
夜凪 順
@yonagijun
2025年12月9日
読み終わった
唐突だが、私はうつ病と診断されている。
薬を飲んで寝て、ミスもなく働いて“普通”のなかに擬態して、日々を生きている。
激しめの家庭環境で育ち、自立して以降じわじわと精神を蝕まれての発症だった。
今では睡眠薬がないと一睡もできず、そのうえPTSDと不安障害のおまけつき。
なんてこった。
そうなると面白いもので自分の感情をラベリングして、置かれてる状況を客観視しようと必死に本を買い漁る。
でも、あれだけ私を別な世界に連れ立ってくれた本がとにかく読めない。
指で何度文字をなぞろうと、同じ行に戻ってしまうという摩訶不思議。
――悔しかった、兎にも角にも悲しかった、自分が崩れるような感覚が怖い。
読めなくなったとて、自然と視界に本屋さんが入ればふらりと立ち寄ってしまう。
本屋には財布の紐を緩める魔物がいるなぞ、しようもないことを考えながら見かけたのが本書だった。
何度か手に取ろうか迷った、最終的には自分自身との戦いなのだろうと思ったから。
しかし、気が付けば数冊の本と一緒に購入し、我が家の本棚の一員となっていた。
そんなこんなで、もうじき終わりを告げるこの一年のなかで“読み切った”のだ。
読みやすいレイアウト、神経伝達物質のバランスがどのように崩れて半うつの状態となるのか。
知りたかったことがこの一冊に詰め込まれ、付箋を貼りながら貪るように読み進めた。
現代人がどれだけの情報と向き合っているのか、そりゃあ疲れちゃうよねって。
バナナ食べて日光浴しながら散歩なんて到底できるわけないよね、そもそもの燃料がないのだから。
死にたいという叫びが、殺意が、回復のサインなのだという、皮肉も度が過ぎると笑えない。
しかし、私自身が東日本大震災を経験しているせいもあるのか、終盤の先生ご自身の話に泣いた。
年甲斐もなく泣いて、勝手に赦された気になった。
それまで碌な使いものにもならない奴と罵って止めを刺してやろうと、自分の首をぎゅうぎゅうと絞めつけていたから。
ただ、“半うつ”という言葉が浸透した先に、軽々しく扱われるのではないかといった懸念もある。
うつ病の診断基準に当てはまらないからこそ適応障害と置き換えることもあるのかもしれないが、医者でもない素人が自己判断でしていいものなのか、様々な薬を入手しやすいご時世に若年層が“半うつ”だからと手を出す切っ掛けにならないかと。
そこまで考えたらきりがないので強制終了するとして、久し振りに心が動いた本だった。
また気持ちが前を向いたときにでも、フィルムカメラを片手にあちらこちらと彷徨って気ままに写真が撮りたい、そんなふうに思わせてくれる本だった。


