
ジクロロ
@jirowcrew
2025年12月1日
精神の生態学へ(上)
グレゴリー・ベイトソン,
佐藤良明
ちょっと開いた
「父 : いいか。肝腎なところだぞ。パパとおまえの問答の目的は、その「ルール」を発見することにあるんだ。それが「生きる」ことなんだとパパは思う。生きることの目的は、「生きるゲーム」のルールを発見することにある。いつも変わってしまって、決して捉えることのできないルールをね。
娘 : そういうのもゲームって言うの?」
ゲームをプレイする(生きる)ということ、それはルール(秩序)を確認しつつ、それに飽きのきたときには合意のもと、また面白くなるようにルールをつくりかえることも可能であるということ。そしてそのゲームをともに遊ぶということ。これほど真面目(シリアス)なことはないなと気づく。
人の数とその組み合わせの分だけ、つまり世の中にゲームは無限にある。一つのつまらないゲームにずっと付き合う理由はない。つまらなければ、ルールを変えるか、そのゲームから降り、また別のゲームに参加すればよい。
プレイとは、遊びであり、それでいてシリアス。
とても勉強になる。
