宵菓 "世界はきみが思うより" 2025年12月6日

宵菓
宵菓
@yoruno_okashi
2025年12月6日
世界はきみが思うより
すごく自分に馴染みの良い物語で、久しぶりに早く小説を読み終わった気がする。自分と距離の近い物語は水のように自分に馴染んで、するすると言葉が入ってくる。 私もたぶん、どこかで世界を信頼できていない。信頼できるものはある。美しいものも好きなものも、自分の心に馴染むものがこの世界にあるという事実も、私はちゃんと知っている。けれど、世界自体のことは信頼できていない感覚もまたずっとある。世界に身を委ねられない、安心してそこに存在できない、居ていいと思えない。 すべてを「普通」の水準に合わせられる人を見ると、つい心の中ですっと線を引いてしまうのは、世界への居方を考えたことがなさそうだな、思ってしまうからだと思う。この人は無邪気に無自覚に「普通」で人を弾き出すんじゃないだろうか、と構えてしまう。「あ、この人は世界と自分の「型」が合わないとか感じたことはきっとないのだろうな」と思うと、その人との間にひとつ門を置いてしまう。 何かしら、世界との不調和や相入れなさを感じる人は、そのずれの位置が違くても、不調和の感覚だけは共有できる土台がまだあるような気がする(気がするだけでもある)。けれど、この世界の型のすべてに疑問なくはまれてしまう人との間には、やっぱり溝を感じてしまう。殻にこもりたいわけでも、他者をカテゴリで弾き出したいわけでもないのに、それでも心のどこかで外には滲まないようにバリアを張ってしまう。だからたぶん、この物語の中に出てくる人たちに、私はそのバリアを張る必要がなかったから、私は安心しながらこの物語の中にいることができた。彼らもまた、それぞれに不調和を抱えている人たちだったから。 恋愛、食、体質、生活の一部にあるような要素にマイノリティ性を持つ人びとが、この物語の中には出てくる。私もそれらの一般水準に当てはまれない部分がいくつかあるので、「ああ、わかるよ」と思いながら読んでいた。とはいえ私はこの世界の大半のことにおいてマジョリティであることも知っているので、「わかる」なんて簡単には言えないなとも思う。でも、わかるよ、と思ってしまった。私と彼らの持つ相入れなさの種類は違くとも、それによって生じる生きづらさの度合いは異なっていても、それでも世界との「合わなさ」をどうにか調整しないとこの世界に居られないあの感覚は、多分共通しているのだろうなとも思う。 私もまた、世界への信頼を取り戻したい一人だ。多分、取り戻している最中でもある。それは「はい、もう取り戻せました」「今取り戻しました」とどこかのラインを越えて急にクリアするようなものではなく、少しずつ積み上げていくものなのだと思う。冬馬が時枝くんに出会えたように、紗里が水田さんに出会えたように。それが人でなくてもいいし、恋愛である必要もない。本かもしれないし音楽かもしれない、空間かもしれないし動物かもしれない、食かもしれないし物語かもしれないし、そのすべてかもしれない。世界への信頼を取り戻すためのかけらを、私も少しずつかき集めたい。
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