一年とぼける "部落フェミニズム" 2025年12月5日

部落フェミニズム
部落フェミニズム
のぴこ,
宮前千雅子,
熊本理抄,
石地かおる,
福岡ともみ,
藤岡美恵子
ホワイトフェミニズムについては知っていたけど、日本という文脈でそれがどう機能しているかには全く気を向けていなかった事を突きつけられた。自分自身マジョリティ男性として、インターセクショナリティとして生きている人たちのそのインターセクショナルを勝手に分解して、個別として理解できてるフリができているだけだったんだな、と。 また、「被差別部落」という差別がいかに反差別内でも透明化され、無かった事とされてきたか。東北出身という言い訳をさせてもらえれば、被差別部落問題の存在は知っていても、そこに主体を持って考える事が出来ていなかったのもあって、今まで学んだフェミニズムやジェンダー論の中でどれだけ被差別部落問題が後に回されて、不可視化された論立てをされていたかについて、発想すら出来ていなかった。 被差別部落民で女性でフェミニストで障害を持っていて、というそれぞれの社会的被差別属性を同時に生きているということは、それぞれの差別要素ごとに別々に差別を受けるというのではなく、全ての差別をそれぞれの被差別内ですら積み重ねられて生きていくということ。また、その複雑さから被差別内ですら異化されて「無かったこと」にされ「後に回される」。ぜひ多くの人に読まれてほしい。
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