ベス)だ。 活発なジョーとは対照的に恥ずかしがりやで家族以外とは交流を持とうとはしないけど、傷ついた人や物を放っておけずその時には勇気を出して相手と向き合い、当たり前のように献身的になれる。孫娘を亡くしたローレンス氏を最初は怖がっていたけどピアノを介して友人関係にまでなれたのには思わず涙ぐみそうになった。それくらい彼女に入れ込んでしまった。
  • 2025年12月20日
    日本の10大カルト
    霊感商法、所在を明かさない勧誘、独自の教義… いわゆるカルトと呼ばれる宗教に対するこういったイメージ。しかし、元を辿るとキリスト教もイスラム教も仏教もかつてはカルトだった。 子供の頃にオウム真理教をテレビで見て漠然とした気味の悪さを感じていて、後にカルト宗教に漂う胡散臭さに入信する人の気がしれないと思っていたが、カルトまたは新宗教と呼ばれる集団は高度経済成長がはじまった時代に地方からやって来たばかりの人間たちの新たな人間関係のネットワークの場として、バブル時代は金余りの風潮や性をめぐる堕落に付いてこられず精神性を深める生き方や純潔を強調した教団に居場所を求める人が少なからざるいたことを知る。 そうなるとカルト宗教がなくならないことが分かる。 ただ信仰している分には問題がないが、信仰の自由を盾にして行われる高額献金や子供への虐待ともとれる行為、そして社会に対する攻撃が問題なのだから我々ができることは注視するくらいだろうか。
  • 2025年12月17日
    沸騰大陸
    沸騰大陸
    人口が爆発し、人間の生と性、暴力と欲望が激しく入り乱れるアフリカの姿を見てきた著者。 アラブの春の後のエジプトで民主主義を求めて立ち上がろうとする国民の身体に実弾を撃ち込む自国の軍隊、化学兵器を使い多くの子供を殺害するアサド政権、誘拐した少女たちの体に爆弾を巻き付け遠隔操作で爆発させるテロを起こすボコ・ハラム、経済が大きく発展したウガンダで無垢な子供を生贄に捧げる「資源の呪い」に捕われた人々、ケニアとソマリアのテロと報復の応酬──。 彼の地では人の命があまりにも軽く、そして不公平に不平等に扱われる。その現状に読んでる側も激しい憤りを感じたのだから直接現場で見聞きしてきた著者の思いは相当だろう。その嘆きと葛藤が本書で窺われる。 欧州に翻弄されてきた歴史、自国の政治の汚職、貧困、格差、疫病、感染症、戦争、テロ、レイプ、自然破壊。著者の本を読むと人間の愚かさがダイレクトに伝わって来て嫌悪感で頭が沸騰しそうになる。 では、自分に何が出来るか。この現実に目を背けないことくらいしか今は思いつかない。
  • 2025年12月15日
    わたしたちが孤児だったころ
    わたしたちが孤児だったころ
    上海で暮らしていた十歳の頃に両親が失踪し、後年はイギリスの社交界でも名を知られる探偵となったクリストファー・バンクスは再び上海の地に足を踏み入れる。 貿易会社に勤めていた父と反アヘン運動に熱心だった美しい母。 母が抱えていたであろう自己矛盾、母の理想と父の重圧、日本人の友人との日々。子供であったが故に知らされなかったこと。 個人的にバンクスがしょっちゅう腹を立てる描写が印象に残る。 自身ではどうにもできない現実に彼は腹を立てている。それは大人になっても変わらない。 辿ってきたスリリングで緊迫した冒険の本来の姿は滑稽と思えるくらいにありきたりで残酷なほど醜悪だった。その事実にバンクスは打ちのめされただろう。自分が生きてこられたのは愛する人を穢し、辱めた者の施しの上で成り立っていたのだから。 愛する人に恩を返すことはもはや叶わなず、共に生きるべき人は自ら手放してしまった。だけど、まだ希望はある。幼くも気高い心を持つ孤児の少女との再び築き上げていく“家族”としての未来が。
  • 2025年12月11日
    恐怖の構造 (幻冬舎新書)
    なぜ、怖いと感じる場所や状況を避けるのに、怖いとされるエンタメを楽しむのか──。 人形やピエロといった“人間の形をした人間ではないもの”に感じる恐怖や、宗教や歴史的なバックボーンが関係している国によっての恐怖の違い、恐怖よりも実は厄介な不安についての考察、そしてホラー作家の著者ならではのホラー小説論が展開される。 著者と対談した精神科医の春日武彦氏は不安や恐怖が解消される気持ちよさは快感となるため人はホラーを楽しむとする一方、後味が悪い話は珍味だと書いているが大抵のホラー作品はそうではなかろうか?そうしたらホラーそのものが珍味ということになりそうだ。 今までは受け身でホラー小説を読んできて、最近は怖さを感じにくくなってきたと思っていたので自分がホラーで怖がっているのか、サスペンスかスリラーで怖がっているのかや、怖さのツボを確認するという視点を持つのは面白い試みだと思えた。 ちなみに本書で怖かったのは著者が過ごしてきたやたらと怒鳴ったり叫んだり殴ってくる大人が多かったというどんな世紀末だと言いたくなる街だ。これはスリラーにあたるらしい。
  • 2025年12月10日
    光っていません
    光っていません
    ある日突然現れた分身を名乗る幽霊、人間をクラゲにする変種のクラゲの出現、家の床に根が生えた男に冬眠の手伝いを頼む男、突然死したわたしに訪れた死後のアフターサービス… 就職難、ジェンダーギャップ、苦しい妊活事情など韓国社会のままならない現実をやり過ごすために次第に惰性になり、うやむやにしてきた本心をイレギュラーな出来事をきっかけに解放していく。 どの話も心許なさはあるが停滞し続けるよりもいいのかとも思える最後だが、最後の「カーテンコール、延長線、ファイナルステージ」は生きる喜びを感じられたのが死んだ後というのがどこか物悲しく感じてしまう。
  • 2025年12月8日
    わたしを離さないで
    わたしを離さないで
    わたしたちが長い年月を過ごしたあの場所で教わったことと教わらなかったこと。やがて自分たちに否応なく訪れる運命にどう向き合っていくのか。 介護人のキャシーはかつて過ごした全寮制の学び舎・ヘールシャムでの日々を振り返る。創造性を重要視し、定期的に生徒たちの作品の展示即売会が催された。 校内で起こる友人同士の細やかなマウンティング、からかいやイジメ、思春期特有の謎のブーム、そして性的な事柄への興味と一見すれば普通の学生生活の要素が如実に描かれているが、後に彼らが知っていく自身の生い立ちとその後に辿る残酷な運命。 そんな彼らを出荷される前の家畜のようだと思ってしまった自分に心底ゾッとした。 読み終わった今でも彼らがこの運命から逃れる術はなかったのだろうかと考える。憤りを持ちながらもあまりにもあっさりとその運命を受け入れている彼らの姿が悲しくうつる。
  • 2025年12月4日
    日の名残り
    日の名残り
    過ぎ去った日々に何を選び、何を選ばなかったのか。 もしも、選ばなかった方の道を選んでいたら何か変わったのだろうか──。 イギリス・ヨークシャーのダーリントン・ホールで長年、執事として仕えてきたスティーブンス。偉大な執事とは何かを常に考え続ける職業意識の高い、良く言うと生真面目で悪く言うと堅物で優柔が効かない人物。 彼の新たな雇主の勧めと彼自身のある目的のための自動車旅行に出た先々で見るイギリスの田舎の風景とそこに暮らす人々との触れ合いの最中に思い出される尊敬するダーリントン卿と栄華を極めたダーリントン・ホールでの日々、そして元女中頭との邂逅の中で彼が見て見ぬふりをしてきたこと。 ダーリントン卿の過ち、ミス・ケントンとの関係への分岐点はあったと思うけどスティーブンスがスティーブンスでいる限りは変わらないような気がする。それは彼がどこまでも執事のままだから。
  • 2025年11月30日
    聖なるズー
    聖なるズー
    動物性愛は獣姦と何が違うのか、種族の違う者同士が心を通わせ、愛し合うことは可能なのだろうか。 そもそも、同じ種族であるヒト同士は本当に心を通わせ合っているのだろうか──。 長い間、性暴力の被害に遭って来た中で恋人としての愛情とそれに絡まる性愛の意味が分からなくった著者が動物性愛について調査するために赴いたドイツで世界唯一の動物性愛者の団体に所属する動物性愛者(通称ズー)との交流を始める。 ズーたちは何よりもパートナーである動物との対等性を何よりも大切にし、言葉を持たない彼ら彼女らとの中で生じ、発見されるやり取り(=パーソナリティ)に魅了される。 そして、パートナーである動物を愛玩動物として「子供視」するのではなく、性的欲望を持つ成熟した存在として丸ごと受け止める。 ズーの中には生まれながらのズーと、後にズーになっていく人がいる。 生まれながらのズーは読んでいると何かの手違いで人間に生まれて来てしまった動物のような哀愁を感じ、後にズーになる人の自身のセクシャリティを決めるという考えは私にとっては目からウロコだった。 そんなズーたちの世間の風当たりは強く、動物性愛は精神疾患のひとつとして捉えられている。 最後まで読んでみても私にはズーと動物が心を通わせられてるかについては半身半疑だった。 それは言葉を持たない動物たちの本心はこちらには分からないからだけど、同じ言葉を使うヒト同士でもその人の本心が理解出来たとは言い難い。それはむしろ言葉がある故なのかもしれない。言葉はいくらでも取り繕えてしまうから。 そして私自身が誰かと心を通わせられたという実感がないのもあるのだと思う。著者と同じように純粋に動物を愛するズーたちに対しての羨望があるのかもしれない。
  • 2025年11月25日
    らんちう
    らんちう
    海辺にあるリゾート旅館の総支配人が殺害される。 彼を殺害した6人の従業員、総支配人就任後にリストラされた古参従業員、そして彼の妻の証言──。 相対性貧困と自己責任を謳う自己啓発セミナー。 生き辛さを抱える者が辿り着いた偽りの開眼と幸福には虚しさを感じる。 そんな彼らを手玉に取っている者達も私から見たら同じ盥の中にいるランチュウに見える。 彼らだっていつ間引かれるか分からない身に過ぎない気がしてならない。今だって、共喰いが起ころうとしているのだから… そんな盥の中から抜け出してしまう狡さがある意味、正しいのかもしれない。
  • 2025年11月23日
    日本殺人巡礼
    日本殺人巡礼
    週刊誌のカメラマンとして様々な事件現場を渡し歩いてきた著者が、 人を殺す人間とそうではない人間の違いを探すため罪を犯した者達のルーツとなる土地を訪れる。 山口県の限界集落、北関東、東京ノースエンドとイギリスのイーストエンド、北海道とネパール、東北の農村地帯、長崎のキリシタンが移住してきた島、差別を受けた男が立てこもった旅館──。 土地の歴史と犯罪を絡める手法は斬新だと思うが、私にはいささかこじつけ感が否めない部分が多かったように思う。 西日本や九州では竹細工を営むのは賤業で下駄屋はかつて差別の対象だったことを私は知らなかったし、知ったとしても意味が分からなかった。 現代の日本で暮らす私の感覚からしたらそういった職業差別やカースト制や女性は父や夫や子供に従属するといったヒンドゥー教の教義には正直、反吐が出る。 職業のみならず人種による差別、貧困、家庭環境、戦中戦後の食糧難… その対象になる人すべてが罪を犯す訳ではないけど、その線引きはいつだって曖昧だと感じる。
  • 2025年11月20日
    ラッシュライフ
    ラッシュライフ
    仙台で連続ピッキング窃盗やバラバラ殺人事件が起きている中、金で買えないものはないと自負する男は連れの若い女にある賭けを持ちかける。 その間、律儀な泥棒は謎の文字と数字が書かれた紙を拾い、青年は「神」の解体を目撃する。ある女は不倫相手の妻を殺害する計画を実行に移そうとし、リストラに遭った中年男は老いた犬と街を彷徨う。 ページを開いたらまさかの二段組みに全私が驚愕。 久しぶりに伊坂作品を読んだけどやっぱりおもしろい。 要所に散りばめられていく伏線を回収していくのも、登場人物たちの行く末を見ていくのも楽しい。 人物の描写が上手いから嫌な人物がしっぺ返しにあったり、情けない人物が立ち向かったり、意図せぬ勝利を掴む描写にはカタルシスを感じられる。 その中に黒澤のような人物や「神」のような存在が同居しているのがまたおもしろい。 山賊に殺される旅行客から見えてくる正しさの角度、内臓と神に対して出来るのは声に耳を傾け、最善を尽くし、祈ることしか出来ないこと、人がいつも無造作に潰している蚊と神はそんなに変わらないのかもしれないなど伊坂さんの神についての考えは興味深い。 すべてが終わりながらも絶妙に後を引く幕引きに登場人物たちのその後を想像したりする。
  • 2025年11月17日
    爆弾犯と殺人犯の物語
    12月、隕石の落ちた公園で出会った彼女に─正確には彼女の左目に埋る義眼に男は一目で惹かれた。 月日を経て二人は夫婦となったけど彼らには秘密がある。 妻が左目を失った原因はかつて自分が作った爆弾のせいだということ。彼女はそれを知っているのか、知っていたとしてなぜ男と一緒にいるのか、そして彼女の秘密とは… 話としては読みやすいけど、何か好きじゃないなと思っていて何が好きじゃないのかと思ったら語り手である男(星子)の台詞の気持ち悪さだということが分かった。作者の意図なのか技量から来ているのかは分からないけど。 メインの話の他に妻(小夜子)が左目を失ったのと同軸で車に轢き逃げをされて12年間眠り続けた女性とその恋人の話と、漢字が好きな少年と中学校教師の女性、絵の才能のある高校生と彼に好意を寄せる少女の話の関連性はあったのだろうかと考える。後者の2編はなんとなくこれかなというものがあるけど、もう1編は果たして必要だったのだろうか。 起きた出来事に耳を塞ぎ、口を噤んだ先とそれぞれの母と子の向き合い方。果たして因果はどこまで巡るのか。
  • 2025年11月15日
    マゾヒストたち: 究極の変態18人の肖像
    SMに2億使った66歳ベテランM男性、小学生の頃から馬になりたかったブーツフェチ、需要がないから自分で作品をリリースするおならフェチ、切なくて情けないのがいいレインコート・マニアにマントフェチ、痛めつけられる他人を自分に重ねた末、全身傷だらけのM男性、選び抜かれた精鋭・監禁マニア、第三者が物を踏みつけるのに性的興奮するクラッシュ系に視覚障害者のM男性、そして身体改造マニア───。 M男性と一括りに言ってもその嗜好はまさに十人十色。 まるで魔境に迷い込んだ気分だ。 読んでて思ったのはM男性は好奇心が旺盛だし、こだわりと探求心が強い人が多い印象だった。 それと、割と早い段階から自身の性癖や嗜好に気づいていた。 私自身は痛いのも汚いのも嫌いだが、読んでる分にはある程度流せてたけど、人体改造で男性器を割いてる文章は自分にはその器官がなくても脳が想像することすら拒否するくらいキツかった。私にはMの素質もだけど、女王様の素質もないのはよく分かった。いや、なくても別に良いんだけどね! M男性の話の間に挟まるSMの歴史や昨今のSMクラブ事情、SM雑誌の栄枯盛衰は興味深かった。
  • 2025年11月11日
    ダークツーリズム
    戦争や災害、病気や差別や公害といった土地の影の側面の悲しみの記憶を巡るダークツーリズム。 19世紀末、外国貿易の拠点港として栄えた小樽で大正13年に起きた爆発事故。近代化のために働き、亡くなった人に触れる展示や現地に慰霊の場もない。 栃木県の足尾銅山から流れた鉱毒の影響のため北海道に移住を余儀なくされ、”栃木地区”として土地を開拓した人々。そんな足尾銅山が現在も有害物質が下流に流れないための監視を続けているのには驚いた。 監獄食を食べ、コスプレを楽しみながら学びを得られる網走刑務所はダークツーリズムの理想形だと著者は語る。 西表島では多額の借金を背負わされ、各地から連れて来られた人々が島の内部でしか使えない地域通貨を持たされ危険な炭鉱の労働に従事させられた隔離と搾取の構図が本当に悪辣。 熊本の水俣病、ハンセン病、旧三井三池炭鉱の労働争議は近代化によって、公害の被害、優生思想の下の隔離、各種の労働災害や労働運動がもたらすコミュニティの亀裂などの負の側面だなと思わされる。 長年、繰り広げられた独立闘争が津波によって収束したスマトラ島のバンダアチェと同じ被害を受けたタイのプーケットとの復興のアプローチの違いは興味深い。 韓国の光州事件の直後に権力側によって消されようとした関連施設を住民が身を挺して守ったことから権力側の都合や意図で負の遺産を消そうとするのは許されないし、それらを残すことで戦争や災害の教訓や無知から来る差別をなくすことへの戒めにもなる役割を担うのは理解出来るが、負の遺産があることによって辛い思いをする人の気持ちを蔑ろにするのも違うと感じる。その辺をどう折り合いをつけるのかもこの先、大切なのではないかと思った。
  • 2025年11月9日
    小箱
    小箱
    死んだ子どもはガラスの小箱の中で成長する。 彼らを愛する人たちは彼らの成長に合わせた必要な物を入れ替える。 一度、役割を終えた幼稚園と郷土史資料館が子どもたちの魂の成長する場所という新たな役割を担っている。 遺髪を竪琴の弦にする。月に一度、幼稚園の遊具を使う。わが子が歩いた地図の世界の中で暮らす。彼らを愛する人たちが証明する彼らの存在と不在。 子どもたちは一体、どこへ行ってしまったのだろう。 “私”の視点で見た子どもたちの無防備な愛らしさ、子どもを想う人たちの痛々しいほどの愛に何度か泣きそうになった。 169頁の「ただし従姉と私にとって、一人の作家の死は、世界の欠落ではなく広がりを意味した。新しく読むことのできる本が増えるのだから、死を悼む心の裏側にはいつも、読書の喜びが控えていた。」は本書の中で印象的な一文だった。
  • 2025年11月7日
    コゴロシムラ
    コゴロシムラ
    四国にある猪神を祀る神社の取材に同行したカメラマンの仁科は道中、数々のトラブルに見舞われた後に一軒の家に辿り着く。 高齢の老婆が一人で管理するその大きな平屋の家で夜を明かすことになった仁科は真夜中に奇妙なモノを見る。 そして、後に彼は神さまと出会うことになる。 産婆が複数の子供を殺したことで「コゴロシムラ」と呼ばれるようになった村。山崩れで建てた祠が壊れた後に病気になった人々。これは果たして呪いなのだろうか─。 ずっと読んでみたかった木原音瀬さん♪物語の内容に真新しさなどはないけど、そこに異質な存在感を放つ神さまの存在。人間の常識が通じない異様な美しさと独特の美意識を持つ彼はまさに野生の神だ。その神に魅せられ、付き従う仁科はまるで殉教者のようだ。
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