
一年とぼける
@firstareethe
1900年1月1日
ミライの源氏物語
山崎ナオコーラ
かつて読んだ
感想
p.125 「産んだ子どもを育てられない」章内にて以下の文章があった
『あるいは、日本では共同親権が認められていないので、親たちが離婚した場合にはどちらかの親と永遠に別れる、あるいはごくたまにしか会えない関係になる、ということが、親同士の話し合いがうまくいかない場合は起こります。』
これには強い引っ掛かりを覚えた。好意的に解釈すれば、いわゆる「共同監護」の意味で共同親権という言葉を選んだのかもしれない。ただ、発刊当時の政治情勢を鑑みれば軽挙妄動の言葉選びと思わざるを得ない。安易な家族神話を前提とし、現代のDVや虐待を軽視した言説と謗られるのは避けられないと考える。
作者が現在共同親権についてどのように考えているかは分からないというエクスキューズは付けるが、ただこの一節のみによっても、批判するには十分な重みのある言葉選びだと思う。

