いるかれもん "読書からはじまる (ちくま文..." 2025年12月7日

読書からはじまる (ちくま文庫)
「あ、この言葉いいな」と思う文章がありつつも、全体として今自分が読むべき本ではなかった、もしくは自分には合わなかったというのが正直な感想。解説で、本を普段読まない人にも勧められると書かれていたが、正直全く違う感想をもっている。 この本はエッセイで、著者の考える「読書」というものについて主観的に書かれている。それ自体はエッセイとして当然のあり方であると思うし、私もブログで似たような文章を書いている。しかし、この本は強く断定的に書かれている印象で、著者の考えを一方的に押し付けられているように感じてしまい読んでいて窮屈に思った。正直イライラした。例え著者の主観に立った主張であることが前提であっても、あたかもそれがこの世の真実で疑う余地なしみたいな書かれ方されてしまうと心理的には距離を置きたくなる。もう少し優しく読者と著者が歩み寄れる余白のある書き方をしてくれたらよかった。 私がこの本に書かれている内容に腹落ちしていないからだとも思うけれど。 読んでいて、結構レトリックに頼って話が展開されているような印象で、もしかしたら、きちんと理解しようとしなくてもいいのかもしれない。そういうスタンスで読まないとついていけない気がする。「本」「読書」「言葉」「情報」などの言葉が多用されるが、それぞれ著者の価値観に基づいた形で使われている一方、その定義がきちんと明示されていないので混乱する。また、例え話も多く登場するが、その例えがどのように読書という営みや考えに対応しているのかも不明瞭であると感じた。 全体として、本が好きな人が「とにかく読書は素晴らしい」と言い続けているような印象になってしまった。YouTubeとかで読書の啓蒙活動をしているチャンネルをみていてもたまに思うが、本がもともと好きな人が、ただ、テンション高く好きな本を紹介したり、本はいいぞとアピールしても、それは本好き同士の内向きな発信になって、普段本を読まない人には届きにくいような気がする。もちろん全てがそうだと言いたいわけではないけれど。 様々な形態のコンテンツがある中で、そのうちの一つとして本というメディアを捉えて相対化して、その中で本がどのような良さを持っているのか発信していかないと普段本を読まない人には届かない気がする。
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@reads-dolphin
ただ、エッセイに否定的な感想ばかり書いても単に著者と考えが合わなかったというだけのことなので、いくつかいいなと思った文章を挙げたいと思う。 (p.10) いい本というのは、そのなかに「いい時間」があるような本です。読書といういとなみがわたしたちのあいだにのこしてきたもの、のこしているものは、本のもっているその「いい時間」の感覚です。本のある生活、本のある情景はこころにくいという感覚がおたがいのあいだにたもたれるようでないと、社会の体温が冷えてしまう。 → 本の中の「いい時間」を享受することが読書であるとするならば、私が考えてきた、「本を読むことでその時間を豊かに過ごし、その本を読んで良かったと思える」ことが本を読む目的であるという考え方に通じるなと感じた。 (p.186) 言葉というのはその言葉で伝えたいことを伝えるのではない。むしろ、その言葉によって、その言葉によっては伝えられなかったものがある、言い表せなかったものがある、どうしてものこってしまったものがある、そういうものを同時にその言葉によって伝えようとするのです。
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