世界はきみが思うより
67件の記録
まり@bookvibesonly2026年1月10日読み終わった「気持ちって、いつもいっこじゃない」という言葉が印象に残った。 当たり前のようでいて、自分自身や関わる相手に対して抱く感情は、その時々でいくつも重なり合い、ひとつの感情だけでは片づけられないものだと改めて気づかされた。 人にはそれぞれの背景や感情があり、他人を100パーセント理解することはできない。 だからこそ、自分の発言によって無意識のうちに誰かを傷つけてしまうかもしれない、という怖さを日常の中でなんとなく抱いている。 腹が立つ相手にも、その人を大切に思っている家族がいて、私の知らない良さを知っている誰かがいるはずだと思うと、相手に向けた怒りが少し小さくなることがある。 仮に私を傷つける人が一部いたとしても、私自身が私のことを理解していればそれでいいし、私を好きでいてくれる人が周りに少なからずいれば、それで十分だとも思える。 人との距離や感情の揺れを、無理に答えを出さず、それでも静かに考えさせてくれる本だった。


ちとせ@4wsdig2026年1月1日読み終わった新年一発目は絶対絶対おもしろい本読みたい!と思ってたので寺地はるなさんと決めてた!(4年連続なのでもはや恒例行事) タイトルから「世界はきみが思うより捨てたもんじゃないよ」的な話を期待してたんだけど、まさしくそういう話で、陳腐な表現だけど心を洗濯したような気分。 ・オムレツ、あるいは 冬馬の父親、き、嫌いなタイプすぎる…!!もう何もかもが嫌いすぎる!!愛人に作らせた飯を!?何も知らない息子に!?食わせて!?最悪!! え〜〜〜人が見られたくない秘密を勝手に暴いて、「そんなの私たちは全然気にしないよ!」って押し付けるのは、本当に優しい世界でしょうか…?ホラーではないですか?思春期ゆえの幼さだとは思いますが被害者も思春期なんだから暴力的ではないですか? でも寺地作品ではその無神経で押し付けがましい優しさとやらを肯定的に描かないから…好き… ・木曜日のサンデー さりちゃん!さっきの話の未登場無神経女が主人公!ていうか時枝の写真流出の流れ、いとこのクラスメイト手癖悪すぎないか!? そしてそのいとこの言い分、幼くて傲慢でクラクラするけど、実際高校生なんて子どもだしな…という気持ちもある……でも事情を話して親から絞られたほうがいいと思うが… 紗里自体はなんか自罰的すぎて見ててしんどかった。付き合うとかじゃなくても水田と交流続けておくれ。 ・プウンドケーキ 冬馬と時枝、仲良くなってる〜!いや前編で既にかなり仲良さそうだったけども! 「子どもに大人のかわりをやらせちゃいけない」、まったくもってそのとおりで、子どもに大人の役割を押し付けて「えらいね」で消費するなんてあっちゃならねえことなんだよな…でも高校生でそれを理解してる時枝はすごいよ、なんなんだ… 冬馬のお母さんは読者から見るとかっこよくてすごいんだけど、冬馬がまだ小さかった頃には子どもの無理に気づけんかったんやなあ…という気持ちもある。 ・恋とレモネード 水田と紗里、しんどいなあ…好意と欲望がつながらないの、どういう感じなんだろう。 それでもいいから、と傍にいることにしたとして、たとえば水田が不意に性欲を覚えたときにそれは紗里以外の相手で発散することになるんかな。紗里が傷つくことを思って我慢してくれるんかな。 ・チョコレートサンドイッチと未来 冬馬と時枝、恋愛だったの!?そんな…仲良くなる過程もずっと見てたはずなのに全然気づいてなかった…今思えば弓歌は気づいてたような気がするのに…自分の鈍さにびっくりしちゃう… タイムマシンがあったら小さい頃の冬馬に会いに行って勇気づけるのに、という時枝の言葉に「今言うてもらったからじゅうぶん」って返す冬馬が良かったな〜。言葉って、内容そのものよりもいつ誰に言われるかが大事ですからね… ・ピクニックバスケットの歌 「人にはそれぞれ事情があるんだよと諭す態で、痛みを訴える人の口をふさぐようなことはしたくなかった」めちゃくちゃかっこいい…めちゃくちゃかっこいいよ紗里…私もそういう人間になりたい… 冬馬と時枝も、紗里と水田も、それぞれがそれぞれの形で幸せでありますようにと祈って本を閉じられた。紗里と、冬馬の母親と菜子がそう祈ったように。それがすごく嬉しい。


おいしいごはん@Palfa0462026年1月1日読み終わった読んでよかったなぁと感じる本だった。 するする読めるけど、迷いや悩みの言葉がたくさんあって考えさせられる本でもあった。 恨むことも恨まれることも単純じゃないと思う。誰かにとってのいい人が誰かにとって一生許さない人であることもある。それをみんな仲良くなってハッピーエンド!みたいにしてないのがよかったと思う。一つになることも簡単な善悪に分かれることもなく、複雑なものは複雑なままだった。 それでもできる範囲で自分の外に手を伸ばして、世界への信頼を少しずつ変化させていくような物語で、読書初めによかったかも。









さくら🌸@lily_sakura_2025年12月31日読み終わったある出来事から「世界が信頼できなくなった」冬真。彼が世界への信頼を取り戻すまで、の話ではなく、信頼できるようにがんばりたい彼の話。「世界ってあんまりやさしくない」と語る冬真の、1番近くの世界にいる人たちは温かくて、だから冬真はがんばりたいと思えるのだろうな。 「わたしやったらありのままの自分を受け入れてほしいって思うもん。人とちょっと違っても、わたしはわたしって、認めてほしいもん。まちがってる?」(p.62)と言う少女の幼さには見覚えがある。たぶん私も、高校生ぐらいまではそれを正と信じて疑わなかった。今でもそういうところがあるのかもしれない。たとえば紗里のように、体型を気にしてあまり食べることをしない、食べられない人に対しても、「食べないと栄養がつかないよ」「ちょっとふっくらしてても綺麗なのに変わりないよ」と、直接は言わなくても思うことはある。自分ならこうされたい、ということが必ずしも他人に当てはまるとは限らないし、人には人の、守りたい世界があるのに。寺地作品にはこういった、自分自身で見覚えのある幼さが描かれるところがあり、常々自分を省みてしまう。 冬真の母、香川さんの、 「しがみついたらだめやと思った。冬真が大事、でも冬真の存在を唯一の生きがいにしたらあかんって」(p.214) 「なんでも食べられるようになった。親よりも大切な人を見つけた」 「それがうれしくて、すこしだけさびしくて、でもやっぱりうれしい」(p.215) という言葉が温かくて好き。こんなふうに子どもを育てられたらいいな。
momo@momo52025年12月11日読み終わったp188 きみはなんにもまちがってないよって言ってやる p197 だって、世界ってそんなにやさしくないじゃないですか 世界はそんなにやさしくないと思ってしまうのは、何かに「期待していたい、縋っていたい」と思う自分が心の内にいるはずなのに、傷つく未来がみえているから期待することすら辞め、世界を信頼できなくなってしまうのではと思う。 ただ、それは今まで傷ついてきた経験があっての自己防衛。決して悪いことじゃない。 冬馬は最後にp197のセリフを言うけれど、少なからず良い方向に向かっていったこともあった。未来はどうなるか分からないけれど。 世界に期待する、信頼するいうよりも、「もう少し私に優しくしてくれてもいいんだよ」って気持ちでいるくらいが丁度良いのかも。その方が見落としてしまいそうなこれっぽっちの良いことも輪郭を帯びてくるだろうし、案外世界も悪くないかもと思えそうなんだ。

宵菓@yoruno_okashi2025年12月6日読み終わったすごく自分に馴染みの良い物語で、久しぶりに早く小説を読み終わった気がする。自分と距離の近い物語は水のように自分に馴染んで、するすると言葉が入ってくる。 私もたぶん、どこかで世界を信頼できていない。信頼できるものはある。美しいものも好きなものも、自分の心に馴染むものがこの世界にあるという事実も、私はちゃんと知っている。けれど、世界自体のことは信頼できていない感覚もまたずっとある。世界に身を委ねられない、安心してそこに存在できない、居ていいと思えない。 すべてを「普通」の水準に合わせられる人を見ると、つい心の中ですっと線を引いてしまうのは、世界への居方を考えたことがなさそうだな、思ってしまうからだと思う。この人は無邪気に無自覚に「普通」で人を弾き出すんじゃないだろうか、と構えてしまう。「あ、この人は世界と自分の「型」が合わないとか感じたことはきっとないのだろうな」と思うと、その人との間にひとつ門を置いてしまう。 何かしら、世界との不調和や相入れなさを感じる人は、そのずれの位置が違くても、不調和の感覚だけは共有できる土台がまだあるような気がする(気がするだけでもある)。けれど、この世界の型のすべてに疑問なくはまれてしまう人との間には、やっぱり溝を感じてしまう。殻にこもりたいわけでも、他者をカテゴリで弾き出したいわけでもないのに、それでも心のどこかで外には滲まないようにバリアを張ってしまう。だからたぶん、この物語の中に出てくる人たちに、私はそのバリアを張る必要がなかったから、私は安心しながらこの物語の中にいることができた。彼らもまた、それぞれに不調和を抱えている人たちだったから。 恋愛、食、体質、生活の一部にあるような要素にマイノリティ性を持つ人びとが、この物語の中には出てくる。私もそれらの一般水準に当てはまれない部分がいくつかあるので、「ああ、わかるよ」と思いながら読んでいた。とはいえ私はこの世界の大半のことにおいてマジョリティであることも知っているので、「わかる」なんて簡単には言えないなとも思う。でも、わかるよ、と思ってしまった。私と彼らの持つ相入れなさの種類は違くとも、それによって生じる生きづらさの度合いは異なっていても、それでも世界との「合わなさ」をどうにか調整しないとこの世界に居られないあの感覚は、多分共通しているのだろうなとも思う。 私もまた、世界への信頼を取り戻したい一人だ。多分、取り戻している最中でもある。それは「はい、もう取り戻せました」「今取り戻しました」とどこかのラインを越えて急にクリアするようなものではなく、少しずつ積み上げていくものなのだと思う。冬馬が時枝くんに出会えたように、紗里が水田さんに出会えたように。それが人でなくてもいいし、恋愛である必要もない。本かもしれないし音楽かもしれない、空間かもしれないし動物かもしれない、食かもしれないし物語かもしれないし、そのすべてかもしれない。世界への信頼を取り戻すためのかけらを、私も少しずつかき集めたい。

なぎさ@sui_miya_12082025年11月15日読み終わったよかったーーー! 気遣うから傷ついて、自分が不甲斐なくて恥ずかしくて。 でもそういう自分を愛せなくとも一緒に生きていければ。 冬真くん時枝くん、どうなってくんだろう…おそろいのお弁当箱使ってるうちは大丈夫だよね。
























































