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宵菓
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@yoruno_okashi
ゆったりといつかや今の本の記録をする
  • 2025年12月31日
    ファンになる。きみへの愛にリボンをつける。
    P.130 伝えるって自分が何をその人に渡したいか、それだけなので。相手がどうとか自分がどうなりたいとかではなく(もちろん相手を困らせたくはないですけど、そういう最低限の話ではなくて、相手にどう思ってほしいとかそんなことまでも期待したり予想したりするのは不可能という意味です)。だから心から自分がそれをしたいと思えたら、そのときだけまっすぐに「私は気持ちを伝えているんだ」って思えるのかもしれない。 --- 私にも推しがおり、去年推しに自分の言葉を伝える機会があったので、この部分はすごく、わかるなと思いながら読んでいた。 あのとき、直前まで何を伝えれば良いのかと頭を抱えていたけれど、最終的にはどう受け取ってほしいとか、何を伝えたらどう感じるだろうかとか、そういう相手側のことではなく、何を伝えるか、何を渡したいのか、あくまでも自分の気持ちでしかないんだなと思った。私が伝えたい言葉、贈りたい気持ち、手渡したい想いは何なのか。形式とか分かりやすさとかどんな言葉を貰ったら嬉しいんだろうとか、そんなものは置いておいて、私は私の渡したいものを渡したいと思って、直前までぐるぐると悩みながらも、最初に考えていた、ずっと伝えたかった言葉をあの日伝えたんだったな、と読んで思い出した。伝えられてよかった。伝わった、と思った。   結構ちまちまと読み進めて長いこと読んでたけど、2025年の読書納めの本でした。 私も私のその時々の愛を大事に包んで、しまって、時に届けたいなあと思った。好きは今この瞬間にしかないから、偽らずに、躊躇わずに、好きな時に思いのまま好きでいたい。
  • 2025年12月6日
    ブロッコリーパンチ
    ブロッコリーパンチ
  • 2025年12月6日
    世界はきみが思うより
    すごく自分に馴染みの良い物語で、久しぶりに早く小説を読み終わった気がする。自分と距離の近い物語は水のように自分に馴染んで、するすると言葉が入ってくる。 私もたぶん、どこかで世界を信頼できていない。信頼できるものはある。美しいものも好きなものも、自分の心に馴染むものがこの世界にあるという事実も、私はちゃんと知っている。けれど、世界自体のことは信頼できていない感覚もまたずっとある。世界に身を委ねられない、安心してそこに存在できない、居ていいと思えない。 すべてを「普通」の水準に合わせられる人を見ると、つい心の中ですっと線を引いてしまうのは、世界への居方を考えたことがなさそうだな、思ってしまうからだと思う。この人は無邪気に無自覚に「普通」で人を弾き出すんじゃないだろうか、と構えてしまう。「あ、この人は世界と自分の「型」が合わないとか感じたことはきっとないのだろうな」と思うと、その人との間にひとつ門を置いてしまう。 何かしら、世界との不調和や相入れなさを感じる人は、そのずれの位置が違くても、不調和の感覚だけは共有できる土台がまだあるような気がする(気がするだけでもある)。けれど、この世界の型のすべてに疑問なくはまれてしまう人との間には、やっぱり溝を感じてしまう。殻にこもりたいわけでも、他者をカテゴリで弾き出したいわけでもないのに、それでも心のどこかで外には滲まないようにバリアを張ってしまう。だからたぶん、この物語の中に出てくる人たちに、私はそのバリアを張る必要がなかったから、私は安心しながらこの物語の中にいることができた。彼らもまた、それぞれに不調和を抱えている人たちだったから。 恋愛、食、体質、生活の一部にあるような要素にマイノリティ性を持つ人びとが、この物語の中には出てくる。私もそれらの一般水準に当てはまれない部分がいくつかあるので、「ああ、わかるよ」と思いながら読んでいた。とはいえ私はこの世界の大半のことにおいてマジョリティであることも知っているので、「わかる」なんて簡単には言えないなとも思う。でも、わかるよ、と思ってしまった。私と彼らの持つ相入れなさの種類は違くとも、それによって生じる生きづらさの度合いは異なっていても、それでも世界との「合わなさ」をどうにか調整しないとこの世界に居られないあの感覚は、多分共通しているのだろうなとも思う。 私もまた、世界への信頼を取り戻したい一人だ。多分、取り戻している最中でもある。それは「はい、もう取り戻せました」「今取り戻しました」とどこかのラインを越えて急にクリアするようなものではなく、少しずつ積み上げていくものなのだと思う。冬馬が時枝くんに出会えたように、紗里が水田さんに出会えたように。それが人でなくてもいいし、恋愛である必要もない。本かもしれないし音楽かもしれない、空間かもしれないし動物かもしれない、食かもしれないし物語かもしれないし、そのすべてかもしれない。世界への信頼を取り戻すためのかけらを、私も少しずつかき集めたい。
  • 2025年11月30日
    世界はきみが思うより
  • 2025年11月26日
    虚弱に生きる
    虚弱に生きる
  • 2025年11月24日
    これがそうなのか
  • 2025年11月23日
  • 2025年11月23日
    友達じゃないかもしれない
    友達じゃないかもしれない
    宇宙人とアンドロイド(本の中で出てくる表現)の二人の交換ノート。 人間たちや社会との相容れなさを抱えている、けれどまったく違う方向性の思考や存在の仕方をする二人の密度の高い豪速球の言葉のキャッチボール(もっとドッチボールのような本なのかと思ったけど、きちんと互いに敬意があった上で投げているボールなので私はキャッチボールに感じた)は、読んでいてとても興味深かった。 私もあまりこの社会の標準規格とされている人間の型に合ってないと感じることの多い人間ではあるので、共感ではないものの、「ああ、こういう型の人間もいるんだろうな」と思いながら読んでいた。 上坂さん、ひらりささんそれぞれに「あ、この感覚は少し近いな」と思う部分があり、「ここはマジで全然わからん」と思う部分もあり、その度に「そう感じるということはじゃあ自分はどうなんだろう、自分はどの立ち位置にいるんだろう」と考えながら読んでいた。どちらかに共感する、どちらかの立場に近いというよりは、私は私で私の椅子を用意して、勝手に私も参加者Cとして脳内座談会を繰り広げているような読書時間だった。 なので脳内で楽しむ分にはとても面白かったが、私自身は他者への自己開示範囲をかなり限定する人間なので、この交換ノートを実施することは不可能だな、と思って読んでいた。他者に対してここまで自分の奥深くに侵入されることを二人ともが許容できる(それをそこまで不快と感じない)性質で、かつその前提を共有し合えているこの二人だからこそ可能になる交換ノートだと思った。
  • 2025年11月15日
    心の中で犬を抱きあげたあの日、自分に優しくなれた気がした
    著者は人を、生き物を愛おしみ、労る気持ちがなんて強い人だろうと思った。 こんなにも他者への労りの気持ち持って、あたたかい善意を持って生きていて、その善を保ち続けられていて、本当にすごい。とても私にはできないと思った。社会の中にある棘や剣や槍に、盾でバチンと跳ね返すわけではなくて、分厚い綿で包むような在り方をしている。 読んでいて、それに比べて自分の善の少なさにがっかりしたりはするものの、でもその柔らかさに、あたたかさに、読んでいる私もまた救われる。心に馴染む文章、そこにいるようなあたたかさ。フクダウニーさんもふわふわのあったかい犬のよう人だなと思う。けれどもっと重みを持った、どっしりとした、柔らかくあたたかい、懐の大きな文章だった。読めてよかった。
  • 2025年9月11日
  • 2025年9月8日
    自分にやさしくする生き方
  • 2025年9月5日
  • 2025年9月1日
  • 2025年8月30日
  • 2025年8月30日
  • 2025年8月30日
    調査する人生
  • 2025年8月21日
  • 2025年8月20日
    さみしくてごめん
    仕事帰りの電車で読み終えた。 長々と気づかないうちに封印していた、自分のなかの「なぜ」の蓋を、永井さんの言葉は開けてしまうんだなと気づいた。それは直接その文章にかかわることでも、そうでないことでも。 日常を回すために気づいたら押しのけ、しまい込んでいる私の中のあらゆる「なぜ」が、浮かび上がってきてしまう。自明だと思っていたものの輪郭がぼやけて、世界の形がぐにゃん、と歪んで揺らぐ。そうして問いを思い出す。自分の中に問いがあったことを思い出す。
  • 2025年8月4日
  • 2025年7月27日
    ケアの倫理とエンパワメント
    色んなところで見て前々から気になっていたのをようやく購入。
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