
MAOW☪︎⋆
@freakyzuiki
2025年12月7日
川のほとりに立つ者は
寺地はるな
「人のことを分かった気になってはいけない。決めつけてはいけない。」
「誰にでも事情はある。」
それは最近の流行りと言ってもいい切り口であるし、
別段特別な視点ではない。
ただ、忘れてはならないのは、
その「誰にでも」には「自分」も含まれているということだ。
「自分もそうなる可能性がある」
いや、誰かにとっては「すでにそうだった」可能性すらある。
それは例えば『プロミシングヤングウーマン』を見て
「こんな最低な男にはなりたくない」と平気で言えてしまう人のように
「自分だけは例外」と当たり前に思えてしまうことの恐ろしさよ。
そして、もう一つのテーマ、「人間の性格に善も悪もない」
人間の性格というものには、善と悪がグラデーションで存在しており、
そして、時と場合によりその濃淡が変化しているだけなのである。
こちらも、まあ「そんなことは分かっていますよ」的な話ではある。
ただ、やはりこの小説は、そこを描くにあたり
「まお(奇しくも俺と同じ名前)」という、大変魅力的な人物を登場させられている時点で、もう勝ちである。
彼女の内面はほとんど描写されない。
序盤は彼女の性根の悪さを全面に描いている。
「字が下手な樹に文通を申し出る」
「恋人が意識不明なのに笑っている」
「絶妙な嫌味を言う」
「守りたいと思われるような女を演じてきた」
など。
ただ、たった一文挟み込まれていた「泣きながら弁当を食べていた」という描写が強烈に印象に残る。
果たして彼女は本当にただの性悪女だったのか、と。
自身の生い立ちや性格、考え方について言及するときに彼女は決まって笑っていた。
それは決して「性格の悪さ」からくる笑いではなく、
「こんな生き方、考え方、人との接し方しかできない自分への呆れ・絶望・諦め」の表れだったのではないか。
そのことに主人公もラストで気づく。
たとえ「本人の口から出た言葉」であったとしても
それがその人の内面を本当に反映しているかは分からないのである。
それこそ、「川に沈む石」のように、
覗き込んだところで見えないものだらけだ。
人はいとも容易く「信じたいものを信じてしまう」
裏がありそうな女が性格の悪い発言をすれば「やっぱり」と納得してしまう。
その危険なことよ。
最後、
まおにとって、樹は利用するだけの男ではなかったことが示唆される。
だが、ここでもやはり本当のところは分からない。
人の心は誰にもわからない。
助けてあげたいと思っても拒絶されることもある。
でも、願うことだけなら許されるだろうか。
これ、タイトル変えないほうが良かったのでは。
もともとは「明日がよい日でありますように」ってタイトルでやってたのね。





MAOW☪︎⋆
@freakyzuiki
p70
いっちゃんがテーブルに置いたふたつの飴には見覚えがある。赤と青のストライプに天使の絵。子どもの頃に何度か食べたことがある。コーラ味かソーダ味だったはずだ。大玉の飴には気泡が混じっている。食べていると必ずと言っていいほど口内が切れて、最終的には自分の血を味わうことになった。
「泣きながら、弁当食ってたんやで」
「松木は泣きながら飯食うたことあるか?」
親というものは時々平気な顔で、人前で自分の子供を貶す。謙遜のつもりなのだろうか。自分の子どもを自分という人間の一部みたいに思っているのかもしれない。
今はおそらく本音を語っている。むきだしの、血を流している傷口みたいな声だ。