ハンチバック
134件の記録
胡麻油@warwick2026年2月20日読み終わった7.5/10 なにより言葉の攻撃力が高い。日常の裏側のざらざらとした部分に引っ掻かれるような気分で読み進める。 描写されるものは狭いスケールだが、その裏側に宗教的で神話的な世界の仕組みのようなものを感じられる。



- おいもさん@kyontk2026年2月12日読み終わった往復書簡より ・ある一面では弱者であっても、別の一面では強者である。 ・読書文化が象徴する読み書き能力の神聖化への警鐘。 忘れたくない観点だなぁ
うに@ounidayo2026年1月20日読み終わったこの本を手に取って、ソファでごろごろしながら、一枚ずつページを捲って読むということ。 恥ずかしながら「紙の本が憎い」人がいるということを今まで考えたことがなかった。無意識に目を逸らしていた。

たちぇのとちのと@sally_962026年1月15日かつて読んだ表現力がずば抜けているだけに、読んでいて苦しくなる。 目を向けなければ平和に生きていけたのに、という世界を見せてくれる。なんて不公平で理不尽な世の中の当たり前なんだ。障害者の苦労を知ろうとか、そんなキレイで呑気な話ではない。

くりーむ@cream2026年1月12日読み終わった印象的な2つの記述を取り上げてみます: 「気管カニューレというプラスチックの異物が喉に突っ込まれている限り、粘膜は勝手に戦うし、設計図を間違えている呼吸筋はまともな噴射力のある咳すらできない。」(p.19) 「あらかじめ手許に用意しておいた銀行員でミシン目に割印して小切手要旨を切り離す。親の遺産を馬鹿みたいなことに使う罪悪感で手が震えていた。」(p.53) 前者から考えます。気管カニューレは、端的に言って、呼吸を保つため・生きるためにつけているはずです。しかしこの記述によれば、それは異物であり、かえって痰を生じさせることになる。こうして、生きるために・或いは生きることによって、望むと望まないとにかかわらず、痰が生じ、その息苦しさは、釈華に痰の吸引をさせることになります。痰の吸引は、象徴的な一つの行動のように見えます。小説全編を通じて、釈華は、己の意思とはほとんど関係なしに、特定の行為をするようになっています。それは、粘つく痰・精液のイメージが作り上げる文学的質感と相まって、自由ではないこと・特定の状態がひっついてきて、それに引きずられること、といった、粘性のある人生、とでもいうべきもののありようを描き出しているようにおもえます。 後者についても、その手の震えは、明らかな躊躇・恐れであるにもかかわらず、そのことは一切顧みられることなく、釈華と田中の間の交渉は展開することになります。ここについても、己の意図とは一切関係なしに、特定の行為が特定の意味をもち(たとえば、小切手を取り出せば、それは契約の意志を表象する)、さらなる行為に向かって、釈華を引きずっていくことになります。ここにも、不自由さ・粘性・或いは引きずられることの実相が、描かれているように、みえます(とうぜん、罪悪を振り切って何かをするということが一種のカタルシスをうむのだ、という主張は尤もですが、『ハンチバック』については、少なくとも文章中からそれを読み取るのは困難におもわれます)。 つまり、『ハンチバック』で描かれている生というのは、粘性のある液体に絡め取られるようなものであり、しかもその粘りは、生きていることにほとんど必然的に付随しています。 小説中では、本を読むことと身体の関係についての訴えが、何度も繰り返されます。これはそれ自体として真っ当な主張であるであるとおもいますが、ある行為は、純粋にその行為ではありえない(読書は、単に頭を使うだけの行為でなく、目の・指の・肩の・腰の・腿の・膝の、行為なのである)ことを鋭く批判しているという意味で、前述した粘性と基本的なモチーフを共有しているように、私には感じられます。 こういった粘性は、「他人の人生に巻き込まれていくどうしようもなさ」という意味で、釈華と紗花の間の関係についてもいえることだとおもいます。ここで重要なのは、紗花は釈華に対し一定の距離を保ちながら(可哀想だとか、そういった感情「移入」はしていない)、しかし釈華のことを想起する、という関係にある、ということです。粘り気のある沼に一挙手一投足ととられるなかで始めて生じた、ケア = 気にかけることの関係。それはケアだということをもって、一種の徳と言えるのかもしれませんが、釈華と紗花の実際に置かれている状況を考えれば、諸手を上げて礼賛することは難しいようなケアです。沼の中、泥に足を取られているときしか覗くことのできない涅槃、といってもよいかもしれません。生を引き受けるということの重みが底に現れているということもできるでしょう。この意味での両義性が、本作の最大の文学性なんじゃないか、とおもいました。


楡@etemotust2025年12月30日買った読み終わった芥川賞受賞に伴うインタビューか書評か何かで紙の本は〈マチズモ〉であるという表現には触れていたが、世界的に注目を集めている『ハンチバック』という存在と繋がっておらず、該当の表現が出てきた瞬間に頭をぶん殴られた。 往復書簡まで読んで自分の無知と浅薄を思い知ると同時に、自分自身は賛同しかねるポイントもあるなと思った。 それは結局どこまでいっても〈マチズモ〉なのかもしれないけれど、マチズモ/アンチマチズモの二項対立に囚われるのではなく、生きている限り折衷点を、あるいは止揚を求めていかなくてはならないのだな、と対話へと目線を誘ってくれるような、そんな一冊だと感じた。

おでんち@odenchi2025年12月15日読み終わった「日本に障碍者はいないことになっている」が辛辣 とにかく感情を叩きつけてくる文章だと感じた 怒りが生きるエネルギーなのかもしれない 実際経験したことない性描写のコタツ記事を書く時何を思うのだろう しかも十分な金はあるのにこういう稼ぎ方…それは寄付するという 本当に世の中にはいろんな人がいるなぁ いろんな人がいることをちゃんと認めなくちゃいけないなぁ





惰眠@damin__4162025年12月8日かつて読んだこの書籍を手に取ったのは、とあるインタビューがきっかけだった。 復讐をするつもりだったと語る市川さんに、言葉にできない感情が芽生えた。 「私は紙の本を憎んでいた。」 これまでの日常において、恥ずかしいことに意識したことがなかった。 好きなときに書店へふらりと足を運び、新品特有の香りを楽しみながら紙を捲る。 それは当たり前のことで、私にとっての至福のひとときだった。 しかし、時として本の重みも、電子書籍の光も、全てが苦痛になりうる人たちがいる。 当事者にしかわかり得ない、憤りや眺望、怒りが込められている作品と、私は受け止めた。 井沢釈華の背骨は右肺を押しつぶす形で極度に湾曲し、歩道に靴底を引きずって歩くことをしなくなって、もうすぐ30年になる。 両親が終の棲家として遺したグループホームの、十畳ほどの部屋から釈華は、某有名私大の通信課程に通い、しがないコタツ記事を書いては収入の全額を寄付し、18禁TL小説をサイトに投稿し、零細アカウントで「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」とつぶやく。 ところがある日、グループホームのヘルパー・田中に、Twitterのアカウントを知られていることが発覚し……と物語が展開する。 そこで賛否両論だったのが“性”に触れられた場面があったこと。 気持ち悪いとの率直な声や、描写を取り入れる必要はあったのかという疑問、様々な言葉が飛び交っているのを見かけた。 蛇足になるが、私は子どもが産めない。 体は回復して健康体なのに、無性に非生産的な人間だと感じることがある。 だが、釈華は30年近く病気により生活は制限され、異性との触れ合いはおろか、その行為そのものに死に至る危険性が潜んでいる。 子どもを自分のお腹に宿し産むこと、女性なら当たり前のこと、そう当たり前のことさえできないからこそ、死ぬまでに一度は……と、思いを抱くのではないのか。 孕んで、堕胎するという表現も、現実問題として産み育てることが難しいと理解しているからこその、願望のひとつではないだろうか。 決して、軽々しいものには聴こえなかった。 そして、最後の紗花が登場する場面。 釈華と田中の物語とリンクするかと何度か読み返したが、ここだけ疑問が残ったまま。 「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」とつぶやいていた釈華だが、その願望が叶ったのだろうか。 読了後はいろんな感情がないまぜになり、やるせないような、泣きたいような、苦しいような、筆舌に尽くしがたい気持ちを抱えた。 ただ、後味が悪いというものではなく、雨上がりの空にほんの少し、青空が見えたような心境だった。




才桃きいろ@kiirosaito2025年12月6日読み終わった最初の1ページを読み「すごい本を選んじゃったな」と驚いた。だけど読み終わったあと殴られたような気持ちになった。主人公の繊細で歪んだ内面。最後のシーンはなぜか少し救われたような気にもなってしまい自分が怖くなった。当たり前とは普通とは。






しおり@Kaffee58882025年12月5日読み終わったこれは、「本気」…なのか??? 怨嗟というか…なんといいますか…これを受け止め切るのには結構難しいものがあります。受け止めることもできないし、流すこともできない、…なんていうもの読んだんだ…。感想が難しすぎる。 自分は所謂、健常者に属する身体だ。だから、こういう人たちの気持ちはわからない。中途半端に理解を示そうとする方が失礼だと思うから、自分はわからない、そう言う。そもそも私は『ハンチバック』という言葉すら知らなかった。そういう人たちがいることすらも。なぜなら普通だから。知る機会がないから。目を逸らしていたわけでもない。ただ、触れることがないから。 この作品を読んでも、彼ら彼女らの気持ちはわからない。紙の本を読むことを私はやめないし、紙の本を捲る時の香りや音が宣うこともやめない。分かり合える存在ではないんだろうな。(拒否するわけではない)共存する社会と言えど、溝は埋まることはないのだろう。 ただ、この本は読んでおくことはいいと思う。 知る機会になるから。そうでもしなければ私たちは知らないのだから。











はな@hana-hitsuji052025年12月1日気になる読みたい勝手なイメージで、少しダークな物語とかなのかなと思っていた。 どこかで著者の言葉を読んで後ろから殴られたみたいな気持ちになり、それからずっと気になってる。 自分が今の段階で気づけていないことは、気づかずに生きてこれたという点で全て特権なのかもしれないと知って、それが「本を読むこと」にも当てはまるんだとは考えが及びもせず読む前から既に猛烈なショックを受けてる。









ゆい奈@tu1_book2025年11月22日読み終わったなにをいっても強者であることの罪悪感の垂れ流しになるような気がして、なにもいえず、だからといって強者である自覚はなされずままであったので、ほんとうに読めてよかった。そして小説はもちろんのこと、荒井裕樹さんとの往復書簡もすごく良かった。強者性と弱者性は誰もが持ち得るものであり、環境・対人によって変わりゆくものであること、あたりまえにあるものへの優位思想に気づけるひとでありたいとおもいながらも、わたしはやはり紙の本がすきだとあっけらかんと強者の言葉を述べてしまうのだろう、という、抱くことが間違いか正解かわからない居心地の悪い罪悪感につつまれる。そして複雑なことを複雑なままに書くことってなによりもむずかしいことだよな、とおもって、いや〜しかし、凄まじかった…と感動している。すごいなあほんとうにすごい。小説としての面白さもピカイチ。









本運んでいるだけ@yuriakaneda2025年11月10日読み終わった文藝に載っているのをみて、衝撃を受けて、文庫になって再び。往復書簡もすばらしい。すべてのことに健常者優位主義が蔓延り、生きることがサービス化してしまうことなど。本当にすごい作品だと思う。『凛として灯る』次読みたい。



yokackyの図書録@yokacky2025年11月7日読み終わった第169回芥川賞受賞の小説。100ページも満たないミオチュブラー・ミオパチーを患っている主人公、釈華の物語。 印象的な引用:「目が見えること、本が持てること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、ーー5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。」







ヒナタ@hinata6251412025年10月31日読み終わった単行本は電書で買って読んだんですが、文庫化されたのでこちらは紙で購入。荒井裕樹さんとの往復書簡も掲載誌は持ってるんですが(だいぶんファンだな…笑)、さらに一往復追加されていてうれしい。 「妊娠と中絶がしてみたい」という切実さが、障害者と性(生殖とエロも含む)をこんなにも〈存在しない〉ことにしてしまっている社会の、そして〈健常者〉の欺瞞をボロボロと剥がしていく。切れ味も凄いんだけど笑いもあるところがいい。 往復書簡の中の「プロテストソングがあるならプロテストノベルもあってもいい」という市川さんの言葉が好きです。市川さんのプロテストノベル、これからも読み続けたいです。




本棚@sukinamono2025年10月27日読み終わった皆さん感想で言及しているけれど「紙の本が好き」と言えることの無神経さにハッとする。恥ずかしくなる。 人間はみんな平等だ!とか声高らかに一丁前に言ってたって、私たちは常に自分中心の世界でしか生きていないのだ。自分の見えているものしか見ず、もし何か不都合なことがあったら見ないふりをする。 目でモノを見ることができるから。目を逸らすことができる筋力があるから。 こんなに心の芯を突く小説なのに、語りはユーモアがあって気づいたら読み終わっていた。 恐るべし、市川沙央…。




はち@harry-2025年10月26日読み終わった衝撃すぎた、、なんの前情報も入れずに読んだけれどこんなに薄いのに読む手が進まないのは初めてで。本を読むという行為が当たり前ではなくて読書好きを語るだけでも無意識のうちに差別に繋がっているのかもしれないと思った。読書が好きな人にはぜひ読んで欲しい…けれどもおすすめしたくないっていうか再読もできたらしたくないというか。そう思ってしまう私は現実から目を背けたいからなのかとかぐるぐると考えてしまった







m@kyri2025年10月19日読み終わった@ 自宅紙の本が好きって気持ちをそんなふうに言われてしまうとすみませんでした!!!っていう…気持ち…でもマチズモと言われようが紙の本が好きです… 考えることはたくさんあるけど釈華がツイートする前に一回「冷却」して考えるみたいに、わたしのこの思考は果たして大丈夫なんかなと考えてしまってこういうSNSに書くことではないように思えてくる 絶対そこじゃないんだけど「マツケンサンバのケンさんの語尾がエキセントリックに裏返るところみたいな声」(p.10)がどんな声なのかが気になりすぎてしばらく脳内でマツケンサンバが流れた





北村有(きたむらゆう)@yuu_uu_2025年10月15日読み終わった芥川賞受賞の本作、文庫化になっているのを発見して、ようやく。 当時の授賞式の様子はチェックしていて、かつこの小説が「何も考えずとも紙の本の読書ができること、それ自体が健常者優位主義」とするメッセージを発していることを知っていたので、なかなか前向きに読もうと思えずここまできてしまった。 私自身、健常者であることに引け目を感じることになるだろうな、と思ったから。そしてまんまと、形容できない罪悪感にまみれている。ああ〜〜〜








bitter100%@bitter1002025年10月15日買ったちょっと開いた@ 自宅文庫。歯医者さんからの帰りに郵便受けを覗いてみたら届いていて、開いたら当然読み始めて止まらなくなった、のを無理やり止めた。今夜は少しでも早く眠らなくては。


植月 のぞみ@nozomi_uetsuki_r4101900年1月1日読んだ衝撃的な小説だった。 主人公は市川沙央さんそのものなのだろう、と思いながら読んだ。 重度障害者の賃労働、介護、性の現実が、この小説を読んで、心に迫ってきた。


若公爵@wkksbook1900年1月1日読み終わった賛否あるかもしれませんが、市川さんが出てこられたことは嬉しいです。 この方の存在はリアリティをもって、究極的には色んなマイノリティの存在を明らかにしている。そんな怨念の文章。 私たち皆んな、あまりに溝が深くて分かりあえずとも、それでも互いに大事にし合える、少なくとも私はそれを目指すことを止めない、そんな気持ちになりました。 この方の文は、別のかたちでも、追っていきたいです。




























































































