
夜凪 順
@yonagijun
2025年12月8日
ハンチバック
市川沙央
かつて読んだ
この書籍を手に取ったのは、とあるインタビューがきっかけだった。
復讐をするつもりだったと語る市川さんに、言葉にできない感情が芽生えた。
「私は紙の本を憎んでいた。」
これまでの日常において、恥ずかしいことに意識したことがなかった。
好きなときに書店へふらりと足を運び、新品特有の香りを楽しみながら紙を捲る。
それは当たり前のことで、私にとっての至福のひとときだった。
しかし、時として本の重みも、電子書籍の光も、全てが苦痛になりうる人たちがいる。
当事者にしかわかり得ない、憤りや眺望、怒りが込められている作品と、私は受け止めた。
井沢釈華の背骨は右肺を押しつぶす形で極度に湾曲し、歩道に靴底を引きずって歩くことをしなくなって、もうすぐ30年になる。
両親が終の棲家として遺したグループホームの、十畳ほどの部屋から釈華は、某有名私大の通信課程に通い、しがないコタツ記事を書いては収入の全額を寄付し、18禁TL小説をサイトに投稿し、零細アカウントで「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」とつぶやく。
ところがある日、グループホームのヘルパー・田中に、Twitterのアカウントを知られていることが発覚し……と物語が展開する。
そこで賛否両論だったのが“性”に触れられた場面があったこと。
気持ち悪いとの率直な声や、描写を取り入れる必要はあったのかという疑問、様々な言葉が飛び交っているのを見かけた。
蛇足になるが、私は子どもが産めない。
体は回復して健康体なのに、無性に非生産的な人間だと感じることがある。
だが、釈華は30年近く病気により生活は制限され、異性との触れ合いはおろか、その行為そのものに死に至る危険性が潜んでいる。
子どもを自分のお腹に宿し産むこと、女性なら当たり前のこと、そう当たり前のことさえできないからこそ、死ぬまでに一度は……と、思いを抱くのではないのか。
孕んで、堕胎するという表現も、現実問題として産み育てることが難しいと理解しているからこその、願望のひとつではないだろうか。
決して、軽々しいものには聴こえなかった。
そして、最後の紗花が登場する場面。
釈華と田中の物語とリンクするかと何度か読み返したが、ここだけ疑問が残ったまま。
「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」とつぶやいていた釈華だが、その願望が叶ったのだろうか。
読了後はいろんな感情がないまぜになり、やるせないような、泣きたいような、苦しいような、筆舌に尽くしがたい気持ちを抱えた。
ただ、後味が悪いというものではなく、雨上がりの空にほんの少し、青空が見えたような心境だった。




