

じゅん
@Insomnia___404
のんびりと気ままに読書中。
言葉の海に溺れて、文章を編むのが好きです。
- 2026年1月29日
一次元の挿し木松下龍之介読み終わったヒマラヤ山中で発掘された二百年前の人骨。大学院で遺伝人類学を学ぶ悠がDNA鑑定にかけると、四年前に失踪した妹のものと一致した。不可解な鑑定結果を担当教授の石見崎に相談しようとした矢先、石見崎は何者かに殺害された。古人骨を発掘した調査員も襲われ、研究室から古人骨も盗まれた。悠は妹の生死と、古人骨のDNAの真相を突き止めるべく動き出すが、予想もつかない大きな企みに巻き込まれていく──。 とうとう読み終えてしまい名残惜しい作品。 何が驚きかと、元々松下さんは小説家になりたいわけではなかったにもかかわらず、ここまで人を惹きつける作品を書けるという点だ。 かなり、いや相当羨ましいものである。 読了後は映画一本見終えたような充足感に包まれる。また、中弛みしない展開に巧みな視点誘導、そこかしこに散りばめられた伏線が一本となったとき、思わず声をあげそうになってしまった。 気持ちは主人公である悠と一緒だ。 “もう君と出会っていたのか……”と。 遺伝子の話も多く出てくるが、つい興味を惹かれてしまうくらいにわかりやすい。 ひとつの次元・方向だけで構成される状態、または「線」の広がりへの挿し木。SFめいた部分もありながら、何処かでもしかしたら……と思わせる描写がたまらない一冊だった。 - 2026年1月24日
月のうた左右社編集部かつて読んだどこから開いても〈月〉がみつかる、はじめて短歌に触れるひとにむけた、とっておきの100首。夜をみあげれば、ほそい月、まるい月、あかるい月、みえない月、おおきな月、とおい月、つめたい月、もえる月……うつろう月のもとに100人の歌人がうたった、わたしだけの月のうた──。 私は偶然立ち寄った丸善でのポップに目を惹かれた。 恐らく店員さんが手作りで用意したのか、歌人の一首を印刷したものが掲示されていた。 そのなかでも、私が短歌に触れるきっかけとなったのが寺井奈緒美さんの一首だった。 ぜひ実際に手に取ってもらいたくこの場での内容は差し控えるが、気持ちが雑巾のようにすり減り、汚れ切っていた私の心を温かくしてくれた……それほど優しいものだった。 寺井さんの他にも素敵な短歌を詠む人が大勢おり、すべてを声に出して読んだ。 どういうわけか、声に出して読みたくなるような一冊だったのだ。 月の他にも花や雨、海などをテーマにしたものがある。 表紙もテーマに沿ってこだわり抜いたであろうことが感じられる。 冬夜のお供に、もしかしたら“推し”の歌人に出会うきっかけになるやもしれません。 - 2026年1月24日
斜陽太宰治読み終わった最後の貴婦人である母、破滅への衝動をもちながらも“恋と革命のため”生きようとするかず子、麻薬中毒で破滅してゆく直治、戦後に生きる己自身を戯画化した流行作家上原。 没落貴族の家庭を舞台に、真の革命のためにはもっと美しい滅亡が必要なのだという悲愴な心情を四人四様の滅びの姿のうちに描く──。 何度読んでも、太宰さんの作品の湿り気や艶かしい表現がたまらない。 恋と革命に生きたかず子に同意こそできないが、この時代では普通だったのだろうか。 やはり死ぬ間際の人間とは、誰にも相談せずに逝ってしまうだろうか。 ある人物の遺書は、頁を何度も指でなぞりながら読み進めるほどだった。 誰か相談できる相手がいたら変わっていただろうか。否、きっと終わらせただろう。 しかし、秘めたる恋心はあまりにも純粋で真っ白だったものだから、私は好ましい。 ある種の革命を遂げたかず子はきっと、マリアとして子のため強く生き続けるのだろう。 太宰さんの代表作であり、彼の境遇と少し重なるとこのあるこの作品が読み切れたこと、大変光栄に思った夜明け前だった。 - 2026年1月16日
100分間で楽しむ名作小説 白痴坂口安吾読み終わった白痴の女と火炎の中を逃れ、「生きるための、明日の希望もないから」女を捨てていく張り合いもなく、ただ今朝も太陽の光が注ぐだろうかと考える。戦後の混乱と頽廃の世相にさまよう人々の心に強く訴えかけた表題作である──。 白痴の意味を知ったのも、戦争による焼夷弾などの威力の怖さに身震いしたのもこの作品。 家人に疎開の経験がある者がいたため幼い頃から耳にしていたが、ここまで臨場感ある表現だと読んでいる間に手に汗を握ってしまい、グラシン紙が湿ってどうしようもなかった。 初めの感想としては"爛れてますねぇ…"という言葉が自然ともれた。 時代が時代ということもあるだろう。今ではどこまで明け透けに言葉にできるだろうか。 所々共感めいた気持ちになったところもあった。 いただく給与で制限されることの多さ、理想と現実の狭間でヤキモキとする部分だ。 私自身仕事上で似たような気持ちになっていたところだったので、ひとつ頷いたところだ。 そして、白痴の女。 書籍に購入する決め手となったのが「死ぬ時は、こうして、二人いっしょだよ。」という一文だったのだが、そこで登場してあまつさえ喜びとも言い難い感情を見出したのか、と。 愛情はないにしろ肌に触れ、人目を気にしながらも連れ立って逃げ出し、その言葉を口にできた時点で相当の覚悟がおありのように感じたのだがどうなのだろうか。 伊沢に近しい人間だったとしたら、脇腹をついと小突いて真意を尋ねたいところだ。 そして、私はこの台詞は好きな方だ。 全体的な内容で得手不得手はあると思うが、命をギリギリ繋いでいる状況で言えるかと問われたら、白痴の女を一時的にでも大人しくさせるための方便だとしても言葉にできない。 むしろ言われてみたいとさえ思った。 100分間で楽しむ名作小説では解説が見受けられなかったため、解説付きのものをもう1冊買おうかと考える夜冬の読書だった。 - 2026年1月15日
一日の終わりの詩集長田弘読み終わったとうとう読み終えてしまいました。 言葉が軽んじられてしまう時代に、言葉や日々と向き合う詩はどれも実直に感じた。 読了後は「私は……」と、色々と考えさせられてしまった。 私は何でも言葉にしたいがため余白や沈黙に対して、少し抵抗感があるのだ。 でも、長田さんの詩を読んでいると、その沈黙こそが私にとって必要なものだったのかなと、そう思い直すことができた。 追記 2026.01.15 ----- 誰かに必要とされたくて、俗に言う何者かになりたかった。 愛に飢えて、身を削って差し出すような生き方の私にとって、人生観を変えた詩だった。 ひとりでいてもいいのだと、愛なぞ名詞で説明できない存在に振り回されて。 でも愛があるからこそ優しくもなれて、美しくも見えて、それでいいとでも言うように。 私の勝手な解釈で御本人にそんな意図はないのかもしれないけど、そう汲み取ったのだ。 こんなにも読み終わりたくないと思った詩は初めてで、残りの頁が減ってゆくのが寂しい。 読み進める手、読み終わりたくない気持ちの二律背反、憂うこの感覚が愛でもいいのかな。 最後の章まで進んでしまった。 手で触れている感覚、見聞きしたもの、今この瞬間を写真のように切り出して、栞みたいに詩の余白に挟み込めたらいいのに。 私は、間違いなく誰かの言葉で生かされてる。 - 2025年12月25日
あなたに犬がそばにいた夏佐内正史,岡野大嗣かつて読んだ腕時計にちょっとした小銭ケースを持ってふらりと出掛けるような、それくらい気楽に、そして感じたままに言葉を短歌として形作っていいのだと教えてくれた一冊でした。 そこに犬はいない。でも誰かの煌めく未来や、真正面から受け止めた現在、懐かしさと不安が一緒に住まうような温度や香りが確かに此処にあった。 立ち止まってひとりの私に、まるで思い出を分け与えてくれるみたいに。 犬とは、心にぴとりと寄り添ってくれるような存在であり、無償の愛のようなものなのかなと、思い浮かべて。 住んでるところは田舎故に、大阪に比べたら遮るものはなく見上げるものは空くらいで、都会の路地裏や道路下の無機質さに浪漫が詰まっているように感じたのです。 ひとりで読んでいたはずなのに、気付いたら隣に温もりがあるような、そんな優しい短歌たちです。
- 2025年12月24日
ストロベリーナイト誉田哲也かつて読んだ私がミステリーやサスペンス系の作品を好むようになった、きっかけの一冊。 ──警視庁捜査一課の警部補・姫川玲子シリーズ。 竹内結子さんをはじめ、西島秀俊さんや小出恵介さんなどの名だたる俳優陣がドラマや映画に出演していたので、当時ご覧になっていた方はもちろん、タイトルだけでも知っているという方もいるのではないだろうか。 事の始まりは、溜め池近くの植え込みからビニールシートに包まれた男の惨殺死体が発見されたことだった。捜査の中で単独の殺人事件で終わらないことに気づく姫川、謎の言葉「ストロベリーナイト」が意味するもの、辿り着いた先に待つ答えは衝撃的な事実で……。 その答えに至るまで、くせ者揃いの刑事たちとの悪戦苦闘や今なお姫川を苦しめる過去の記憶、そのことで心配がゆえにギクシャクする母との関係性、容疑者側の気持ちが理解できてしまう姫川の心理描写などは、胃に鉛を飲み込んでしまったかと思うほど重く沈む。 そして、警察小説といえば現場の描写があることが特徴的ではないだろうか。 そのグロテスクさは、嫌でも脳裏に光景を鮮明に描かせるほどであり、しかしページの端を摘む指は離せないほど没頭していた思い出がある。耐性がない人に対しては気軽に勧められる作品ではないが、シリーズ第二弾となる「ソウルケイジ」などの泣けてしまう作品もあるため、興味のある方は是非に、という気持ちである。 - 2025年12月21日
読み終わったこの書籍を手にとったとき、私は信じていたのだ。 あたたかいご飯を通じ、これまたあたたかい人間模様が描かれているのだと。 しかし、読み始めて数ページで"誰かの生活の一部を覗いている“ような感覚に陥った。 それほど現実的で、生々しくて、実際の生活の中で経験している部分があるからだ。 そして、高瀬隼子さんは胸に渦巻くもやもやとした気持ちを言葉にすることが上手だなと、率直な感想が生まれた。 そして解説の一穂ミチさんも、恐らく大半の読者の言いたいこと・思ったことを明確に言語化していてくれて、赤べこのごとく頷くばかりだった。 二谷の台詞である「洗わないで放置した鍋の中に濁った水みたいな胸の内」、なんとも不快で触れるのも躊躇ってしまうような気持ちだろうか。 前後の文脈と合わさるとそこまで"う……っ”と、込み上げてくるものはないはずなのだが、終幕に向かうにつれて二谷の食事に対する嫌悪感が露わになっていく様子が強烈だった。 ちなみに、私は食事に対しては二谷よりの考えだ。 お菓子の甘ったるさ、咀嚼、手作りへの信仰にも似たおべっか、決まり文句。 食事で時間を取られるくらいなら本を読み漁りたい、仕事のことを忘れて惰眠を貪りたいし、一粒で一日の栄養素を摂取できるサプリメントがあったならそれで済ませたいほどだ。 体を大切になんてどの口が言うか、負担の皺寄せによって仕事だけで一日を終えてしまうような人間に、細く、繊細で、儚げな芦川はどのような心境で言葉にしたのだろう。 この物語は二谷と押尾の2人の視点で描かれているため、芦川の腹の底が読み取れないことが薄気味悪さを増幅させているように感じた。 諦念、眺望、妬み嫉み、でも完全な憎悪まではいかないから憎みきれない。 でもこのご時世、おおっぴろげに不満を漏らすことも難しいわけで。 味わったことのある感覚を指でなぞられるようで、図星とでもいうか。 誰かが無理できなくて、でもその分ほかの誰かが肩代わりして世界は回る。 じゃあ、肩代わりした誰かの気持ちは何処へ行くんだろう、何処で消化すればいいのだろう。 ……と、ここまで書いて本のタイトルにもう一度目を向ける。 二谷の妹の台詞も相まって、下手な怪談話よりも恐ろしいことが頭をよぎってしまった。 このタイトルは、果たして誰の祈りで、願いなのだろう。 私たちには言葉がある、感性がある、理性がある。 どうか嫌なことや苦手なことがあるならば、言葉にする勇気をもってほしい。 言葉にしても通じない化け物じみた人間が相手ならば、押尾のように環境を変えてほしい。 どの立場の登場人物も何処かで見覚えがあるからこそ、読了後に味わう失敗した料理やお菓子を無理矢理胃に流し込んだときのようなこの不快感を、私はビールの代わりにミルクティーで飲み下している。 - 2025年12月19日
人間失格太宰治かつて読んだ「恥の多い生涯を送って来ました。」 何度読み直してもこの一文はずるいなと、そう思うのです。 字数にしたらたった14文字、それなのに鮮烈に記憶に残していく。 太宰という男性がどういう人間だったのか直接話したかったと思うくらい、その才能が妬ましくて仕方ない。どろりとした私のなかの醜さが溢れてしまいそう。 「人に好かれる事は知っていても、人を愛する能力に於いては欠けているところがあるようでした。」 そうは言ってもどうしたらこんなに湿度高く、色気のある文章を編めるのか。 「斜陽」もそうだが、太宰の紡ぐ言葉は私にとって退廃的で、官能的にも思えてしまう。 人間が壊れていく様をまざまざと見せつけられたとて、その気持ちは変わらないのだ。 どうか私が死ぬときには棺に納めて、一緒に燃やしてほしい作品なのです。 - 2025年12月18日
読み終わった初めての金田一耕助シリーズの読了でした。 映像作品から小説まで存在は知っていましたがなかなか手に取ることはなく、今回「100分間で楽しむ名作小説」の刊行を機に読んでみることに。 ……が。なんでしょう、この言い寄れぬ陰惨さ。 さすがの風間のひと声で気持ちが切り替わることなく、悪魔払いに熱いものをひっかけたとて、その場にいる人物も読者も晴々とすることはないだろう。その豪胆さが人を魅了する風間の良さでもあるのだろうが……。 しかし、視線誘導の素晴らしさと言うのでしょうか、ある程度推理ものを読んでいる人ならば想像するような場面にさらに伏線を張る。全ての伏線を回収した瞬間には私も肌が粟立つほど。 点と点が繋がって線となる瞬間の爽快さは、やはりミステリーものの醍醐味ではないでしょうか。 お繁に思いを馳せど、時代背景的にそうするほかなかったかもな……なんて。 そして、興奮ゆえにまるで噺家の如く言葉を連ねたり、時に体をすくませ人間味のある反応を示したり、謎を解き明かす側というのは常に冷静沈着な印象が強かった私にとって、金田一耕助という人物に随分と惹かれてしまった。 他の小説もぜひ読んでみたいと興味が湧いた一冊でした。 - 2025年12月9日
読み終わった唐突だが、私はうつ病と診断されている。 薬を飲んで寝て、ミスもなく働いて“普通”のなかに擬態して、日々を生きている。 激しめの家庭環境で育ち、自立して以降じわじわと精神を蝕まれての発症だった。 今では睡眠薬がないと一睡もできず、そのうえPTSDと不安障害のおまけつき。 なんてこった。 そうなると面白いもので自分の感情をラベリングして、置かれてる状況を客観視しようと必死に本を買い漁る。 でも、あれだけ私を別な世界に連れ立ってくれた本がとにかく読めない。 指で何度文字をなぞろうと、同じ行に戻ってしまうという摩訶不思議。 ――悔しかった、兎にも角にも悲しかった、自分が崩れるような感覚が怖い。 読めなくなったとて、自然と視界に本屋さんが入ればふらりと立ち寄ってしまう。 本屋には財布の紐を緩める魔物がいるなぞ、しようもないことを考えながら見かけたのが本書だった。 何度か手に取ろうか迷った、最終的には自分自身との戦いなのだろうと思ったから。 しかし、気が付けば数冊の本と一緒に購入し、我が家の本棚の一員となっていた。 そんなこんなで、もうじき終わりを告げるこの一年のなかで“読み切った”のだ。 読みやすいレイアウト、神経伝達物質のバランスがどのように崩れて半うつの状態となるのか。 知りたかったことがこの一冊に詰め込まれ、付箋を貼りながら貪るように読み進めた。 現代人がどれだけの情報と向き合っているのか、そりゃあ疲れちゃうよねって。 バナナ食べて日光浴しながら散歩なんて到底できるわけないよね、そもそもの燃料がないのだから。 死にたいという叫びが、殺意が、回復のサインなのだという、皮肉も度が過ぎると笑えない。 しかし、私自身が東日本大震災を経験しているせいもあるのか、終盤の先生ご自身の話に泣いた。 年甲斐もなく泣いて、勝手に赦された気になった。 それまで碌な使いものにもならない奴と罵って止めを刺してやろうと、自分の首をぎゅうぎゅうと絞めつけていたから。 ただ、“半うつ”という言葉が浸透した先に、軽々しく扱われるのではないかといった懸念もある。 うつ病の診断基準に当てはまらないからこそ適応障害と置き換えることもあるのかもしれないが、医者でもない素人が自己判断でしていいものなのか、様々な薬を入手しやすいご時世に若年層が“半うつ”だからと手を出す切っ掛けにならないかと。 そこまで考えたらきりがないので強制終了するとして、久し振りに心が動いた本だった。 また気持ちが前を向いたときにでも、フィルムカメラを片手にあちらこちらと彷徨って気ままに写真が撮りたい、そんなふうに思わせてくれる本だった。 - 2025年12月8日
ハンチバック市川沙央かつて読んだこの書籍を手に取ったのは、とあるインタビューがきっかけだった。 復讐をするつもりだったと語る市川さんに、言葉にできない感情が芽生えた。 「私は紙の本を憎んでいた。」 これまでの日常において、恥ずかしいことに意識したことがなかった。 好きなときに書店へふらりと足を運び、新品特有の香りを楽しみながら紙を捲る。 それは当たり前のことで、私にとっての至福のひとときだった。 しかし、時として本の重みも、電子書籍の光も、全てが苦痛になりうる人たちがいる。 当事者にしかわかり得ない、憤りや眺望、怒りが込められている作品と、私は受け止めた。 井沢釈華の背骨は右肺を押しつぶす形で極度に湾曲し、歩道に靴底を引きずって歩くことをしなくなって、もうすぐ30年になる。 両親が終の棲家として遺したグループホームの、十畳ほどの部屋から釈華は、某有名私大の通信課程に通い、しがないコタツ記事を書いては収入の全額を寄付し、18禁TL小説をサイトに投稿し、零細アカウントで「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」とつぶやく。 ところがある日、グループホームのヘルパー・田中に、Twitterのアカウントを知られていることが発覚し……と物語が展開する。 そこで賛否両論だったのが“性”に触れられた場面があったこと。 気持ち悪いとの率直な声や、描写を取り入れる必要はあったのかという疑問、様々な言葉が飛び交っているのを見かけた。 蛇足になるが、私は子どもが産めない。 体は回復して健康体なのに、無性に非生産的な人間だと感じることがある。 だが、釈華は30年近く病気により生活は制限され、異性との触れ合いはおろか、その行為そのものに死に至る危険性が潜んでいる。 子どもを自分のお腹に宿し産むこと、女性なら当たり前のこと、そう当たり前のことさえできないからこそ、死ぬまでに一度は……と、思いを抱くのではないのか。 孕んで、堕胎するという表現も、現実問題として産み育てることが難しいと理解しているからこその、願望のひとつではないだろうか。 決して、軽々しいものには聴こえなかった。 そして、最後の紗花が登場する場面。 釈華と田中の物語とリンクするかと何度か読み返したが、ここだけ疑問が残ったまま。 「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」とつぶやいていた釈華だが、その願望が叶ったのだろうか。 読了後はいろんな感情がないまぜになり、やるせないような、泣きたいような、苦しいような、筆舌に尽くしがたい気持ちを抱えた。 ただ、後味が悪いというものではなく、雨上がりの空にほんの少し、青空が見えたような心境だった。 - 1900年1月1日
傷を愛せるか 増補新版宮地尚子積読中 - 1900年1月1日
自分の時間へ長田弘積読中 - 1900年1月1日
すべてきみに宛てた手紙長田弘積読中 - 1900年1月1日
読書からはじまる長田弘積読中 - 1900年1月1日
発芽/わたくしが樹木であれば岡崎裕美子積読中 - 1900年1月1日
愛着障害岡田尊司積読中 - 1900年1月1日
「好き」を言語化する技術三宅香帆積読中 - 1900年1月1日
今日は誰にも愛されたかった岡野大嗣,木下龍也,谷川俊太郎積読中
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