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@freakyzuiki
  • 2025年12月7日
    浜村渚の計算ノート
    モリヒロシの「すべてがFになる」に通じるところもあると思う。ダメな部分でですけど。 「理系バカにすんな」 まず、この小説がそれを謳っているのかは知らないが、「理系小説」ではない。 数学の話を出しておけば理系なのか? 理系だったら、文章や文体は気にしなくていいとでも? 悪いが、文章、というか文体が稚拙すぎる。 「読みにくい」とか「合わない」ではなくて、もはや「痛々しい」レベル。 ネーミングセンスもない。 「黒い三角定規」 セリフのセンスもない。 「Have a nice MATH」 これも「すべてがFになる」と同じだけど、必要のないところでクドクド説明し、説明がいるところではすっ飛ばす。 いや、もう少し読者の気持ちになってくださいよ・・・。 それから、何より酷いのが、設定がコロコロ変わるところ。 最初、黒三は「一か月の猶予をやる」と言いましたよね? が、次の章では、黒三は「三か月待ったが・・・」と言います。 大して真剣に読んでなかったんで、僕の思い違いかと思って何回も確認してしまいましたが、作者のミスですよね。 その後の警察の話では、また1ヵ月に戻ってましたし・・・。 で、大阪デパートにて、浜村渚「赤と白のタイルは絶対に連続で並ばないんですよ。で、この並びでn枚で何通りの並べ方があるか・・・。一枚だと赤 or 白、二枚だと赤赤 or 白白 or 赤白・・・」 いやいや、「この並びで」ってことは、赤と白は連続したらダメなんでしょ?しっかりしてよ・・・。 フィボナッチ数列に繋げたいなら、「赤と白は絶対に連続しない」とか余計なセリフ入れなければいいじゃないですか・・・。 作者、頭大丈夫なのかな・・・。 で、一番ひどいのが、 「0で割っちゃダメなんです!」wwww 思わず「うわー・・・」って声出してしまいました。 本気で読むの止めようかと思いました。こんなこと思ったの初めてです。 それから、あとがきに「『log10』などの表記にニヤリとするだろう」ってありました。凄い不快になりました。 あのですね、シンプルに表現できるものをわざわざ分かりにくく書くことに何の意味があるんですか? そもそも底はいくらなわけ?e?自然対数?ln? それとも10?常用対数? もうこの時点で馬鹿丸出し。 少なくとも「理系」なら腹立ちますよ、これ。 √100?いやいや、普通に「10」って書けよ。 分数を約分せずに放置してるのと同じですよ? ほんと、こういう「理系ぶってる」だけの馬鹿は腹が立ちます。 悪いですが、続編は絶対読みません。
  • 2025年12月7日
    クジラアタマの王様
    たまに伊坂幸太郎がやる、実験的な小説。 『あるキング』であったり、『首折り男のための協奏曲』であったり。 どれも実験的であるが故、未完成な部分もあったが 斬新な発想のアイデアには毎回感心させられ、そしてストーリー自体もそれほどつまらなくはないので、粗方満足することが多かった。 今回の小説での試みは、2つの世界を描くにあたり、それぞれを、片方は文章のみ、もう片方は絵のみで表現する、といったもの。 よくできていると思うが、説明される描写と描かれている絵にズレがあったりして混乱した。 さらに、最後に明かされる真相というか、要は「気持ち次第」と言いたいのだろうが、メッセージに拍子抜けした。 伏線回収を期待していたのだが、結果的にはかなり薄いテイストに仕上がった印象。 しかしこれをもとに、今後同じ手法でさらなる面白い小説を書いてくれると信じている。
  • 2025年12月7日
    川のほとりに立つ者は
    「人のことを分かった気になってはいけない。決めつけてはいけない。」 「誰にでも事情はある。」 それは最近の流行りと言ってもいい切り口であるし、 別段特別な視点ではない。 ただ、忘れてはならないのは、 その「誰にでも」には「自分」も含まれているということだ。 「自分もそうなる可能性がある」 いや、誰かにとっては「すでにそうだった」可能性すらある。 それは例えば『プロミシングヤングウーマン』を見て 「こんな最低な男にはなりたくない」と平気で言えてしまう人のように 「自分だけは例外」と当たり前に思えてしまうことの恐ろしさよ。 そして、もう一つのテーマ、「人間の性格に善も悪もない」 人間の性格というものには、善と悪がグラデーションで存在しており、 そして、時と場合によりその濃淡が変化しているだけなのである。 こちらも、まあ「そんなことは分かっていますよ」的な話ではある。 ただ、やはりこの小説は、そこを描くにあたり 「まお(奇しくも俺と同じ名前)」という、大変魅力的な人物を登場させられている時点で、もう勝ちである。 彼女の内面はほとんど描写されない。 序盤は彼女の性根の悪さを全面に描いている。 「字が下手な樹に文通を申し出る」 「恋人が意識不明なのに笑っている」 「絶妙な嫌味を言う」 「守りたいと思われるような女を演じてきた」 など。 ただ、たった一文挟み込まれていた「泣きながら弁当を食べていた」という描写が強烈に印象に残る。 果たして彼女は本当にただの性悪女だったのか、と。 自身の生い立ちや性格、考え方について言及するときに彼女は決まって笑っていた。 それは決して「性格の悪さ」からくる笑いではなく、 「こんな生き方、考え方、人との接し方しかできない自分への呆れ・絶望・諦め」の表れだったのではないか。 そのことに主人公もラストで気づく。 たとえ「本人の口から出た言葉」であったとしても それがその人の内面を本当に反映しているかは分からないのである。 それこそ、「川に沈む石」のように、 覗き込んだところで見えないものだらけだ。 人はいとも容易く「信じたいものを信じてしまう」 裏がありそうな女が性格の悪い発言をすれば「やっぱり」と納得してしまう。 その危険なことよ。 最後、 まおにとって、樹は利用するだけの男ではなかったことが示唆される。 だが、ここでもやはり本当のところは分からない。 人の心は誰にもわからない。 助けてあげたいと思っても拒絶されることもある。 でも、願うことだけなら許されるだろうか。 これ、タイトル変えないほうが良かったのでは。 もともとは「明日がよい日でありますように」ってタイトルでやってたのね。
  • 2025年12月7日
    どうしても生きてる
    健やかな理論 別に死にたいわけじゃない。でも「もういっか」って思うことはある。そんなとき、手軽に死ねるツールがすぐ側にあれば、自殺も不思議じゃない。 七分二十四秒めへ 音楽を聴いていても映画を見ていても、何をしていても現実が迫ってくる。もう希望も何もないのなら、一時でもいいから現実から目を背けたい。だから中身のないくだらない動画を、今日も見るのだ。そのときだけは、救われるから。 流転 「好きなように生きる」ことと「嫌なことから逃げる」ことは違う。投げ出して逃げ出してばかりの人生では、どうしたって自分自身に対しての後ろめたさが付きまとう。 遠い自分のために、時には信念を曲げ、絶対に譲れないと思っていたものすら差し出し、自分が対峙しているものと「向き合う」ことが必要になる。 籤 救いようのない話。絶望。醜い人間の本性を暴くこと。朝井リョウの本質だと思っていたものについて、自己言及的な批判をしていた。だが我々は知っている。いつだって最後には、消え入りそうな希望を残してくれていることを。だから、今日もまた生きるしかないのだ。 受け入れがたい現実を目の前に「こうなったことにも意味はある」とは思えなくとも、それでも生きるしかない。生きればそれが次の「生きる術」に繋がる。乗り越えた試練を繋げて、次の試練に挑むのだ。
  • 2025年12月7日
    逆ソクラテス (集英社文庫)
    逆ソクラテス
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