
torajiro
@torajiro
2025年12月2日
傷つきやすいアメリカの大学生たち
ジョナサン・ハイト,
グレッグ・ルキアノフ,
西川由紀子
読み終わった
『社会はなぜ左と右にわかれるのか』のジョナサン・ハイトが共著者の一人になっており、ポリティカル・コレクトネスが先鋭化したアメリカの大学で何が起こっていて何が問題なのかを論じた書籍。誰かの発言の言葉尻を捉えて吊し上げるキャンセルカルチャーは日本においては芸能関連のニュースであることが多く、それでも歪な感じを受けいましたが、アメリカでは大学において教職員への否定や、講演会等への反発につながっており、そうした行き過ぎた状況や学生を取り巻く環境は学生を脆く弱い存在にしてしまっているという指摘とその構造を捉え直す。
本書ではポリティカル・コレクトネスやマイクロアグレッションの行き過ぎた対応について取り上げられるが、著者二人も本書内で自ら述べている通りリベラル側の人間であり、これまで構造的に抑圧されてきた弱者への配慮やその当事者が権利や尊厳を守るための訴えがあること、社会の構造に気づきやすくする発想があることの意義は否定していないし、私もそれは同感。ただし、現場の運用において否定されたり非難される余地を排除するために色々なことが拡大解釈されることによって、本来の思想的意義とはズレた本質的でない過剰な反応が生まれているにも関わらず、そのことを否定するとPCやマイクロアグレッションそのものを否定しているように捉えられてしまうため声を上げることができないという負の循環に陥る。
読みながら難しいなと感じたのは、マイクロアグレッション等のの指摘がなされる場面では「(傷つける)意図の有無」ではなく、被害者側の「(傷ついたという主観の)結果」が重要になっているという話。実際マジョリティ側の抑圧的な言動は社会的な構造や環境の中で無意識に生まれてしまっていることが問題でそのことに気づかせるためのものなのだから意図の有無よりも結果を重視するというのはそもそもがそういうものだったのだけど、その対応だけが表面に出ると、むしろ意図としては逆に寄り添ったり配慮するものだったとしてもそこのズレを解消するチャンス、対話する機会が失われてしまうような場面が多くなっていることが、善悪二元的な発想の大きな問題点なんだと思う。
一方でこの「結果」重視の発想は人間関係だけでなくさまざまな分野での発想的トレンドになっているように思う。政策や社会的プログラム、あるいはさまざまな事業において、アウトカムやインパクトを重視するという発想もそうでしょう。社会を良くする「つもり」がいくらあっても実際的な成果をあげられないものではなく、しっかりとアウトカムやインパクトという変化を生み出せるかどうか、ということが意図よりも重要でありそれを示せるようにしましょう、と。確かに社会課題や経済の状況などからそうした文脈が重視されることはその通りだけど、市民の社会参加やあるべき社会像のことを考えると、どのような「つもり」で参加できているかやプロセスに重きをおく発想が抜け落ちてしまうとそれは危ういよな、と感じることと、本書で人間関係の捉え方において警鐘を鳴らされていることにも共通点があるように感じて、いろいろ考えていきたいなと思った。
なかなかの文量ですが、ポリティカル・コレクトネスやキャンセルカルチャー、分断等に関心のある方は一読をおすすめします。
